* 短編小説 *
□ * 七種の船 *
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夏は嫌いだ。
じめじめしてて鬱陶しい。
ガンガン照りつける太陽も腹が立つ。
氷を強請る連中も、机でうだる副官も、何もかもが俺を苛々させやがる。
「…あッ」
終いには浸しすぎた筆から墨がぼたりと落ちて、書きかけの書類が一瞬でパァ。
「ックソ」
修正する気にもなりゃしねぇ。と、ぐしゃぐしゃ乱暴に丸めて屑篭に投げ込めば、速球はミットを外れ背後の壁にばしっと当たった。
「アウト〜」
苛立ちを煽る松本を睨み、俺は盛大な溜息と共に背凭れに身体を預けさせた。
木製のそれは決して居心地がいいとは言えないが、一度背をつけてしまうともう何もする気になれず、俺はただぼんやりと天井を眺める。
しばらくそうしていると、こめかみから汗が流れてきて、拭うついでに額の上に腕を乗せた。
…ダメだ、今日は。
やる気がしねぇ。
…いや、暑さばかりのせいではなく、もうここずっと、毎日毎日息が詰まって仕方がない。
アイツがここに居た頃は、怒ったり笑ったり忙しくて、こんな想いをする暇もなかったから――。
(…ばかか、俺は)
大きく舌打ちかけて、寸前でやめる。
ここには松本も居て、ああ見えてコイツは俺を心配している。
だから、しっかりしろ、と叱咤してゆっくり息を吸い込んだ。
上手くいかない時、落ち着かないとき。こうする癖がついたのは、やっぱりアイツのマメ知識。
(…どうしようもねぇな)
あれから、もう大分経つのに。
市丸がいない。それだけで吐き出すことも、息を吸うことも難しいなんて。
情けなくて格好悪くて、俺はだるいフリで目を閉じた。
☆ ☆ ☆
「寝違えますよぉ。隊長〜」
降ってきた声に俺ははっと目を開ける。
そのままの姿勢でいつの間にか寝ていたらしく、気がつけば松本が冷えた麦茶を運んでいた。
「…どれぐらい寝てた?」
「30分、てトコでしょうか。…すみません、起こしちゃって」
「…いや、助かった」
ぼきごきん、と首を鳴らして水滴を付けはじめたガラスのコップに手を伸ばす。
掴んだ途端氷が崩れ、からんと微かな音が響いた。
ひとくち、ふたくち。冷えた液体が喉と身体を潤していく。
ふぅ、と息を付けば自席に戻った松本がくぃとソファを指差した。
「もう少し寝ます?あたしのソファ、貸しますよ」
「お前のじゃねぇだろ」
呆れ口調といつものやり取り。
口にした事はないけれど、松本のこんなところに救われてるのは、きっと間違いないだろう。
内心感謝しつつ、もう一度首を回して意識を切り替えると、放り出した筆を握り書類の束に目を落とした。
さっきの失敗作を作り直さないと…。と、原紙を探すが見つからない。
そういえばカッとなって捨てたんだっけ。と苦々しく屑篭を見たところで松本が嬉しそうに声を掛けてきた。
「そうだ、隊長。今日は流魂街でお祭りがあるんですよ」
「へぇ〜…。何の祭りだ?」
「七夕祭りです」
何気ない問いの答えに、俺は思い切り息を呑んだ。
七夕。
そうか、今日は。
旧暦の―――。
『なァな、知っとる?日番谷さん。今日は――』
知識をひけらかすでも、世間知らずを諭すでもない声がする。
『知ってるぜ、旧暦のだろ?』
交わした言葉も、預けた背中も、暗い部屋も、上弦の月も。
アイツの笑顔も、そこにあって。
「どうかしたんですか?隊長!?」
一瞬で跳んできたのか、松本が俺の肩を掴んで覗きこんでいた。
その真剣な瞳に意識が戻る。
戻される。
「………声、でけぇよ」
素っ気無く払い、俺は立ち上がった。
心配そうな視線から逃れる為に、束になった書類を胸に抱え込む。
「届けて来る。ついでに見回りに出るから、お前は適当に帰っていいぞ」
待って下さいとか大丈夫ですかとか、もう何も言われたくなくて振り向かずに戸を閉めた。
心配する松本には、…悪かったけど。
だけどどうしたらいいか解らないんだ。
市丸を、思い出したくないわけじゃない。
思い出したいわけでもない。
ここにいない。お前がいない。
その現実に未だ心が慣れないだけで。
だからふとした時に甦る。
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