本当に不可解なおとぎ話

□サンタクロース
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普通の人はサンタクロースの存在を何歳まで信じているのだろう?

私の場合、物心付いた頃にはすでに、サンタクロースは存在しない架空の人物と教えられており、実在を信じていた期間は皆無であったような気がする。
だからこんなひねくれた大人になってしまったんだろうか?

まぁそれはさておき、たいていの子供の場合、平均的にサンタクロースを信じているのは小学校に上がるくらいまでではないか?

従って、今回の対象は小学校へ上がる前の幼児とし、クリスマス直前緊急特別企画として、夢見る子供達にため強引にでも「サンタクロースはいる!」という結論にもって行こうと思っている。


サンタクロースは本当にいるのだろうか?
そして、サンタクロースとは一人なのか?それとも何人かいるのだろうか?

サンタクロースのモデルとなった人物は、4世紀頃の東ローマ帝国のニコラウス司祭と言われている。
モデルが時代とともに神仏化されたと考えれば、何人もいるというより、一人で世界中の良い子達にプレゼントを配っていると考えられる。

サンタクロースの活動時間は、12月24日の夜から25日の朝までである。
普通の子供は早く寝て遅く起きるから、PM9:00から翌朝のAM7:00までの11時間、地球には時差が有るから、プラス24時間で35時間がサンタクロースの活動時間である。

サンタクロースは、35時間の間に全ての大陸のキリスト教圏と、にわかキリスト教圏の良い子達のお宅を回らねばならない。

サンタクロースが、妖精や魔法使いの類いで異次元の存在だったり、自由自在にワープできるのならば可能かもしれない。

しかし「赤鼻のトナカイ」のこんな歌詞を思い出していただきたい。
歌詞には「暗い夜道はピカピカのお前の鼻が役に立つのさ」と歌っている。

トナカイの赤い鼻が何の役に立っていたのか?
文章で「ピカピカ」と表現されているので、トナカイの鼻は光っていたと考えられる。
そして暗い夜道でソレが役に立つという事は、車のヘッドライトのように前方を照らして、障害物を避ける事に役立っていたと解釈して間違いないだろう。

裏を返せば、サンタクロースと言えども、我々生身の人間同様、障害物が有ったら避けなければぶつかってしまうという事を物語っているのである。

つまりサンタクロースは、妖精でもなければ魔法使いでもなく、我々と同じ3次元の存在と言える。

生身のサンタクロースが35時間で世界中の良い子達の家を回るのは、たいへん困難と思われる。

それなら「サンタクロースはいるのか?いないか?」よりも「来るか?来ないか?」と考えた方がよさそうだ。
その方がずっと夢の有る話じゃないか!

サンタクロースは存在している…
ただ多忙すぎてなかなか来られないだけで、むしろ来てもらえた子供達の方が幸運だったと考えるべきなのだ。

サンタクロースはどうやって訪問する子供を選別しているのか?

サンタクロースがプレゼントを配る子供は「良い子」に限定されている。
大勢の中から「良い子」を抜粋して選んでいたらキリが無いので、消去法で該当しない子を一気に減らして行く方法がよい。

普通に客観的に見て「悪い子」は問答無用で除外してしまう。
どんな小さなイタズラもゴミのポイ捨ても、どんな小さな罪も見逃さない!
この一年間で一つでも罪を犯した子供は対象外だ!

残った子供達もまだ「良い子」と決まった訳ではない。
具体的な罪を犯していないだけで、今の時点ではまだ「普通の子」である。
とりあえず「悪い子」には該当しないというだけだ。

ここで問題なのは「良い子」とはどんな子の事なのか?である。
あまりにも漠然とした選別方法で、良し悪しの具体的な基準が存在しない以上、解釈次第ではどうとでも考えられる。

いつの時代でも、大人から見た「良い子」とは、たいていは「大人にとって都合の良い子」である。
ようするに、道に捨てられていた子猫を拾ってくるような心優しい子供は、大人にとっては面倒事を持ち込んでくる決して「良い子」ではないのだ。

善悪の判断は、キリスト教が生まれる遥か前、ソクラテスの時代からプラトン、アリストテレス、中世のキリスト教時代を挟んでデカルト、スピノザ、へーゲル、カントなど多くの哲学者達がこの難題に挑むが、誰もこの正解にはたどり着けず、近代に入りニーチェが善悪など無い事を証明してしまうほど難しいテーマである。

「善悪」とは、古代ギリシャの時代から様々な哲学者達がこの難題に挑み、誰一人明確な結論にたどり着けなかった、人類がこの先、いつか絶滅するその日まで、永遠に答を出せないと思われる命題なのだ。

サンタクロースがどんな賢い人なのかは知らないが、どんなカシコだったとしても、その判断が正しいかどうか、いったい誰が判断できるだろうか?


つまりサンタクロースが主観的な解釈で「そんなのは良い子とは認めない!」と言ってしまえば、大部分の子供が対象から外れる。
ようするに、考え方一つでいくらでも対象者となる子供を減らす事は可能なのだ。

少々強引な手段でも、消去法で消していけば、世界広しといえどもサンタクロースからプレゼントを貰える子供は限りなくゼロに近付ける!

世界中の夢見る子供達よ!サンタクロースは来ないだけであって、ちゃんといるから:この一年間、自分が誰の目から見ても「良い子」だったと自信の有る子は、期待して待っていてもらいたい!

【注釈】
↓[東ローマ帝国]
ローマ帝国が分割統治されて以降の東側の国を指すが、分割統治は数世紀に渡って徐々に進行していったので、明確に区別するのはなかなか難しい。
元々はキリスト教の宗教対立による分断なので、現在のカトリック圈とロシア以外の東方正教会圈で区別するのが一般的。
主に現在のギリシャ、トルコ、バルカン諸国など。
ちなみに西ローマ帝国は、現在のスペイン、ポルトガル、フランス、イタリアなどいわゆるラテン系の国である。

↓[ニコラウス司祭]
聖ニコラウス(セントニコラウス)がなまってサンタクロースになったらしい。
伝説上の話なので詳しくは解らないので調べてみた。
ニコラウスはクリスマスイブに貧しい家の煙突から金貨を投げ入れ、たまたま暖炉に干してあった靴下に入ったのが起源らしい。
日本で言えば「ねずみ小僧」の様なモノだ。
サンタクロースのこれ見よがしの赤い服は、泥棒と間違われて撃たれないためとか、コカ・コーラのキャラで着た赤い服のイメージが定着したなど、諸説有る。

↓[トナカイ]
哺乳綱偶蹄目シカ科。
ユーラシア大陸と北アメリカ大陸のツンドラ地帯に広く生息。
シカ科の中で唯一雄雌共に角を持つ。
雄の成獣は300s程になり、シカ科の中ではヘラジカに次ぐ大型種である。

↓[お前の鼻が役に立つのさ]
サンタクロースに障害物が見えていなくても、トナカイにさえ見えていれば、トナカイが自分の意志で障害物を避けるのではないだろうか?
トナカイは夜行性である。
たとえ障害物が目に入っても、サンタクロースの命令が無い限り、ぶつかろうとも避けようとしないとすれば、恐るべき忠誠心である。

↓[プラトンやアリストテレス]
どちらもソクラテスの弟子。
プラトンは「イデア論」、アリストテレスは「存在論」を用いて善悪を説明したが、いずれも曖昧な結論に終わった。

↓[キリスト教時代を挟んで]
キリスト教時代は神の意思が善として理解されていたので哲学も何も無い時代だった。
ただそんな中でもトマス・アキナスは、「光に闇が指すのではなく、闇に光が指す」という性善説を否定し、性悪説を唱えている。

↓[デカルト]
元々は数学者。
「物心二元論」を用いて善悪を説明したが、曖昧な結論に終わった。

↓[スピノザ]
「因果法則」を用いて善悪を説明したが、曖昧な結論に終わった。

↓[へーゲル]
「弁証法」を用いて善悪を説明したが、曖昧な結論に終わった。

↓[カント]
「物自体」を用いて善悪を説明したが、曖昧な結論に終わった。
なお、それぞれの哲学者達が用いた理論は細かく説明すると長くなるので全部省略で

↓[ニーチェ]
もはや善悪など無い事を証明した哲学者。
哲学はそれまでの哲学者達の理論の疑問から入り、それを覆す事で理論を組み立てていく。
ニーチェも著書「善悪の彼岸」はカントの「純粋理性批判」の疑問から入っている。
哲学における善悪の証明はタマネギの芯を探すようなものと例えられる。
哲学者がタマネギの皮や身を剥いで「これが芯だ」と言っても、次の哲学者来て「もっと剥げるだろう」と剥いでいく…
だからキリがないし、同じ目的で追及していったら永遠に答えの出ないテーマになってしまう。
ニーチェは「タマネギに芯など存在しない」ということを証明してしまった哲学者である。
しかし、ニーチェの著書「力への意思」はヒトラーの愛読書だったため、ナチズムの根源として忌み嫌う人も多い。



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