私とかみさま

□第十三話 私と神様
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一瞬、息が止まるかと思った。それほどにそれは急な出来事で、私は立ち上がり構えることも忘れ、ただ驚愕に眼を見開いて彼を見上げる。


続さんの敵、皐がそこにいた。


「犬のマーキング……真似してみたが、案外使えたな」

月が隠れている今、電柱から発せられる弱々しい光だけが、私と彼を照らす。私を見下ろす冷たい瞳にぞくりと背筋が凍り付いた。いつの間にそこにいたのか。私は打ちのめされていた心を奮い立たせ、素早く呪符を取りだしてから、――攻撃すべきか一瞬躊躇した。今私は続さん側ではない、よって皐も別に敵ではないということになるし、私は皐の駒だったのだと分かったのだから。だが、こいつは私を良いように操り、それだけでなく私の最も大切な人を、続さんを傷つけたのだ。やはり十分過ぎるほど、攻撃に値する!

しかし、その逡巡が致命的となった。

いや、彼と私の実力差を鑑みるに、どちらにしても勝敗なんて決まっていたのだろうが……ともかく、私は首を掴まれ、呪符は使用前に排除され、壁に叩きつけられていた。ぎりぎりと頸動脈に強い圧迫を受け、意識が飛びかける。そこで、これでは会話が出来ないと思ったのかは知らないが、私は突然解放された。とはいえすぐには動けず、げほげほと咳き込んでその場にへたりこんだ。ぽた、と頬に雨粒が一つ落ちたが、そんなものに構う余裕はない。

「あ、貴方が欲しい続さんの情報なんて、私は持って、っいませんよ……!」

彼がわざわざ私のところに来た理由なんてそれくらいしか想像出来ない。「最初からスパイだと知られていたんだから、そんなもの、与えられている筈がないでしょう」咳き込みながら、そんな旨のことを自嘲的に続ける。

「電話を入れた時に色々と聞いて知っている。もっとも、その際お前に使った神の遺産を再度使用したせいで、お前には別の記憶として残っているだろうがな」

電、話?
電話なら幾度かした記憶があるが、どのことだろうか。続さんと、もしくは花村さんとしたあの電話だろうか。……いや違う。その中で最も異彩を放つ、不自然な電話が一本だけあるじゃないか。


一年ぶりの、兄からの電話が。


ああそうか、なるほど。たしかに、言われてみれば随分と都合が良く、耳障りの良い言葉ばかり言っていた覚えがある。そもそもいくら一年前でよく覚えていないとはいえ、私が新調した携帯番号のメモなんて書いて、ゴミ箱に無造作に捨てているとは考えにくい。私は家族との縁はもう切るつもりだったのだから。最後に携帯を壊したのも、それに対して今思えば意味の分からない理由付けを行っていたが、(もう既に私がスパイだということは露呈していたとはいえ)単に皐との通話記録を少しも残さないためか。過去の不可解な言動に今ならば疑問を持て、更に回答を導き出せるのは、ひょっとすると先程皐に触れられた時に何かされたからだろうか。……ふと、私の体をいつの間にか強く打ち付けるようになっていた、空の号泣を見上げる。

『応援するよ』

……嬉しかった、のに。

「だが、続はお前に情を移しているようだ。お前を続の元へ送り込んだのなんて、ほんの気まぐれだったんだがな」

話の肝が全く見えないが、きっと殺すつもりなのだろうと決め込んでいた。どうせ自ら命を絶とうかとも私は思案していたのだ。丁度良い、殺すなら殺せば良いと諦念し、ほとんど抵抗する気も起きない私の頭上におもむろに彼の手がかざされた。「少しは役に立つかもしれない、だから」と彼は続ける。

「続への盲信を、俺へと変更する」

――そこで私は激しい抵抗の意を示した。具体的にはその手を払い除け、呪符を取りだし攻撃を仕掛けようとしたがそれよりも少し早く頭を殴打され、私は水に濡れた地面とキスする羽目になる。その拍子にばしゃっと道に溜まった水が大きく跳ねた。背中に両腕を、彼の片手だけで固定されての拘束。駄目だ、はなから敵うなんて思っていなかったが、無様だろうと無駄だろうと、抵抗しないわけにはいかなかったのだ。この続さんへの気持ちが偽物なのだとしても、もう彼の傍には居られないとしても、私は、私は――!

「俺と共に来い、名前」

皐のその低い声が、頭の中でぐるぐると回り始めた――。






一年前に退学した身としてはひどく懐かしさを覚える廃校の体育館だが、壁一面にびっしりと隙間なく文字が、床には円状の術式が幾つも描かれているという禍々しい空間に成り果てていた。その術式の真ん中に六本の鎖で繋がれた神の遺産、深淵(ダアト)の章(前回の聖戦で皐さんが手に入れられたものだ)が穢され続けているというのもあって、余計にそう感じるのだろう。 このように穢すことで神の力を絞りだし、更に魔具や術式等を用いて聖戦終了を偽装することにより、皐さんを神とすることが出来るらしいが。そんな場所で私は

「遺産の前の持ち主の純魔族が、皐に遺産を奪われかけて、皐への嫌がらせにたまたま通りかかったあんたを永久の使用対象に設定しちゃったんだよッ! あの遺産の強度はかなり弱くなっちゃってて、無理矢理に対象変更させる為に改造しようにも耐えられないからッ!」

何故か喧嘩をふっかけられていた。いや喋っている内容はただの説明なのだが、明らかに敵意を孕んでいるのだ。相手は依然可愛らしいツインテールを揺らしながら、すごい剣幕で言葉を捲し立ててくる。な、なんでこんなことに……。

「つまりあんたは皐に選ばれたわけじゃなくまったくの偶然で……えっと、だからようするにっ皐の特別ってわけじゃないんだからあんまり皐に近づかないでよね!」

ずびしっと指差され、とりあえず私は大人しく首肯する。皐に手を出すな、つまりはそういうことらしい。ここに来てようやく理解できた。……なんだか可愛い。

「だ、大丈夫ですよ、私は皐さんに対して崇拝の念しか抱いてませんから……」

それは信仰に近い感じだと思う。続さんに対して抱かされていたものとほぼ同じ。例え今回は続さんとの記憶は改竄されず、加えて例の遺産の力によって崇拝対象を移行されたことを既知としていても、皐さんを崇高する感情に変化はないようだ。と自分を客観視してみる。

「どうだか! それにっ! 皐だってあんたなんかぜんっぜん信頼してないんだからねっ!」

「ああ、まあそうでしょうね。神の遺産を使ったとはいえ、その使用した遺産の力が弱まってしまってるわけですから、自分で言うのもなんですけどそこまで信用出来なくて当たり前だとは思ってますよ」

「そういう意味じゃなくってえ!」

まあ全く感情に変化はない、と言えば嘘になるのかもしれないが。過去、遺産の力の弱体化により続さんに取り入って傍に居続けるようにという目的で遺産を使用されていたにも関わらず、彼に疑念を抱いたりもした。しかし今のところは遺産の効果は十分働いているようで、皐さんを裏切り続さんへつこうとかそんな気は起きない。そもそも続さんはもう私を受け入れはしないだろう。崇拝的感情はなくなったものの、やはり一年も一緒に居続けた者に対する情のようなものとか、まあ色々あるけれど……。

「ちょっと、きーいーてーるーのー!?」

「あ、ご、ごめんなさい。あんまり……」

「な!? なまいきー!! ……もう、あんたはムカつくし、皐は皐で桃瀬に最初からあんたのことを何故か教えてくれなかったし、あーもうやなことばっか!」

「たぶん成功確率が低かったからだと思いますよ。スパイってことは続さん達には早々に露呈してしまっていたんですし、近いうちに追い出されるだろうって。まさかそのまま一年も過ごせるとは思いませんよ」

「むう。とにかく!」

キッと睨み付けられる。そして再度私を指で差して、ヤキモチ妬きなやっぱり愛らしい彼女は叫んだ。

「皐と仲良くしたら、許さないんだからねっ!」





さて、あれからまあ色々あったが、明日は遂に皐さんが神になられる日だ。私は私の役目を果たすため、全力で頑張ろう。たとえその役目が、儀式を邪魔しに来るであろう続さん達の足止め、だとしても。
 

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