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優しい両手
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「知りたいことがあるんだ」
「いきなり何なんですか」


いつものテーブルに座り頬杖をつきながらショウが独り言を呟くようにぶっきらぼうに言ったので、ギャルソンは怪訝な顔をしながら振り向く。
彼はいたって真剣な顔をしており、自分を向いているギャルソンの視線にも反応せずどこかを見つめていた。
毎日勝手に訪れてはどことなく嬉しそうに座っているのを見てきたギャルソンにとって、今のショウの様子に疑問を抱く。


「何か悩み事でも?」


職業柄こういう客の相手は慣れているので、深入りはしない程度に訊ねた。
ショウは一瞬驚いたのか目を丸くしギャルソンを見るが、気が抜けたように再び視線を泳がせる。
これは相当悩みに悩んでいるようだ、とあのギャルソンも心配になる。


「(甲本さんに限って悩みなんてなさそうですが)」


訊ねたまましばらくの間ショウは沈黙を続けていたが、突然口を開いて言った。


「僕はここにいればギャルソンさんを見れるし、話もできるけど…」


一旦そこで区切り、息を吸った後ため息と共に言葉を吐き出した。


「触ることはできるのかな」
「…はい?」


いつになく真面目な表情をしていたので何か思い詰めているのかと思いきや、そんな小さな事だとは。
ギャルソンは呆れながら肩を竦めてみせる。


「そんなくだ…」
「くだらなくなんかない」


が、強い口調で否定されたのでギャルソンは再び彼の方を向いた。
今度は視線が合い、碧眼はしっかりと自分を捉えていた。
その瞳は厳しくつり上がっていたがギャルソンには奥に隠れていた表情の色が見えた気がした。
それはきっと、怯え。
何故ショウが怯えているのか、何に怯えているのか、そもそも怯えなど知らなさそうな彼が何故。


「ずっと思っていたんだ」


顎に手を当てて考えていると先程とは打って変わって低く、小さい声でぽつりぽつりと話し出した。


「言葉も仕草も聞いてるものも見ているものも全部僕の幻なんじゃないかって」


この時の声は微かに震えていた。
弱味を見せない彼が今、そんな姿を晒すなど思いも寄らなくて。


「触ってみれば幻かどうかなんてすぐに分かるじゃないですか」


ため息を吐きながら白い手のひらをショウの目の前に差し出した。
その行動に硬直しつつもゆっくりとギャルソンを見上げる。


「…怖い」
「そんな…子供じゃないんですから。いつもの強気はどうしました?」
「………」


妖しげな笑みを浮かべるギャルソンがからかうように訊ね、ショウは一旦視線を落とした。
怖い、と口にしたのはこれが初めてなような気がする。
身の毛もよだつ話を聞いても、嫌な雰囲気が漂う幽霊スポットへ行っても、そんな台詞など吐きもしなければ考えもしなかった。
この場合は自分の好きなものの一部だから怖がる必要なんてない。
しかしそれを無くしてしまうことは恐怖に繋がる。
赤子がお気に入りの玩具を取り上げられた時の反応がそれだ、無くなって不安になりやがてそれが恐怖となって押し寄せる。


「確証は?」
「そんなこと、あなた自身でお確かめになられなくては意味などありませんよ」


白い、白すぎて透き通って見えるその手のひらに再び目を移す。
ギャルソンに言われた通り、自分で確かめることを拒み人から訊いていては、「確証」とは言えない。
深呼吸をして腕に力を入れ、手を伸ばす。


「………」


触った瞬間、今座っている椅子が、前に置いてあるテーブルが、天井で揺らぐろうそくが、そして微笑みを向けている彼が、全て全て、消えてしまうのではないか。
本来の昼間の姿の廃墟と成り下がり、彼も骸となるのではないか。
そんな考えが一瞬でも頭を過ぎる自分が憎たらしい。
だが、ほんのわずかだが信じてみたい。
彼に対する自分の気持ちを。


「さぁ」
「………っ」


ギャルソンに促されショウは息をのんだ。
ゆっくりと指先を白い手のひらへ伸ばし、そして―――触れた。


「…ぁ…っ!」
「ほら、幻影などではないでしょう?」


指から雪のような冷たさが伝わり、彼が居るのだと実感した。
胸につかえていたものが取れた安心感に長く息を吐くと、何故だか泣きそうになった。


「此処ではあちら側の常識は通用しません」


目を伏せ呟くギャルソンもどこか儚げで。
小さな衝動が沸き起こる。


「ギャルソンさん」


触れられると分かった今、気持ちを表す術が分かった今。
側に寄りたいと思うのは当然の結果だろう?


「はい、なんです………」


触れていた指先を素早くギャルソンの手首に這わせ、掴んだ後に思い切り引き寄せた。
突然のことで抵抗もできず、そのまま引っ張られると思いの外ショウの顔が近くにあった。
頬に温かい何かが触れ、白い顔が更に青白く染まってゆく。


「ん、甘い」


離れて自分の唇を指でなぞるショウをひたすら憎らしげな眼差しで睨みつけた。


「な、な…っ!馬鹿ですかあなた!」
「何が?」
「非常識すぎます!」


口調を荒くして言い寄るギャルソンをさもないことのように受け流し、いつもの笑みに戻ったショウは肩を竦ませた。


「だって触れたかったから、つい」
「理由になってませんから」


本当に厄介な方に目を付けられてしまったようだと今更後悔しても、手を差し出してしまったからにはどうすることもできないのであった。


今夜もあなたの所為で頭が痛いです。





fin.


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