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影追い
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昼間はただの風変わりな廃墟である洋館は夜にレストランとして息を吹き返す。
煙突からは細く白い煙が空へと続き、洋風の大きな窓からは灯りが漏れている。
端から見れば変わったスタイルのレストランだと、誰もが思うのだろう。
しかしその洋館が放つただならない薄暗く湿った空気に足が竦んでしまう。
彼女もその内の一人だった。
夕暮れ時に愛犬の散歩に出たはいいがその犬が道の横に立ち並んでいる林に向かって吠えたかと思うと急に走り出した。
突然のことに驚きリードを離してしまい、そのまま犬は林へ入り、どこかへ行ってしまった。
めったに走ることなんてないのに、と困惑しながらも犬の名前を呼んで彼女もまた走り出した。
そうして林を抜けて辿り着いたのがこのレストランだ。
はて、こんな場所にレストランなんてあっただろうかと首を傾げながら洋館を見上げる。
灯りはついているから開店はしているらしい、人気は感じられないが。
周りは民家もない寂れた場所なのでより一層そう感じてしまうのかもしれない。
ふと走り去ってしまった愛犬を思い出し辺りを見渡した。
この辺には愛犬の姿は見当たらない。
誰かから聞き込もうとも、目の前には不気味なこの洋館だけ。
極力入りたくはないが少しでも情報を得られれば、と彼女は意を決してドアノブに手をかけた。
その時だった。
大きめのドアが音を立ててゆっくりと開く。


「…!」
「ようこそ、怪談レストランへ」


ドアが開いただけでも驚いたのに、更に驚いたのは正面で出迎えていた物を見たからだ。
白くて丸くて浮いていて。
目は細くて口は三日月の形のように笑っている。
幼い頃に頭の中で想像したお化けのイメージと同じだったが、違うと言えば蝶ネクタイをしていることだろうか。
彼女は思わず後退る。


「ひ…っ、お化け!?」
「当たらずとも遠からず、ですかね。私はお化けギャルソンと申します」
「…ギャルソン?」
「左様でございます」


そのお化けギャルソン、という物は見た目のままの名前のようだ。
呆気に取られて固まっていると丁寧に深々と頭を下げるお化けギャルソンに彼女も釣られて頭を下げる。
…じゃなくて、と彼女は当初の目的を思い出し、頭を数回振ると唾を飲み込んだ。
信じられないような状況だが、ここはお化けが給仕係をしているらしい。
少しの間彼女はためらったが、ギャルソンに訊く。


「あ、あの…っ、申し訳ないんですが私、食事にきたんじゃないんです」
「と申しますと?」
「散歩をしていたら犬が逃げてしまって、見つからないんです。走って行った方向がこっちだったのでもしかしたら見かけた方がいるかと思って…。赤い首輪をしたブラウンのラブラドールです」


本物かどうかも分からないお化け相手に必死になって息もつかずに説明をする。
だが彼は笑顔を崩さなかった。


「残念ながら私は見ておりません。お役に立てず申し訳ありません」
「あ、いえ…」


勇気を出して入ったというのに何の手がかりも得られず大きく肩を下ろした。
だとすれば更に林の奥に行ってしまったのかもしれない。
完全に太陽が沈む前に早く探しに行かなくては、と口火を切ろうとした時だった。


「その代わりと言ってはなんですが当店のお料理を召し上がってはいかがです?」


目の前のお化けがそう言ってきたので慌てて手を振る。
早く探しに行きたいのもあったが、正直こんな不気味な雰囲気なレストランが出す料理が怖かったのもある。


「代金は結構でございます。それに焦ってばかりでは逆に足を掬われてしまいますよ?落ち着くためにも一度お召し上がりください」


しかしお化けギャルソンは頭を下げて食いついてくるのでつい押し黙ってその場に棒立ちになってしまう。
言われた事が図星だったからだ。
愛犬のことを見捨てる訳ではないが、周りが見えない今の状態で探していたら返って姿を見落としてしまうかもしれない。
焦りの気持ちを吐き捨てるように深く深く息を吸って吐くと、やけに落ち着いてきた。
目の前で浮遊するお化けギャルソンに目配せすると申し訳なさそうに呟いた。


「…じゃあ、少しだけ」
「ありがとうございます」





そうして通された席はいたって普通のテーブルだった。
内装も外見とは裏腹にこじゃれた洋風のもので彼女を驚かせた。
ただ自分以外には客はいないようで物寂しい雰囲気を漂わせてはいるが、それが厳かな空気を醸し出している。
そしてお化けギャルソンに出された料理もこれまた彼女を驚かせた。
食前酒、前菜と始まりまるで料理番組でしか見たことのないような煌びやかなフルコースを出されたのだ。
これでお代はいいのかと何度も近くにいたお化けギャルソンに訊ねてみたが、人に良さそうな笑顔で「結構でございますよ」と言うだけだった。


「本当に美味しいですね!私こんな料理初めてです」
「お褒めの言葉ありがとうございます」


デザートのシャーベットを食べ終え、息をついてから素直にそう言うとお化けギャルソンも満足げに頭を下げた。
どの料理も今までに食べたことのない美味しさで、まさに頬が落ちるほどの美味さとはこのことをいうのだと一人で納得する。


「これでお代はあなたの魂だ、だなんて言われたらどうしましょうか」
「私はそういうことをしない幽霊ですので、ご安心ください」


お化けギャルソンとそんな会話をできるほど余裕を持ててきた時だった。


「…あれ」


いつの間にかレストランの席に誰かが座っている。
そんなにも食べるのに夢中で気付かなかったのだろうか。
よく見てみるとそれは少年のようで、俯いているせいか綺麗な金髪で顔が隠れて見えない。
じっとその席に座る姿は、まるで誰かを待っているようで。


「あぁ、あの方ですか」


視線に気付いたお化けギャルソンが素っ気なく呟く。


「あの方は随分と前からこのレストランに通っている常連客です」


その台詞に何か違和感を感じた。
途端にその違和感は不安を煽り、訊いてはいけないと脳で信号を出していたのに口が勝手に質問を投げ掛けていた。


「随分って…どのくらいですか」


それを聞いたお化けギャルソンはさっきとは違った笑みを見せて言う。


「自身を見失うほどとでも言いましょうか」


それはまるで皮肉めいた笑み。
彼を嘲笑い、しかし自嘲気味なその笑みは酷く歪んでいる。


「ある一人の従業員に全てを捧げてしまい、見ての通りこの世のものではない存在と成り下がってしまった人間の末路が彼なのです」


彼女は改めて離れた席に座る彼を見つめる。
さっきの違和感は、この世の存在ではないことを感じていたのかもしれない。
見た目は普通の少年なのに、どうしてこんな結果になってしまったのだろうと思うと胸が苦しくなった。
しかしそこまでさせた、お化けギャルソンの言う『ある一人の従業員』とは誰のことだろうか。
少年がああなってしまうほど…。


「貴女はそうならないよう、用心してくださいませ」


思考を巡らせているとお化けギャルソンがそう呟いたので顔を向ける。
が、そこにいた筈のお化けギャルソンは居ず、変わりに同じ場所に人が立っていた。
ゆっくりと視線を上に上げていけば、黒い服装をした、白い顔の人物がそこにいた。


「もう二度と迷い込んだりしてはいけませんよ」


目が離せず固まっているとその人物は先程と話していたお化けギャルソンと同じ声をしている。
それに気付いた彼女は何か言おうとして口を開いたが、彼の細い人差し指が寸前のところで止まり、喋ってはいけないと訴えかける代わりに笑顔を向けられた。

その笑顔は言い表せないほどの美しさ。

息が詰まるほどの甘い笑顔に思わず彼女の頬に熱が溜まる。
瞬間、ぞくりと寒気に似た嫌な感覚がして何気なく背後を振り返った。
そこにはさっきまで座っていた筈の少年が。


「ねぇ、ギャルソンさん。そんな人相手にしてないで僕の所へ来てよ」


近くにいる彼の顔ははっきりと見えた。
金髪から覗く冷ややかな碧い目。
その目と視線が合った瞬間、喉に何かが飛びついてきたと思ったら息が出来なくなった。
飛びついてきたのは少年の手で、息が出来ないのは強い力で喉を絞められているからだ、と知るよりも先に彼女の意識は途絶えた。


暗転。





…ワン!ワン!
犬の鳴き声がして気が付くと、さっきまで散歩をしていた林の手前の道の所で立っていた。
すぐ横には探していた筈の愛犬が利口そうに座っていて、腰をおろすと愛犬を力いっぱい抱きしめる。
先程までの出来事は夢だったのだろうか。
愛犬は逃げなかった、それを追ってレストランに辿り着かなかった、そこで…。
そう思い起こしてみたらなにかぼんやりとかすみがかったように記憶が曖昧になる。
もしかしたら本当に何もなかったのかもしれない。
現に隣で座っている愛犬は不思議そうに自分を見つめている。
大きく息を吸い込んで立ち上がりリードを握る。


「さ、帰ろうか」


既に日が落ちた暗い道を歩き出した。


ただ口にはシャーベットの甘さが、
頭にはあの不思議な二人の姿が、
そして喉元には手のひらの跡が残っていた。





fin.


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