とある馴れ初めの物語
□ストックホルム症候群
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「ずっと、起きてたんですか?」
『最近よく魘されてたじゃねぇか。これでも心配してんだぜ?』
「…」
『乗れよ。夜のドライブでもするか?』
ジャズに言われるまま、助手席のドアを開けた。
まだ眠れそうにないし、またドライブというのも悪くないかなと思う。
ユラがシートに座り、ドアを閉めると、ドアは勝手にロックされてしまった。
「あっ…」
『おっと、悪ィ。わざとじゃねぇ…』
勝手にロックされると閉じ込められているようで不安になるからと、いつもはユラが自分でやるのを待ってくれているが、元々せっかちなところがあるのか、うっかりすることがある。
少し慌てた様子のジャズに、ユラはただ首を横に振ることで応えた。
ガレージを出ると、“お気に入り”のコースの方へ走り出すジャズ。
いつか昼間のドライブで見つけたコースだ。
『また、同じ夢なんだろ?』
「…」
『心配すんなって。いずれ見なくなる。』
無口なユラに、一方的にジャズが話しかける。
いつになればあの悪夢を見なくなる夜が来るのか、いつになれば、怯えず、誰にも干渉されずに過ごせる日が来るのか、“いずれ”という不確かな言葉に、溜め込み続けた感情が溢れた。
『…泣いてんのか?』
目立つことをせず、逆らうということなどしたことがなかった自分が、あの時何故か避難指示を無視した。
わけもわからず拐われ、戦闘に巻き込まれてしまった。
今でも何度も甦る『お前は俺のものだ』という台詞、
冷たい手のひらの感触…
命が尽きるまさにその瞬間、偶然にも目が合ってしまった。
ジャズには、そのことや夢の内容は話していない。
自分が、メガトロンに対して感じている恐怖ではない何かのことも、話していない。
何度も話そうと思っては、何かが引っ掛かって話すことができないでいた。
『どうした?今夜はいよいよヤバいって顔してるぜ?』
「あ…あの…」
話せば楽になるだろうか?
夢を見たあとの、胸に残る熱がなんなのか、ジャズにはわかるだろうか?
自分はなぜ、それを話すことに罪悪感のようなものを持ってしまうのだろう…
ジャズを信頼しているはずなのに、まだ相談することもできないでいるのは…
『いったいどうした…』
「ゆ、夢、なんですけど…いつも同じで、その……っ…」
『ん?』
「同じ…夢で…」
思いきって話そうにも、その名前を口に出すことさえできない…
名前を呼んではいけないような気がしてしまう。
何か、良くないことになりそうな気がしてしまう。
言葉を詰まらせるユラの代わりに、ジャズがその名を口にした。
『メガトロンか…?』
ジャズが口にしたその名前に、また胸を締め上げるようなあの熱を感じた。
記憶にある手のひらは氷のように凍てついていたというのに、思い出すそのたびに体は熱をあげてしまう。
「はい…」
ユラは、返事をするのがやっとだった。
ボロボロと、まるで涙腺が壊れたとでもいうように大粒の涙が流れていく。
『…悪ィ。怖がらせちまったか…』
「ううんっ…そうじゃなくて…」
夢を見るたびに、冷えきった金属の感触をリアルに思い出す。
夢で現れる場所は違っても、必ずその冷たい手に触れられることに変わりはなかった。
トラウマであるはずが、恐怖以外に別の感情があって、それが何であるかを知りたいようで、知ってしまうことに怯えている自分がいる。
本当はそれが何であるかを知っていて、理解することを拒否しているような…
「あ、あのっ…」
『どうした?言ってみな?』
おそらく、自分は感づいているのだと思う。
「…ずっと、胸が苦しくて…熱くて…押し潰されそうで…」
『…』
この感情が何なのか、理解することを拒んでいるだけなのだと思う。
おそらく誰にも理解されないし、批難されることかもしれないと、心の奥に押し込んで、無かったことにしようとしているのだと…
「もう、どうにかなっちゃいそうで…わけが、わからないんです…」
絞り出した言葉を、ジャズは黙って聞いていた。
吐き出せば楽になると思ったが、少しの沈黙にさえ何を言われるのかとビクビクしてしまう。
一通り話したところで嗚咽を堪えようとするユラに、ジャズは小さく呟いた。
『…そういうセリフは、迂闊に言うもんじゃねぇぜ?』
「え…?」
町が見下ろせるお気に入りの場所に来ると、ジャズはロボットモードに変形し、ユラを足元に降ろした。