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君が光にかえてゆく
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近頃うんざりするほどに顔を出していたショウがこの怪談レストランに来なくなって一週間が過ぎようとしていた。
来店しない理由も知らなければ今、あちらの世界で何をしているのかも分からない。
否、人という存在から離れたギャルソンなら見に行こうと思えば簡単にあちら側の様子など見ることはできる。
だがそれをしないのは単に彼が仕事に没頭していて気に留めないからだ。
元々仕事熱心な彼は黙ってやらせていれば一日中動き続けるだろう。
名は人をあらわすとはこのことなのかもしれない。
開店準備をするギャルソンは各テーブルに花柄のろうそくを飾り、一段落すると息をつく暇もなく今日のメニューの段取りを確認するためスタッフ達をロビーに集めた。


「…では今日は一つ目シェフが厨房の担当を、他は受注係でお願いします」


ギャルソンが指示を出すと少々だるそうな一つ目シェフが返事をし、他の面々も頷いた。


「ではお客様に最上の恐怖を」


そう言うとテーブルに置いていたろうそくの灯りが風もないのに揺らめき、怪談レストランは今宵も開店した。
開店してからの客の来店数は上々で、テーブルのあちらこちらで料理を味わう客が見える。
その誰もが顔を青くしており、中には突然発狂して飛び出した者もいた。
営業スマイルなのか元からなのか、顔に笑みを浮かべたギャルソンはその様子を見てゆっくりと息を吐いた。


「今夜も良いご反応ですね」


恍惚、とも呼べる彼の今の表情はとても満ち足りていて、レストラン内を満足げに見渡す。
しかしとある空席のテーブルが視界に入るとギャルソンの表情は一変し、無表情、よりも機嫌の悪そうな仏頂面になってゆく。
次に客が入ってきたとしたら、ここの席に通さなくてはならない。
いつもこの席に座る客がいたからか、他の客には自然と案内を違う場所へ回していた。
「特等席だ」と笑っていた、あの常連。
彼の無表情からは微かに怒りの雰囲気が漂い始めてきていた。

今の今まで一番最後までとっておいたというのに、あの方は私の小さな良心まで踏みにじるおつもりなのですか。
前だって紅茶を淹れておいたのに来店してこなかったのでとっておきの茶葉が完全に開いてしまって台無しになってしまったんですよ、どうしてくれるんですか。
カップだって中に綺麗な茶色い輪がこびりついてしまってもう落ちやしません。
何度も何度も何度も何度も、落とそうとしたのですが無理なんです。


「まるで、甲本さんのようですね」


厨房の隅で取れない茶渋を眺めて無意識のうちにギャルソンはそう呟いていた。
何度はねのけてもショウはうんざりさせられるほど側に寄ってきた。
最初は本当に迷惑な人間だとしか思えなかった。
だが恐怖を提供するはずのレストランでは見ることができない笑顔を浮かべ、しかも彼はギャルソンにそれを向けるのだ。
それは今まで暗闇と慣れ合っていたギャルソンにとって初めてであり、それが無意識の内に拒絶反応を引き起こしていた。
暗い場所から浴びる光は、目が痛い程に眩しすぎる。
しかし光に慣れてしまえば眩しすぎるとは思わなくなるのだ、それが怖かった。
自分は異端で彼は人間。
どう考えても無理ではないか、その一線を越えることなんて。
しかし彼は苦悩するギャルソンの気も知らずその一線を軽々と越えてしまう。
一体どこまで浸蝕するつもりなのだろうか。
おかげで今もショウの姿が頭にこびりついて取れない。


「どうしてくれるんですか」


再び勝手に口走った台詞は彼にしては珍しくどこか怒りを帯びていた。
おもむろにギャルソンはカップを持つ手の力を抜く。
案の定支えられるものがないカップはそのまま重力に従って床へ吸い込まれるようにして落ちてゆき、それなりの音を立てて四方に飛び散った。


「あなたがいけないんです。しつこい汚れを残すから取れなくなってしまったじゃありませんか」


いっそのこともう二度と姿を見せなくなってしまえば良いのに、と深く息を吐く。


「らしくないね。ギャルソンさんがため息つくなんて」


そう思っていた矢先に今一番聞きたくなかった声が耳に飛び込んできた。
柄にもなくぞくりと背筋に鳥肌が立つ。
それが寒気なのか悪寒なのか、はたまた別のものなのかはギャルソンには分からなかったが。
ゆっくりと顔だけ上げると前には予想していた通りの人物が立っており、次には腰を下ろして飛び散った破片を集め始めた。
目の前で揺れる金色の髪。
ろうそくのか細い灯りに反射するそれは寂しく輝いているようにみえた。


「なんでため息ついてるのかと思ったら、カップを落としたからなんだね」


「てっきり僕に会えないからだと思っていたのに」とショウは落胆した様子で破片をつまんだ。
久しぶりに会う彼は以前よりも哀愁を含んでいるように思えるのは気のせいだろうか。
ふと自分の動きが自然と止まっていたことに気付き、ショウを見てから同じように腰を下ろし欠片を集めた。


「甲本さんはあくまでお客様ですから、手伝ってもらわなくて結構ですよ」


目も合わせず口から出た台詞はどこか刺々しい言葉だけで、こんなことを言うはずではないのにと首を振る。
なら本当はどんな言葉を言いたいのだろう。
自問してみたものの、ギャルソンには分からない。
答えが見つかる筈もない。


「…僕が来なくて寂しくなかった?」


おもむろにショウはそう言う。
「寂しい」という単語に妙な引っかかりを感じた。
あぁだから答えはなかったのだとギャルソンは苦笑した。


「何言ってるんですか」


口元だけは弧を描いているくせに顔は酷く歪んでいる。


「私が寂しいだなんて感情を持ち合わせているとでも?」


ずっとずっと昔にそんなものは忘れてしまった、否過去に置いてきてしまったのだ。
闇だけが渦巻くからっぽの体で感じるものなどなにもない。
拾い終わった破片を手のひらで弄びながらギャルソンは立ち上がった。
そしてショウが持っていた数個の破片も黙って回収する。


「『特等席』、空けておいたので早く座ってください」
「…とっておいてくれたんだ」
「後でクレームがきたらたまりませんので」


ショウはギャルソンを見て、一瞬物言いたそうな眼差しをしたが大きく息を吸うとくるりと背を向け厨房から出て行く。
そして出る一歩手前でショウは立ち止まり、背を向けたままひとりごちるようにして呟く。


「ギャルソンさん、僕は少なくとも寂しいという感情は持っているし感じることも出来るよ」


そう言い残し。
席へ向かっていったショウの姿を見送るとギャルソンは苦い表情をした。
彼の行動のひとつひとつに頭を抱えて悩む羽目になる自分の身にもなってほしいものだ、と目を伏せるギャルソンは未だに自分のことでさえ分かり切ってはいないのだろう。





バラバラになったカップの破片を屑籠に捨てたら、何か胸が重苦しくなったような気がした。





fin.


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