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侘び言葉に戯れ言葉
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あの人は自分は寂しさを持ち合わせていないと言った。
いつも座っている席に当たり前のように腰を下ろすと無意識のうちに厨房へと目を向けていた。
この席に座るのもこの光景を見るのも久しぶりだ、なんて頬杖をついて今頃あの人はなにをしているのだろうと奥を覗く。
するとあの人はさっき落としたカップの破片を屑籠に捨てているところだった。
割れた破片が心地の良い音をたてて籠に吸い込まれていく。
拾った時には気付かなかったけど、あれはいつも僕に出されていた紅茶のカップだ。
上品な柄で、それでいてあまり自分を強調し過ぎないカップのデザイン、それなりに気に入ってたのにな。
拾い上げた時何気なく破片の内側を見て驚いた。
くっきりついた茶色の輪。
あれ、こんな柄だったかなと一瞬思ったけどすぐに違うって気が付いた。
きっと紅茶を入れたままほったらかしていたんだろう、だから…。
その時気が付いた、あの人の横顔に。

寂しさは持ち合わせていないって言ってたくせに。

あの人の表情は苦しげで、それこそ寂しげに捨てたカップを見つめていた。
いつだって笑ってたのにそんな表情を見るのは初めてで。
途端にこの数週間自分がやった行為に後悔してしまう。
毎日のように通っていたこのレストランに来なかったのはある企みがあったから。
でもそれをしたことであの人にあんな顔をさせてしまう結果になってしまって無意識のうちにため息をついてしまう。
それもこれも全てあの日からだ。





数週間前のことだ。
いつものようにレストランに出向いて、案の定肩を竦めるギャルソンさんに出された紅茶を片手に怪談話を読んでいたら突然背後に何かの気配を感じた。


「動いたら打つ」


ガチャンと何かを構える音が聞こえて、それはおそらく自分の頭に向けられているのだろうと思う。
けれど何故か緊張感はあまり感じなくて、持ってきていた本をテーブルに出して読むことにした。


「無視するなニャ」
「………」
「いい加減にしないと本当に打つニャ」
「………」
「黙っていればいいと思うニャ!もう堪忍袋の緒が切れたニャ!いけ、メカ金次郎!」
「オレ様に指図するナ!」
「ニ゙ャーーーッ!!!!」


怪談話を読んでいる最中に後ろでものすごい爆発音と共に爆風がやってきた。
おかげでレストランにいたお客さんは悲鳴を上げて散り散りに逃げていく。
ある意味恐怖に包まれた瞬間だ。
僕はというと何事もなかったかのように席に座り続けている。
ただ本のページの間に塵が飛んできたのには気になって軽く払ったけれど。
爆風がおさまって辺りの様子がようやく見えてきたから、瓦礫に埋もれかけてるこのレストランの従業員らしき人物を見下ろした。


「うるさいな。あなたはここのスタッフじゃないの?」


そうクレームを吐いてみたら勢い良くその従業員が立ち上がった。
それは人ではなかった。
何度もレストランに来てたから見たことはある、二足歩行の猫の従業員。
尻尾が割れていないところを見ると彼は猫又ではなく化け猫らしい。
さすがは怪談レストランといったところか。
関心してまじまじとその従業員を見ていたら彼は細い目をつり上げ、毛を逆立てた。


「お前が…っ、いけないのニャ!」


いきなり罪をなすりつけられても困る、大体初対面に近いのにそんなことを言われる筋合いなどない。
訳も分からず半分呆れながら黙っていると従業員は一気に喋りだした。


「お前が来るようになってから支配人は変わったニャ。今までずっときれいな笑顔を見せてくれていたのに、近頃ため息ばっかりニャ!笑顔を奪ってその上支配人にあんな顔させるニャんて!それもこれも全部お前のせいニャー!」


ニャーニャーうるさく喚かないでよ、発情期の野良猫じゃあるまいし。
しかも今の台詞を聞いているとまるでギャルソンさんは自分のものだからちょっかいを出すなって言ってるようなものじゃないか。
…なんだか気に食わない。
まだ何か喚き続ける化け猫に反論しようと口を開きかけたら、騒ぎを聞きつけたギャルソンさんが慌てた様子でこっちにやってきた。
壊れた内装、客の消えたテーブルを一通り見渡した後に、ただでさえ青白い顔を更に青くさせる。


「あ、支配人」
「これは一体どういうことですか化け猫!」
「何って…害虫駆除ニャ」


さっきとは打って変わって嫌な笑みを浮かべた化け猫は僕に尻尾を向けた。
こいつの細目には僕は害虫に見えるようだ、失礼な。
軽く睨み返してやると化け猫は目を背ける。
その様子を見ていたギャルソンさんは重いため息をつくとこめかみをおさえた。


「また身勝手なことを…。化け猫、もう減給じゃ済まされませんからね」
「ニャ!それは堪忍ニャ!」


化け猫の首の後ろを引っ張って持ち上げて減給という言葉に狼狽える彼を厨房に放り投げた。
その細い腕のどこに力があるというんだろう、ともかくいい気味だ。


「お怪我はありませんか、甲本さん」


その光景を他人事のように見ていたら不意に声をかけられてちょっと息を詰まらせた。
軽く腰を曲げて僕の顔を覗き込むギャルソンさんが、近くて。
激しく脈打つ心臓に、ギャルソンさんのことが好きなんだなって痛感した。
おかしいって自分でも最初は思ってた、だけどこのレストランに来る度に自然とあの人の姿を目で追ってしまってから、いつしか頭から離れなくなってしまい。


「心配、してくれてるの?」
「甲本さんは…」


にっこり笑うギャルソンさんに、やっぱり笑顔が似合うと感じた。
けれどそこから出た言葉は、僕から笑顔を取り払った。


「当店の大切なお客様ですから」


あぁこの人のせいで僕は笑顔になったり悲しんだり、本当に大変だ。
好きにならなきゃよかったと思ったことは何度もあった。
だけど心の底では諦めきれない自分がいる。
たとえただの客にしか認識されていないのだとしても。

けれどこうして真っ正面から言われると、とてつもない絶望感に駆られた。
結局僕は迷惑な客、そういう風にしか見られていないんだ。
親しい間柄に、それこそ恋仲になるなんて叶うはずもない。
打ち砕かれた心の中の何かに僕はため息を吐くしかなかった。


「…ふーん、そう」


小さめな返事をすると僕は踵を返してレストランを後にした。
背後から呼び止めるような声が聞こえたけれど、振り向くことはなかった。

それからだ、レストランに行くことを止めたのは。
止めたといってもそれは一時的な話で、三日ほどあけた後に行くつもりだった。
だけど僕が行かないことであの人がどんな反応をするのか興味が湧いてきてしまって、それならばとことん行かないようにしてやろうと思い付き、それから数週間はレストランに行かなかった。





「復讐のつもり、だったのかな」


今思い起こせば僕の企みは成功したと言えるのだろう。
結果的にはあの人にも僕と同じような思いにさせることができたのだから。
でも違う、違う、そうじゃない。
僕が願っていたのはあの人に苦しい思いをさせることなんかじゃなくて、寂しさを掘り起こすことでもなくて、そんな悲しいことじゃなく。
その気持ちを抱いているのはあなただけじゃないんだってことに気付かせたかっただけなのに。


そんな寂しそうな顔をしないでとびっきりの笑顔を僕に向けてよ。
あなたには笑顔がよく似合う。





fin.


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