戦国無双武将辞書

【ま】 2件

【前田慶次 (まえだけいじ)】
本名:前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、滝川一族の出身、前田利家の義理の甥。武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将だったが、奇矯な振る舞いを好むかぶき者(傾奇者・カブキ者)としても知られた。

逸話/人物
・漫画「花の慶次」で「身の丈六尺五寸(197cm)の大柄の武士」として描かれて以来、体格の良い大男として描かれる事の多い利益だが、実際には身長に関する記述は存在せず、利益所有のものと思われる現存の甲冑も、他の武将の甲冑と比べて特別大きさは変わらない。
・直江兼続との親交が有名
・容姿に関しては、自身が「見た目は大根の様にむさくるしいが」と語った逸話が残っている


【前田利家 (まえだとしいえ)】
荒子城主前田利昌の四男として生まれ、はじめ小姓として織田信長に仕え、槍の名手だった故「槍の又左」の異名をもって怖れられた。その後柴田勝家の与力として、各地を転戦。信長より能登23万石を拝領し大名となる。
信長が本能寺の変により討たれると、後に羽柴秀吉に臣従した。豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、秀吉より加賀、越中を与えられ加賀百万石の礎を築く。豊臣政権五大老のひとり、豊臣秀頼の傳役(後見人)を任じられ、秀吉の死後、対立が顕在化する武断派、文治派の争いに仲裁役として働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力するが、秀吉の死の8ヶ月後に病没した。

逸話/人物
・若い時の利家は粗暴、かつかなりの喧嘩好きで知られ、往来では利家が通ると「又左衛門の槍が来たぞ」との声が上がったという。
・美貌で知られた利家は、小姓時代に信長から寵愛を受け、衆道の相手も務めていた
・豊臣政権では諸大名の連絡役などを務めたこともあり、多くの者達に慕われたという。



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