* 短編小説 *

□ * 夜だけが知っている *
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年の瀬の、ある日。
日番谷は一人執務室で筆を握っていた。
真面目に職務に励む十番隊(副官除く)といえども、やはり十二月は忙しい。
それでも他隊程激務を強いられていないのは、日頃の積み重ねの賜物だろう。

例えば、書類仕事と縁がないと言ったら真っ先に名のあがる十一番隊は、先日から総隊長が日に三度見回りに来ると聞いたし、ふらふら逃げていた京楽も、夕方伊勢に耳を引っ張られて連行されていた。
そうなると、サボリの常習犯であるアイツも、今頃は吉良に睨まれつつ机に向かっているのだろうか。

くるり、と回転式の椅子を滑らせて窓の外に目を向けると、黒のような藍色のような闇が日番谷の目に飛び込んできた。
夜の色はいつでも同じはずなのに、空気が澄んでいる分だけ闇が濃い。
それに四季を感じながら、日番谷は立ち上がると窓を開けた。


「さみー…」


温まった身体に外気は酷く堪えるが、肌を刺すようなそれが気持ち良くて、すう、と大きく息を吸い込む。
冷たい空気は瞬く間に身体の中を浄化して、疲れた身体にしゃんと一本筋が通ったような気がした。

見上げれば、空一面に散った星が淡く光り、吐く息は白く闇に溶ける。
すらりと伸びる木々の葉すらぴくりともしない無風の夜に、煌々と輝く月がぽっかりと浮かんでいた。

今日は、文句なく美しい、月夜の晩。
でも、大切な人と寒さを凌ぎながら見るそれは、もっと美しく感じるのだろうか?


「ったく…」


らしくない己の思考に顔を赤らめ、ぱん、と軽く両手で頬を叩くと、日番谷は窓を閉めようとして――手をとめた。


「………」


しばらく遠くの木立を見つめ、椅子を引いて席に戻る。
寒気に紛れて察知した僅かな霊圧に注意を向けつつ、何食わぬ顔で再び筆を走らせ始めた。

やがて、楽しげな声がひとつ、背をたたく。


「この真冬に窓開け放しとんのは、日番谷さんぐらいやで?」


柔らかな京訛りに、日番谷は手を休めず唇を緩めた。


「いいだろ、別に。てか仕事はどうした」

「とうに定時過ぎとるやん。今時分働いとんのも日番谷さんぐらいやわ」

「んなわけあるか。第一、そういうのは日頃真面目にやってるヤツが言うもんだ」


いけしゃあしゃあと答える相手を振り向けば、声の主は窓の外でにこにこと笑っていた。

執務室からまんまと逃げおおせたのか、それとも今日一日副官との鬼事に勝ったのか。
急な来訪に心踊る反面、吉良の不憫さに複雑な顔をしていると、当の本人は怪訝そうに室内を見回していた。


「そういう日番谷さんこそ、一人なん?」

「あ?…あぁ、松本は先に帰らせた。あと少しだから一人で十分だしな」

「ふぅん。優しいんやねー」

「…バーカ」


わざとらしく棒読みになる子供っぽさに苦笑すれば、市丸がおもむろに手を伸ばす。


「わ!」


そのまま長い腕に肩を抱かれ、たたらを踏んだ日番谷の視界はあっという間に暗くなった。
乗り出した身体が作る影が、翡翠の双眸から夜の闇も、星の瞬きも、月の光も奪ったから。


「お、おい!」


予期せぬ行動。しかも夜遅くとはいえ、いつ誰に見られるかも解らぬ場所。
そんな所で抱き寄せられて、日番谷は慌てて腕を突っ張る。


「市丸っ」

「ほな…、これならええ?」


狼狽する日番谷をよそに、市丸は細く絞った鬼道で一つづつ灯りを消していく。
しっかり頭を抑えられ、無駄だと知りつつ日番谷は月明かりの中で低く呻いた。


「…消せばいいってもんじゃねぇ」

「まぁまぁ。少しぐらいええやろ?」


思った通りめげずに強請る市丸の、凍えた身体が少年の高い体温をじわりと下げる。
それだけで寒さを凌ぎながら云々と赤面していた日番谷は、大きな抵抗が出来なくなった。


(――ん?)


ぐいぐいと胸を押していた力が僅かに弱まり、市丸はオヤと少年を伺う。
いつものこの子ならば、大人しく腕の中に納まるとは思えない。
しかし今日は、これ以上の抵抗がなさそうに見て取れる。

ならば――、と市丸は腰を折って、冷えた頬を柔らかいそれにぺたりと合わせた。


「ひゃァ、ぬくーい」

「オィ……」

「だってー。寒いんやもん」


呆れる日番谷に甘えた声でダメ?と訊けば、首筋に小さな息が掛かった。

どんな心境の変化か解らないが、引き剥がされないのを良い事幸い、市丸は滑らかな肌に頬を滑らす。
何しろこんな風に抱きつけること自体珍しく、それを逃す手はないのだから。

窓の内と外で、いつもより身長差がない分顔が近い。
思案するようにすぼめられた唇の可愛らしさに、もう少しいけるかも…などと更に欲が出てきた頃――。


「…ひ、日番谷さん?」


市丸の声が裏返った。
どうしたことか、市丸が仕掛けるより早く躊躇いがちな腕が背後に回り、照れ隠しのような強さでぎゅぅぅ、と抱きついてきたのだ。

思いがけない行動に唖然とする市丸に、しがみついた日番谷が自棄のような声を上げる。


「さっ…寒いからだ」


市丸と違い、抱きしめることひとつにも日番谷には理由が要る。
たとえそれが、言い訳にすらならないようなものだとしても。


「…ほな、温めあおか?」


額にちゅうとキスをして、満面の笑みで抱き返す。
完全に胸に埋めてしまった顔は耳まで赤く、固く握り締められた羽織の背中は、きっと皺くちゃになっているだろう。


ここに来る、少し前。
執務室から見上げた空はいつもよりも深く蒼く、浮かぶ寒月の冴えた輝きに、市丸は知らず知らず見惚れていた。

何重もの月虹を湛え、闇に浮かび上がる姿は凛としたあの子に似てる。
そう思ったらいてもたってもいられなくて、吉良の目を盗んで抜け出した市丸は、遠くで月光のような霊圧を感じ取り――、今こうしてここにいる。


(――――あ、)


不意に何かに思い至り、市丸は見た目よりも柔らかい髪に埋めていた頬をあげる。

もしかしたらあの時、この子も月を眺めていて…。窓が開いていたのは、自分のことを待っていてくれたから、とか?
そんな都合良い考えにくすりと笑うと、気付いた日番谷が小さく身じろぎ顔を上げた。


「…どうした?」

「ううん、なんもー」


訝しげな翡翠を間近で見詰め、市丸は首を振るかわりに髪を撫でる。
そしてくすぐったそうに首を竦めた恋人の、細い顎を指ですくい。



「いちま、」


今度は、言葉と吐息をそっと奪った。






オワリ



→アトガキ

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