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□溺れ愛(短編)
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『…………好き、だよ』
前を歩く後ろ姿がずっと遠くに行ってしまいそうで、隠してきた感情を零してしまった。報われない愛の言葉は渇いて聞こえて、次に来る拒絶の言葉を待ちながら、俯いて苦笑した。
明日もまた同じ一日が来る。家は隣同士だし、幼なじみだし。断られたとしても離れてしまうような緩い関係じゃない。いうなれば僕は兄弟のような存在に恋をした。枯れた花に水をやり続けるような恋。諦めるより前に無理な願いを持って明日もまた君にいつもと同じ表情を見せて笑わなくちゃいけない。
(……辛いな、辛い)
それでも離れられない。女々しい自分を押し殺す孤を描く口元が不器用に思えた。
暫くの沈黙が長い。いっそ逃げてしまおうかと顔を上げれば君が僕を見ていた。黒耀石の瞳から目が離せなくて、何を考えているかも読めない。
気持ち悪るがられているかもしれないと嫌いになられたかもしれないと。さっきまでの妙な自信はなんだったんだろう。
(離れられない関係?…誰が?)
離れられないのは僕だけだ。
思考が停止する。後悔というのは後からするもので、今離れる覚悟もないのに取り返しがつかない。苦しくなる息を飲むように唇を噛んで走った。
全力疾走、逃げた。逃げたい。 もっともっと早く、走って
答えなんて欲しくない
(……何にもいらないから。この感情も報われなくてもいいから。いっそ…もう捨ててしまいますから)
走った。もうどこかも分からない。後ろを見ても誰もいない。期待なんて初めからしてなかったけれど、呼吸が苦しくてもう足も動かない。こんなに走ったこと人生で一度もない。
無理矢理歩きながら誰もいない道に出た。辺鄙な道、こんな場所ならきっと誰も来ない。誰も、透夜も来ない。
「……ふ、あぁ、う、う、あっ」
空だけ青くて憎らしい。僕の好きな人、透夜。好き、好きだ。口が悪くて暴君で無茶なことも言うけど、どうしようも無く好きで。 君が僕を隣に置くから勝手に舞い上がって、幼なじみだからと余裕ぶっていた。
「も、……や、やだ。やめ……たい」
捨て場所があるなら教えて欲しい。君が笑う瞬間、頭を撫でる仕種、名前を呼ぶ時。高鳴る心音を捨ててしまいたい。
(そうすれば、君と離れないでいられる)
冗談だと言えば良かった。逃げないでそう言えば間に合ったかもしれない。しゃくりあげて子供みたいに泣いた。お菓子を買って貰えない小さい子みたいに我が儘を鳴咽と一緒に繰り返して、目が溶けそうだった。最初は止めようと擦った瞼が痛い。腫れた瞼を少し開くとさっきよりも空が狭く思える。
「……も、いらな、い。いらない!こんな、こんな感情……いらない!」
「っ、勝手にいらないとか言うな」
足音に気がついた瞬間に強引に引き寄せられた。頭が固い何かに包まれるような感触の後に聞き慣れた舌打ち。誰かなんて見なくても分かる。後ろから抱きしめるみたいに捕まえられて、耳に珍しく息切れをした透夜の掠れた声が響いた。
「……いらない。いらないよ!だって。僕は……僕はね」
君とずっと一緒に居たい。言葉にならなくて変わりに唇を強く噛んだ。
「……僕はね、なんだよ。言えよ、最後まで。真澄の癖に俺に隠し事してじゃねぇよ」
なんだよ、それと思いながら首を横に振った。また舌打ちが聞こえてまた嫌いになられたかましれないと思うと涙がまた溢れてきた。
「なんで言えないだよ、……っ今になって逃げるのかよ!」
「……なんで分からないんだよ、馬鹿!好きなんだよ、大好きなんだ。でも、……透夜と居られないくらいならこんなの。……一緒に居たいだけ、もう、それだけ」
透夜の怒声に触発されるみたいに叫んだ。伝わらない、繋がらない、絶望感の中で何かに手を伸ばすみたいに張り上げた声は悲鳴みたいに空に響いた。
「それだけなんて……冗談じゃない」
後ろから捕まえていた僕を自分の正面へ力付くで向ける透夜。初めて見る表情をしていた。辛さと苦しみで煮え切らないような顔。
「透夜?」
「冗談じゃない。……なんでだよ、もっと欲を出せばいい!欲しがれよ、俺を。俺だけしか見ないように……溺れて。愛せよ」
強く抱きしめられて透夜が肩を震わせているのを知る。愛せよと懇願する声で酷く幸せな夢を見ているようだった。
「最初から溺れているよ、透夜。ね……愛してる、ずっと、ずっと前から」
抱きしめ返す手。ずっとこうしてみたかった。君が僕に触れることはあっても、僕から触れることは殆どなくて。温度を分け合うみたいに、存在を確かめみたいに触れ合うそれは特別だった。
(もう……離したくない)
ただ、そう思う。僕より大きな身体も綺麗な目も、その手も。全部僕のものになって欲しい。離したくないというのはそういうことで。君が初めて見せてくれた僕への感情が切ない恋を拾い上げてくれた。
その日、君と手を繋いだ。低体温の君の手と子供体温の僕の手が混ざれば温い心地良いものになる。そう知ったのは告白をした帰り道。僕等はもう戻れない、溺れるように恋をした。