08/21の日記

10:27
ふと
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思うこと。



味醂です。



また面倒くさい話が始まりますよ(←)
みんな逃げて、逃げて!


人には人の人生がある。
私が物語を考えるときによく思うことです。
お話を創るということは、人間を創るということ。
さらには、世界を創るということ。
ファンタジーや時代劇なら勿論、現代劇においても創り手は、いつだって世界の創造主に成り得る。
現在を舞台にするとしても、どうやって今を表現するのか。
私から見えている世界は一体、どんなものなのか。
それを考えた上で、その世界で生きる人間を、創る。
そうでなければ、彼等の思想、行動原理、様々なところに辻褄が合わなくなってしまう様な気がします。
どエラい重労働です。
これがファンタジー、時代劇になんてなったら大変ですよ。
今を理解するのだってこんなに大変なのに、何を取っ掛かりにすればいいのやら…。
だからこそ、書けたときに面白いのですけど。
ここから二次創作云々の話にいってもいいのですが…今回は置いておいて。
今日はちょっと、死ネタについて語りたいと思います。

人が、死ぬんです。
人の死によって動き出す物語なんて、人の死に向かって動く物語なんて、狂気ですよ。
だって、その人は世界の中で確かに生きていた、人間なんですから。
だからこそちっぽけで、儚くて、尊いのです。
物語、ドラマとはつまり変化です。
彼、もしくは彼女の死がもたらした変化。
一番分かり易い変化は、人が一人、亡くなったということでしょうか。
これだけで大きな変化です。
そしてそれに伴う周囲の人々の心境の変化。
変化は変化を生み、何を生み出すのでしょう。
人は簡単に殺してはいけないのです。
お涙頂戴のただの道具ではないのです。
人には人の、人生があるのだから。

私自身『tomorrow』について、あまりにも簡単に始めすぎてしまったような気がしています。
幸い沢山の方が楽しみにしてくださっているので、それだけの価値があったのだと安心しています。
呆れられるほど安易ではなかったのだと思えます。
あと最終話まで六話ほど、頑張ります。

…ま、趣味で書く小説をそこまで考えなくてもいいとも思いますけどね(笑)
その方が書いてて楽しいじゃない。

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