三国無双武将辞書

【た】 2件

【太史慈 (たいしじ)】
太史 慈(たいし じ)字は子義。後に孫策・孫権に仕えた。

逸話/人物
・身の丈は七尺七寸(約177cm)で武勇に優れ、弓を扱えば百発百中の名手であった。
・遠くに見える一人の山賊が木を掴んでいるのを見ると、その手を狙い、掴んでいた木と共に手を貫いたという逸話もある。
・曹操も、太史慈の噂を聞いて、是非家臣に迎えたいと「当帰」という薬草を贈り好条件で誘ったが、太史慈は孫権への忠義を選んで拒絶したという。
・正史では、赤壁の戦い前の206年、41歳で死去した。
・吉川英治の小説『三国志』では、合肥の戦いで張遼に夜襲を仕掛けたものの張遼に察知され城内に攻め込んだところ伏兵の弓兵に、部下ともども射殺されている。
・太史慈はとても親孝行だったと言う。
・孫策と戦いで捕虜となった時、太史慈は「劉ヨウの残党にはまだ有能なのが残っている。六十日以内に集めて戻ってくる。」と約束して出立。裏切りを心配するものもいたが、孫策は太史慈を信じており、その約束通りに戻ってきた。


【大喬 (だいきょう)】
大 喬(だい きょう)正史では大橋。小喬の姉。孫策の妻。京劇では喬靚という名で知られる。

逸話/人物
・正史では橋公の娘で孫策の「妻」としか記述がない。
・妹の小喬と共に皖城を占領した孫策軍の捕虜となり、孫策の妻妾の一人に加えられた。
・結婚後四ヶ月足らずで夫は死亡。
・小説『三国志演義』上では大喬の美しさを讃える言葉として、『月も光を消してしまい、花も恥じらってしまう』とある。



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