戦国無双武将辞書

【さ】 3件

【雑賀孫市 (さいかまごいち)】
本名:鈴木 孫一(すずき まごいち)は、雑賀衆の有力者の一人。雑賀孫一という名でも知られ、また孫市とする史料もある。

逸話/人物
・石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。
・雑賀衆(さいかしゅう)は、雑賀党ともいい、「さいが」とも読む。16世紀当時としては非常に多い数千丁単位の数の鉄砲で武装しており、きわめて高い軍事力を持って傭兵集団としても活躍した。
・しばしば鉄砲を有効に活用したとされる織田軍も、雑賀衆の鉄砲の技術と量には苦戦し、一度は信長自身も負傷する大敗を喫したことがあった(石山合戦)。


【佐々木小次郎 (ささきこじろう)】
佐々木 小次郎(ささき こじろう)生年不詳。名前についての詳細は不明な点も多い。

逸話/人物
・「巌流」という流派を創始し、細川ガラシャの夫であった「細川忠興」の細川家に仕官。そして宮本武蔵と決闘をするが、その原因は双方の弟子が互いの師匠のどっちが強いかで揉めたためだと言われている。
・通称「物干し竿(この呼び名は「長いだけで斬るには向かない」とする侮蔑的な意味合いがあるため、後世につけられたとみられる)」を使用して、宮本武蔵と巌流島で決闘し、敗死したとされる。
・資料が少ない分、アレンジしやすい人物であるとも言える。


【真田 (さなだゆきむら)】
本名:真田 信繁 (さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。永禄10年(1567年)とされる生年は没年の49歳から逆算されたもので、月日は不明。

武田信玄の家臣であった真田幸隆の孫。大坂の役で活躍。特に大坂夏の陣では、寡兵を持って徳川本陣まで攻め込み、徳川家康を後一歩のところまで追いつめたとされる。江戸期以降、講談や小説などで真田十勇士を従えて大敵徳川に挑む天才軍師真田幸村(さなだ ゆきむら)として取り上げられ、広く一般に知られることになった。

逸話
・信繁の人柄は、兄・信之の言葉によると柔和で辛抱強く、物静かで怒る様なことは無いという、およそ勇猛な武将のイメージとはかけ離れたものであったようである
・徳川家康があの世に行ったら酒を酌み交わしたい人物であると言ったと逸話がある。
・大阪夏の陣では、真田勢の凄まじさに家康は自害を覚悟したほどだったという。



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