第ニ部

□U-2.調和者の楽
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(警戒の相手ですらないのか、信頼されているのか…)
 蝋燭を一つだけ灯した部屋の中で、アシェスは肩を落とした。
誘い、という案はすぐに消去された。
歌姫は豊かな胸をそらし、冗談めかして勝利宣言をした後は、
サクサクと寝支度を済ませて安らかに寝息を立てたのだ。肌に触れないように、そっと髪だけをすくいあげる。
太陽を紡いだような髪は、蝋燭のゆらめきを受けて、金紅色に光る。
その光を見つめながら、アシェス…は物思いに沈んだ。


 その晩。
古く壮麗な「神に愛された」と称される城に、どこからともなく黒い風が吹き込んだ。
パッ…と視界に赤い色が散った時、夜会の参加者は一瞬、道化が出し物に失敗したのかと思った。
だがその推測は、最も貴き夫妻のくずおれた姿、噴水のように吹き出す赤に、打ち消された。
黒い風がつむじを巻く度、人が弾かれて高く宙を舞う。
一人、また一人。
身分も、性別も、変わりなく。
驚愕はしばしの沈黙の後、絶叫に変わった。
逃げまどう者、気を失う者、へたり込む者。
夜会は混乱のるつぼと化した。
かろうじて恐怖よりも忠誠の克った者は、高貴な夫妻が本当に身罷(みまか)ってしまったのか、確認に駆け寄り、それから、踵(きびす)を返した。
芸の不始末を疑われた道化は、その派手派手しい衣装をもって高貴な夫妻の変わり果てた姿が、それ以上さらされることを防いだ。
そしておりおり頼まれていたように、亡骸から王権の証を預かり、彼の他は正当な継嗣(けいし)のみに伝わる場所へと秘し、幸運にも席を外していた継嗣の元へと駆けた。
逃げられる者が逃げた後、広間の中に、再び黒い風が渦巻く。
残された人々は、ふ、と表情を消した後、何故泣いているのか、体が動かせずにいるのか、不思議そうな顔をした。

城の裏門から一つの影が飛び出す頃には、城全体を黒い風が包み、そして、凪いだ。



その城は、ザニアという北の国の王城。
神の<祝福>を受けたと伝わる王の血筋がその玉座に座り続けた。
今、その玉座は空いた。あるいは、誰か得体の知れない者が。
………だが。
隣国へ逃がされたアシェスの耳に、故国の噂は入らない。
入ったとしても、小国なれど豊かなザニアをうらやむ、特筆する産業を持たない隣国の民の嘆き。
王家の不在も、黒い風の噂も。
まるで、何も起きていないかのように。
均衡が崩れて難民でも現れれば、夢ではないと思えるかもしれないのに。一瞬でもそう思ってしまったアシェスは己を恥じた。
そして、遠く離れた自分の民の代わりに、目の前に現れた困窮者へ、罪滅ぼしをする。
戻って確認を、と思わないでもなかったが、その度に、『自分一人ではダメだ』と直観が……天啓が、それを制止する。

では、一人ではなければ良いのか?

半ば無意識に、カイの髪を再びすくう。
…と、眠っていたカイの目が開いた。青いはずの瞳が、深緑の輝きを伴って。
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