三国無双武将辞書

【か】 4件

【夏侯 淵 (かこうえん)】
夏侯 淵(かこう えん)字は妙才。正妻は曹操の妻の妹。軍の拠点間の迅速な移動や奇襲攻撃や兵糧監督などの後方支援を得意とした。

逸話/人物
・夏侯淵はしばしば戦勝を収めているものの、曹操は「指揮官には勇気ばかりではなく、時には臆病さも必要で、行動するときは常に知略を用いよ」と戒めていた。
・小説『三国志演義』では、早くから登場し、剛直で弓術に長けた猛将として描写されている。銅雀台落成の余興では、的に当たった4本の矢の真ん中を射抜く腕前を披露。
・夏侯淵軍が馬超を戦わずして逃走させ(諸事情はあるが)、さらに韓遂を撃破し、韓遂に味方する蛮族をも降伏させた。このように夏侯淵は涼州の馬超・韓遂らの勢力を壊滅させて、涼州を平定した。


【夏侯 惇 (かこうとん)】
夏侯 惇(かこう とん)字は元譲。前漢の高祖に仕えた夏侯嬰の末裔という。『演義』では夏侯淵の兄。曹操からの信頼が最も厚かった武将で、車への同乗や、曹操の寝室への自由な出入りが唯一許されていた。

逸話/人物
・14歳の時、学問の師を侮辱した男を殺し、荒い気性を持つ人として知られるようになる。
・性格は清潔で慎ましやかであり、お金が余れば人に配り、日頃から学問や鍛錬に励んだという。
・『三国志』では夏侯惇の前線での武勲はあまり書かれておらず、むしろ民政官や留守司令官としての功績が多く記されている。
・歴史書を紐解くと、前線での戦いは苦手としながらも後方での実務を得意とした武将であったとされる。


【関 羽 (かんう)】
関 羽(かんう)字は雲長。見事なあごひげ、ほほひげをたくわえていたため「美髯公」などとも呼ばれる。

逸話/人物
・信義に厚い事などから、現在では商売の神として世界中の中華街で祭られている。
・関羽は部下には優しいが、同格の士大夫を見下すという悪い癖があり、このことが後に糜芳と士仁の寝返りを招いた。
・武を誇る一方で、学問を好み、『春秋左氏伝』をほぼ暗誦出来る等、文武両道の面を持っていた。
・張飛と並んで一万の敵に相当するといわれているが、一方では、「自分の勇名を恃んで猪突猛進してしばしば兵を失う」(蜀書・廖立伝)という批判もあった。
・小説『三国志演義』では、主人公的存在だけあって、史実に比べ、活躍は非常に華々しいものとなっており、創作の部分も多い。


【甘寧 (かんねい)】
甘 寧(かん ねい)字は興覇。若い頃任侠の道を進み、ならず者を集めて頭領を務め、傍若無人に振舞っていた。そのうち書物を読み改心した。曾孫の甘卓は東晋に仕えた。

逸話/人物
・羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧だと分かったという。
・粗暴で殺人を好んだものの、爽快な人柄で優れた計略を持ち、財貨を軽んじて士人を敬い、手厚く勇者たちを育てたので、彼らの方でもまた役に立ちたいと願った。
・蘇飛や呂蒙、そして孫権の例を見ても恩義には命がけで報いる好漢といえる。
・曹操が濡須へ侵攻した際には、甘寧は前部督となり、百人ほどの選抜隊を組むと曹操の陣営に夜半奇襲をかけた(このとき、渋る部下に対し「孫呉の将軍である俺ですら死を覚悟しているのに、お前らがそうでないとは何事か」と号をかけ、隊を鼓舞したという)。これにより敵兵は混乱し、動揺して引き下がった。孫権は喜び、「孟徳(曹操)には張遼がいて、私には甘寧がいる。丁度釣合が取れているな」と甘寧の武勇と豪胆さを賞賛した。



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