戦国無双武将辞書

【あ】 2件

【明智光秀 (あけちみつひで)】
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。本姓は源氏。家系は清和源氏の摂津源氏系で、美濃源氏土岐氏支流である明智氏。通称は十兵衛。惟任光秀。

逸話/人物
・合理主義者同士、光秀と信長は気が合っただろうと推測される。事実、光秀が信長を信奉していたという史料上の記述も多い。
・ルイス・フロイスの『日本史』に、「裏切りや密会を好む」「刑を科するに残酷」「忍耐力に富む」「計略と策略の達人」「築城技術に長ける」「戦いに熟練の士を使いこなす」等の光秀評がある
・家臣を大切にしたことから、光秀直属の家臣は堅い忠誠を誓ったとされる。山崎の戦いでは劣勢にも関わらず奮戦したといわれている。光秀を逃すために、家臣が二百騎ほどで身代わりとなって突撃を行ったという記録がある。
・鉄砲の名手で、朝倉義景に仕官した際、一尺四方の的を25間(約45.5メートル)の距離から命中させたという。
・他に類を見ないほどの愛妻家としても知られており、正室である煕子が存命中はただ1人の側室も置かなかったと言われている。


【浅井長政 (あさいながまさ)】
浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いた。


逸話/人物
・信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害し、浅井氏は滅亡することになった。
・父の久政に不満を持つ家臣達は知勇に優れた長政に期待を寄せ、久政を竹生島に追放して隠居を強要した。長政は家督を強奪に近い形で相続した。
・長女「茶々」は 豊臣秀吉 の側室となって 豊臣家 の跡継ぎ「豊臣秀頼」を生み、「淀君」として権勢を振るうことになる。



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