戦国無双武将辞書

【た】 3件

【武田信玄 (たけだしんげん)】
武田 晴信/武田 信玄(たけだ はるのぶ/たけだ しんげん)。江戸時代から近現にかけて『甲陽軍鑑』に描かれる伝説的な人物像が広く浸透し、風林火山の軍旗を用い、甲斐の虎または龍朱印を用いたことから甲斐の龍とも呼ばれ、強大な武田軍を率いる上杉謙信の好敵手としてのイメージが形成される。現在でも、地元の山梨県をはじめ全国的に高い知名度を持ち、人気を集めている戦国武将の一人である。

逸話/人物
・武田軍の強さは、長篠の戦いで大敗した後も、信長の支配地域において「武田軍と上杉軍の強さは天下一である」と噂されるほどのものであった
・信玄は鉄砲も重視していた。天文24年(1555年)の段階で鉄砲を300挺以上も所有していたと言われる。
・細かい所にも気をつける性格だったようである。


【立花闇千代 (たちばなぎんちよ)】
女性。立花道雪の一人娘として誕生。名前に含まれる『ァ』の字は“慎み人の話を聞く”という意味合いを含めて父・立花道雪が名付けた。道雪は娘に家督を継がせるため、通常の男性当主の相続と同じ手続きを踏み、主家である大友家の許しを得た上で、彼女を立花家の当主とした。戦国時代でもまれな例と言われる。

逸話/人物
・父譲りの武勇に長けた姫という話が多く伝わっており、豊臣秀吉がァ千代を言葉巧みに名護屋城に呼び寄せ手込めにしようとした時などは、それを察知したァ千代がお付きの女中に鉄砲を構えさせて護衛させ、また自らも武装をして乗り込んだ為、それに恐れをなした秀吉は手も足も出なかったとされる。
・父譲りの武勇に長けた姫という話が多く伝わっている。
・夫、宗茂と別居するなど、夫とは不仲であったと言われ、夫婦の間に子供はいなかった。


【伊達政宗 (だてまさむね)】
出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。「独眼竜政宗」の愛称でも呼ばれている。

逸話/人物
・喫煙者で、毎日起床後・昼・睡眠前と、規則正しく3回煙草を吸っていた。
・隙のない印象の政宗であるが、酒にだけは滅法弱く、酔って失敗した逸話がいくつか残されている
・朝鮮出兵時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、京都の住民も伊達勢の軍装の見事さに歓声を上げたという。これ以来派手な装いを好み着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった、と伝えられる。
・料理が趣味。太平の世になると美食を極めるために料理の研究をしていた。政宗は、料理について「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」と言う名言を命期集に残している。仙台発祥の料理が多いのは、政宗の影響と思われる。また仙台城下では味噌倉を建てていたが、大規模な味噌生産体制が行われたのは、これが最初といわれているという。



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