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□幾百日後の夜
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彼の友人は、こう言った。
大人しい奴で、自分から話をする事は滅多にない。
飲み会の席では、いつも部屋の片隅で一人酒を飲んでいて、けれど話を振れば必ず答える位には、皆の話を聞いていて。
壁があるのだと。見えない透明の壁が。彼に近付こうにも、それに阻まれ、本音を聞き出す事は出来ず。何を考えているか解らない。
彼の友人は、彼の事をそう話していた。
けれど、多分、きっと、人一倍に何かを考え、誰かや何かに関わりたかったのでは無いのだろうか。



幾百日後の夜



小さな声で、私の肌をくすぐりながら話す事は、他愛のない事ばかりだった。
近所の並木が赤く色づき始めて、秋が深まっている事を知った等。
9月終わりの話の種に相槌を返して、薄明かりしかないベッドの中、弱い光でも明るい髪を愛しげに梳いた。
時折、互いの素足が擦れ合い、衣擦れの音を響かせている。

「そう言えば、野見山さんに果物を沢山戴きました。フルーツの甘さは、身体の疲れを取ってくれるそうですよ」

明日の朝にでも剥きますねと、微かに笑う姿は昔から変わらずに可愛さを含み。
最初の頃は嫌われているかも知れないと落ち込んでいたが、今ではその様子は微塵にも無く。
良好な関係を同僚と築けた彼は、声を弾ませて色々な事を語る。
あの人は、こんな人だった。本当に良い人で嬉しい。仲良くなれて、とても嬉しく思う。
これだけ語れる程に、広がったのだろう。彼の世界が。
自分で決めた枠組みの壁に気付き、風穴を自力で開けて。
だからか、彼の友人が話していた事が、段々現実味を失っていく。

「孝典さん?聞いていますか?」

少しだけ彼が起き上がり、赤い花ばかりが散った上半身を露顕させて、小首を傾げて尋ねるから、ああ聞いているよと笑いを漏らす。
それが気に入らなかったのか、ぷくりと頬を膨らませて私の肩口に彼が額を置いた。

「孝典さんの、嘘つき。聞いていたら、そんな返事になりません」
「ん?……すまないな。正直に言うと、少し考え事をしていた」
「……恋人とベッドの中にいる時は、考え事をするのは無粋ですよ?」
「そうだな。自分で言っておいて、無粋な事をした。キスで赦してくれるか?」
「……赦しません」

キッパリと言い放った彼が顔を上げると、とても楽しそうに笑っているのが解る。
そして、私の頬を指先でなぞり、髪の中へと指先を滑り込ませていく。

「オレの話を、最後まで聞いて下さるまでは」
「どんな?」
「あなたに愛されて……、どれだけオレが幸せかと言う事を」

そんな内容ならば、君の話を聞かせてくれ。
夜明けまでと言わず、朝までずっと。

「お誕生日おめでとうございます。あなたが生まれて来てくれて、本当に嬉しい」

祝いの言葉と共にキスを貰い、また私の肌がくすぐられ始める。
だから、彼の友人には、こう話そう。
知っているか?彼は、結構おしゃべりなのだよ、と。

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