* 短編小説 *

□ * バレンタインにはざわめきを *
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年中無休、二十四時間営業の護廷十三隊も、僅かな見回りを残し殆どが眠りにつくとある深夜。

小さな人影がするすると夜道を駆け抜ける。


本当は屋根上を渡ったほうが早いけれど、守衛に見付かると実に困る。

極力誰にも見られたくない日番谷は、街灯の届かぬ闇を休むことなく走っていた。


自隊から中央沿いに十一、十二、十三…、と逆回りに各敷地を通って来たのだが、ここからは本拠地、つまりは隊舎内を行くしかない。

そうなると万一の場合も散歩を装うわけにはいかないし、今まで以上に気を引き締めなければ。



すぅ、と一度呼吸を整え、日番谷は一足飛びに壁を越える。勿論先に霊圧を探り、誰もいないことは確認済みだ。

ただ、見回りの中に自分同様霊圧を遮断している者がいればどうしようもない。とはいえこれは、高等技能。そう易々と使えるような技ではない。


案の定、壁の内側で自分を待ち構えているものはいなかった。

ひとまず潜入に成功し、ほっと胸を撫で下ろすと再び少年は走り出す。



速度を緩めることなく隊舎内に気を配れば、ところどころに点る、部屋の灯り。

それを見て、日番谷は小さく苦笑した。



『今日は空気が華やいでいる』


いつもならばひっそりとしているこの時間。にも関わらずそんな風に思うのは、自分自身このイベントに気を取られているからだろう。



そう、明日は愛を伝える日、バレンタイン。

つまり今夜はバレンタイン・イヴ――。



(…何やってんだ、俺)


本来ならば貰うべき立場にいる自分が、何故息を詰めてこんな所を走っているのか。

霊圧制御にまで気を配る己がだんだん情けなくなってきて、日番谷はぶんぶんと首を振る代わりに手にした箱をぎゅっと握った。








☆ ☆ ☆





さて、時は数時間前に遡る。



「え!?」


甘い物は暫くいいわ、と買い込んだ煎餅の袋をばりっと開けて、松本は日番谷を振り返った。


今の返答のどこに驚いたのか解らなくて、少年は湯呑みを口に運びながら「なんだよ?」と視線を流す。

その先の副官は、破いた袋を見下ろしてぱちぱちと瞬きを繰り返すと、一枚も食べることなくそれをたたんで机に置いた。


そして神妙な顔で向き直る。



「隊長」

「………なんだよ」


寄せた眉根が気に掛かり、今度は躊躇いがちに同じ言葉を繰り返す。

一体何がまずかったんだ?



「明日はバレンタインですよ?」

「…だからどうした」


途端、少年は苦虫を噛み潰したような顔になった。

何しろこの単語、今月に入ってから毎日のように聞かされている。それこそ耳にタコが出来るほどだ。


(本人的には)さり気なく話題に載せる恋人と、練習中なの!と味見をせがむ幼馴染と、当然三倍返しよね!と企む副官と…。

ともかくどうしても逃れられないこの行事。毎年山のように受け取るから、というのもあるが、年々嫌いになっていくのは奴等のせいではないだろうか。



「まさか知らなかったなんて…」


うんざりとした顔を見て、松本は溜息交じりにそう呟く。



「んなワケねぇだろ。…つーか、もうこれ以上知りたくねぇよ」


聞く気はないと皺を深くする日番谷に、松本は「違います」と首を振ると、きちんと椅子に座りなおし、背筋をぴんと伸ばして膝上で手を重ね合わせた。

その、滅多に見られない真面目な態度に、日番谷もつられて湯呑みを置く。



「隊長は、バレンタインってどんな日だと思います?」


場所にも表情にも似合わぬこの話題。「バカ野郎」の言葉と共に切り捨て損ねた日番谷は、妙な迫力に気圧されて思わず答えを探してしまった。



「好きなおと…ヤツに、チョコレートを渡す日、だろ?」


好きな男、と言いかけてひとりの顔が浮かんでしまい、慌てて難しい顔をこしらえる。

それに笑いそうになるのを抑えつつ、松本は静かに頷いた。



「そうです。だから隊長、片想いのコだけのイベントじゃないんですよ?」

「…そうなのか?」

「そうです!だから『予定はねぇ』とか言ってないで、買うなり作るなりして下さい」


どうやら、明日のスケジュールに対する受け答えがお気に召さなかったらしい。

やたらと力の入ったその言葉に、日番谷はふむ、と腕を組んだ。


思い浮かぶのは、アイツの顔。手渡す場面を想像すると、ぱぁぁ!と表情を明るくさせて、嬉しいと喜ぶ狐顔。


…まぁあげてもいいケド。

でも自分にそんな恥かしい真似が出来るとは思えない。どうしようか、と思案していたところに、松本が追い撃ちをかけるように声を潜めた。



「それにね、隊長。一番最初のバレンタインは重要なんですよ」

「…重要?」


小さく問い返せば、松本がちらりと入り口のドアに目を遣った。まるで誰もいないことを確認するかのようなその素振りに、なんだか気を惹かれて日番谷は続きをじっと待つ。

内心、掛かった!とガッツポーズを作りつつ、自席に両腕をついて身を乗り出す松本。



「いいですか?十三日の夜にチョコを相手の枕元に置くんです。匿名で、勿論見つかったらだめですよ?」

「…匿名にしたら、誰からか解らないじゃないか」

「そこですよ!」


急に声を高らげた副官に、倣って身を乗り出していた日番谷はびくっと身体を跳ねらせた。

握りこぶしを作る相手に完全に主導権を握られている事にも気が付かず「それで?」と促せば、語り手は再び神妙に頷き口を開く。



「隊長だったら、差出人不明のチョコレートが朝枕元にあったらどうします?」

「気味悪ィ。捨てる」


容赦の欠片もない一言に、松本は苦笑いを浮かべつつ「でしょう?」と同意して、「でも」と続けた。



「自分の恋人が届けてくれたとしたら、どう思います?」


この寒い夜に、わざわざ隊舎を抜けて自分の為に。

誰よりも早く、誰よりも特別なチョコレート。

それを貰えたら、自分ならばきっと嬉しい。


…それに、アイツに自分からだと気が付いてもらえたら、多分とても嬉しいだろう。



「……」


無言で何やら考えている日番谷に、松本はにっこりと微笑んだ。


何だかんだ言ってもまだまだ人生経験の乏しい少年。

大人の手に掛かればちょろいものである。



「さっ、隊長!善は急げ!チョコレートを調達しに行きましょうっ!」


すっくと立ち上がると素早くその背後に回り、まだ眉間を寄せる日番谷の肩に両手を乗せて、ぴ!とドアを指差したのだった。



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