* 短編小説 *
□ * 落陽 *
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「……すまない」
薄暗い路地裏で、ふたりの人物が対峙していた。
そう呟いた片方は、死神としてはあまりにも小さな少年。
しかしその身体を包む白い羽織が、少年の実力を指し示していた。
もうひとりは、少年よりも幾分か背の高い死神。
背格好からして女性であるその死神は、少年の苦しげな言葉に身体を震わせ、次いで頭を下げると逃げるように駆けて行った。
その姿が完全に消えた頃、ひとり残された少年…日番谷は、重く長いため息をつく。
何度経験しても、これは気持ちのいいものではない。
人によっては優越感の材料となるのかもしれないが、自分にとっては苦痛でしかないこの出来事。
その、なんとも言えぬ居心地の悪さを目を瞑ってやり過ごした。
―――もうひとり。溜め息の理由がここに居るから。
「…いい加減出てきたらどうだ?」
「アラ。気付かれとったんねや?」
隊長である自分が、小さなとは言え隠されてもいない魄動に気がつかないはずがない。
とぼけた物言いに、ち。と軽く舌打って、日番谷は現れた長身の脇を通り過ぎようと足を踏み出した。
解っていると伝えられれば十分で、それ以上関わり合いになりたくもない。
だがしかし。日番谷の希望を男の腕が遮った。
「……何しやがる」
真横に差し掛かる手前で伸ばされたその腕に、少年は寄せた眉間に力を込めた。
進ませない意図を察し、ぎろりと睨め上げるが相手は一向に構う様子もなく、逆に目線を合わせるために屈みこむ。
そしてにぃ…っと両の口端をくっきりと上げた。
「気にすることあらへんで?…あの子、キミやなくても良えんやから」
「…それぐらい解る。余計なお世話だ」
「へぇ。意外」
からかいを親切心でくるんだような忠告が、日番谷の胸をざくりと抉る。
気が付いていると読んだ上で、敢えて口にするこの男の底意地の悪さに奥歯を擦らせた。
これ以上この場には居たくない。
地位に群がる女共も、ねっとりと絡み付くこの視線も胸糞悪くて仕方がない。
「それが用なら」
「ほんなら、」
失礼する。そう言いかけた日番谷に、男が強引に言葉を被せた。
苛立ちに舌打つ少年に、男が再びにたりと笑う。
「ボクと付き合わへん?」
その予想外の言葉に少年は低く唸った。
「…何言ってんだ、てめぇ」
「えー?お互い良え虫除けになると思うんやけど」
「…だったら松本にでも吉良にでも頼みゃいいだろ!?」
「んー。どちらもありがちでつまらんし。それにノイローゼになられても困るやんか」
でもキミとなら。
やっかみも等分。隊長同士、丁度良えやろ?
そう言ってけらけらと笑う男に、日番谷はぎゅうと手のひらを握り締めた。
この男はいつもそうだ。
何かにつけて自分に絡んでくるくせに、目的ときたらまるで不明。
ただ遊び相手にしてるのか、気に食わないだけなのか。
…その極め付けがこれなのか。
握り締めた手がぶるりと震える。
目ざとい相手が一層唇を歪ませた。
ああ、でも。そんなのはどうでもいい。と日番谷は思い直す。
自分はこの男が大ッ嫌いなのだから。
「いい加減にしろよ、市丸…」
苛立ちを凌駕した少年の、薄翠の霊圧が立ち昇った。
それを楽しげに眺めて、市丸は踊る髪に手を伸ばす。
霊力に護られた銀髪は、触れる前に静電気のような痛みを与えたけれど、市丸は構わずそれに指を絡めた。
そして力任せに引き寄せる。
「っ!」
「…解らんの?キミ無防備すぎやで。せやからボクが護ったる言うてんねん」
「…なっ…!」
「ほんまやん。あんな子近づかせよって…。まぁ、キミ。ちょろこそうやもんなァ」
首筋を撫でるような低音に身が竦みそうになるのを懸命に堪え、日番谷は腕を払い距離を取る。
「…っざけんな…!」
霊圧を上げての威嚇をなんとも感じていないのか、市丸は消えた髪を確かめるかのように、ゆっくりと手のひらを広げた。
ザァ、と吹いた夕風に、その中に残されていた数本の銀糸が宙を舞う。
「…残念。振られてもうた」
それから視線を日番谷に移し、市丸はわざとらしく肩をすくめてその場から消える。
――考えといてや。
微かな笑いを耳に残して。
「…ッ」
再びひとり残された少年は、怒りを込めて拳を壁に叩きつけた。
…それで何かが変わるわけでも、治まるわけでもないと知りながら。
夕闇に紛れるにはこの羽織は目立ち過ぎる。
茜に染まった白に目を落とし、市丸は片頬を僅かに持ち上げた。
夕方の冷えた風に煽られて、少年と同じ銀の髪が小さく揺れる。
壁に背を預けたまま暮れ行く空を眺めれば、顔面も眼球も、全てが朱に染まって焼かれているような気分になった。
暫くそうしてから、左の手を胸の前でそっと開く。
少年の柔らかく揺れる髪の感触を握りこんで、顔を上げた。
またひとつ、辺りは宵に沈んでいく――。
→アトガキ
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