本当に不可解なおとぎ話

□源義経
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歴史は時代が古ければ古いほど伝説化し、おとぎ話と区別がつかなくなる。

これは時代が古ければ古いほど、決定的な証拠や痕跡が皆無に等しく、古ければ古いほど証言、つまり残存する書物等に頼らざる得なくなってしまうからだ。

しかし書物は、決して真実が記されているとは限らない。

しょせん書物は人が書いたモノ。
人が書いている以上、有ること無いことなんとでも書けるのだ。

歴史は支配者が代わるたびに、支配にとって不都合な真実は過去も含めて隠蔽、隠滅、改ざんが繰り返されており、江戸時代以前の歴史はどこまで本当の話なのか、よく解っていないのが事実である。

特にそれが顕著に表れるのは戦争である。
戦争が起こる度に対立する両国がお互いに都合の良いように歴史を創ってしまう。
そして、真実がどうであるかに関わらず、戦勝国の方が正しいという歴史が後世に伝えられてしまう。
戦争は歴史さえも歪めてしまうのだ。

我々が学んだ歴史も、その後「これこそが真実」と表れた歴史も、ハッキリ言ってどちらも全て信用性に欠ける。
誰も見た人間が生きていないんだから当然である。
それゆえ、平安時代くらいにもなると、神話的なエピソードがかなり多くなり、もはやおとぎ話に分類されても不思議がない話が盛りだくさんである。

源平合戦にも、烏天狗や那須与一や弁慶が登場したり、牛若丸こと源義経の活躍そのモノにも、にわかに信じがたいエピソードが多数登場する。

源平合戦については、言いたい事はたくさん有るが、ここでは「義経の八艘飛び」について検証してみよう。

「八艘飛び」とは、壇ノ浦の戦いにおいて、源氏の大将源義経が、舟8艘を一飛で飛び越えたエピソードである。

平家物語では平教経が義経に斬り掛かったところを、義経はふわりと教経の頭上を飛び越えて、一飛で8艘彼方へと飛んで行ったとある。

いったい義経は、どの位の距離を飛んだのであろう?

国語は苦手なので、単位の事はよく解らないが、「艘」とはボートなど比較的小さい舟を数える時に用いられる単位だ。

小さいと言っても、兵士を大勢乗せて運ぶ舟だから、現在の救命ボートくらいの幅は有ったと思うから、幅1m50cmと仮定しよう。

舟8艘がビッシリ隙間無く並んでいたとしたら、義経が飛んだ距離は、約12mであったと考えられる。

現在の走幅跳の世界記録が8m95cmであるから、義経は助走もつけずにソレより3m05cmも余分に飛んだ事になる。


しかし、驚くべきは飛んだ幅にとどまらない。

なにしろ義経が飛んだのは戦場の舟なのだ。
誰も乗っていないなどあり得まい。

事実、義経は斬り掛かって来た平教経の頭上をふわりと飛び越えて行ったのだ。

この地球上において空中を移動する物体は、重力の影響から逃れる事はできない。
物体は、自らに浮力や推進力を持たない限り、放物線運動を必ず強いられる。


同時の成人男性は、今より小柄であったから、教経は1m50cm位だったと仮定して、教経が上段の構えから刀を振り下ろした場合、腕の長さ+刀の長さで切っ先の軌道は半径1m50cmの円を描く。
つまり、義経は1m50cm+1m50cmで、最高でも3mの高さを飛び越えて行ったと想像できる。

斬り掛かって来た相手の頭上を飛び越えて行ったという事は、義経がジャンプした時の教経との距離は、切っ先の半径も1m50cm位だった訳だ。

ジャンプして、1m50cmの幅を進んだ時点では、12m全体の1/8である。
その時点で義経は高さ3mに達していた。

3mの高さに達した後、12mの幅を水平移動するなど物理的にあり得ない。

一旦舞い上がった物体は、最初に加えられた力の強さと、飛び出した角度、そして地球の重力のはたらきによって放物線を描いて飛んで行く。

つまり、最高点に達するのは12mの中間点である6m地点…
6mの最高点に達するまで緩やかな半円軌道を描いていくのだ。

義経が飛んだ高さが、幅で1m50cmの時点で3mだったとすると、最高点となる中間点の6m地点では、どのくらいの高さになったのか?

物理学的な放物線運動の方程式は、とんでもなく難しく、考えただけで知恵熱が出そうだ。
まぁこの重力下では、宙に浮いた揚力も推進力も持たない物体が水平移動するハズがないので、単純に12mの幅に1m50地点で3mの高さを通る楕円軌道を描いてみると、最高点で義経が達する高さは5m50cmになった。

現在の走高跳の世界記録が2m45cmであるから、義経はそれより3m05cmも余分に飛んだ事になる!
2倍以上だ!

周囲で見ていた弁慶や兵士達は、飛んだ幅よりむしろ高さの方が気にならなかったのか?


…前置きが長くなったが…本題はここからである!


こういった行動は、現代の戦場ではあり得ない光景である。

5m50cmもの高さに舞い上がった義経は、果たして足から着地できたのであろうか?

平家物語には「8艘の舟を飛び越えた」としか書かれておらず、着地の姿勢については書かれてはいない。

人体を1本の棒に例えてみる。
普通の人間は、頭部の重さが体重の約1割を占めるため、人体の重心は位置的な中心よりやや上にある。

重心が上下どちらか一方に偏っている棒状の物体は、自由落下の際、必ず重心が偏っている方を下にして落ちる。

義経が、最高点で上昇速度ゼロになって以降は、自由落下に従う事にしかない訳だから、必然的に重い頭部から先に落ちて行く事になる。

つまり、義経は頭から落ちていった可能性は極めて高いのだ。


義経が最高点に達すると、そこから先はもう自由落下に従うしかない。

空中では体勢を立て直す事はできない。

義経の着地点は、彼が地面を離れた瞬間に加えられた力と、彼自身が飛び出した角度によって、すでに決まっている。

まぁ運良く落下地点に敵兵でもいれば、フライング・ヘッドバットを喰らわす事ができるが、「ふわり」と舞い上がった義経は、当然「ふわり」と落ちていく。

平家の兵士にとって、落ちてくる義経の姿、だいぶ前から確認できていたハズである。
にも関わらず、義経が落ちてくるのを待ってくれるている兵士がいたとしたら、敵なからあっぱれな兵士と言えよう!

しかし。フライングヘッドバット攻撃は相手の兵士が手ブラなら問題は無いが。刀や槍を持っている兵士には危険だ!

義経のフライングヘッドバット攻撃の標的にされた兵士は、とりあえず落ち着いて槍や刀を構え、ゆっくり落ちて来る義経を待っていれば良い。

義経は自由落下に逆らえない訳だから、たとえ自分の落下軌道に槍を構えて待っている兵士を見つけても、今さら軌道を変える事はできない。

「このまま行けば串刺しになる」と解っても、空中でどうあがこうが体勢は変えられず、みすみす餌食になりに行くしかないのだ!


源義経には、命を懸けて彼を守った忠臣が多数いた、いわゆるカリスマ的指導者であった。

戦場のような状況でも派手なパフォーマンスを繰り出し、周囲をヒヤヒヤさせながらも奇跡の生還を果たすなど、
今で例えれば、有刺鉄線電流爆破デスマッチをわざわざやるのと変わらない。
カリスマと呼ばれる人の行動はいつの世も変わらないモノだ…

【注釈】
↓[源平合戦]
平安末期、政権を追われた藤原頼長と崇徳上皇が後白河帝に反旗を翻した事に始まった、保元・平治の乱から続く当時の武家の二大勢力の源氏と平氏の対立。
保元の乱で敗れ失脚した崇徳上皇は、時世を怨み死後日本の歴史上最悪の怨霊となったという伝説もある。
平治の乱は、まさしく源平因縁の始まりだった。
この戦で勝利した平清盛は圧倒的な権力を手に入れ武家政権を確立したが、源氏を根絶やしにしなかったため、清盛の死後再び勢力を取り戻した源氏が平氏の残党を追い詰め、ついに檀ノ浦の戦いで源義経によって平氏は滅亡した。
この頃の平家はもはや死に体で、源氏にとってもとるに足らない相手であり、源氏の頭領の頼朝も、平家より奥州藤原氏のを恐れていた。
その為、頼朝は鎌倉を離れることができず、平家討伐は義経に一任されていた。

↓[書物は決して真実が書かれているとは…]
源平合戦は主に「平家物語」と「吾妻鏡」を参考にしているが、平家物語は源氏寄りに書かれているし、吾妻鏡は源氏の後の北条氏の寄りに書かれた書物である。

↓[弁慶が登場したり…]
比叡山延暦寺の僧兵だったと知られる武蔵坊弁慶。
京の都の五条大橋で若き牛若丸と戦い、腹心の家来となる。
「勧進帳」や「立ち往生」などのエピソードで知られるが、これらは能や狂言など舞台の話で、弁慶の実像については実在したかどうかも定かではない。

↓[物理学的な放物線運動]
数学的に放物線とは、二次関数の数式によるグラフであり、幾何学とも呼ばれる。
物理学的な放物線運動とは、重力下における力学的運動の計算になるので、やたら面倒くさい。

[走幅跳の世界記録]
8m95cm
1991年、アメリカのマイク・パウエルが樹立。
1995年にキューバのイバン・ペドロソが8m96cmを飛んでいるが、運悪く風速計測のトラブルのため、正式記録として認められなかった。
走幅跳の記録は風向、風速に影響されるため、正確な風速を計測出来なかった記録を正式記録としないのはやむを得ないとは思うが、追風参考にもならなかったのは陸上界の大きな損失だ。
ペドロソはその後、世界陸上やオリンピックで金メダルをいくつも獲得するも、再び世界記録を越える事は出来なかったが、2002年にファウルながらも9mを越えるジャンプを見せ、人類史上唯一9mを越えた「幻の9mジャンパー」として知られている。

[走高跳の世界記録]
2m45cm
1993年、キューバのハビエル・ソトマヨルが樹立。

↓[現代の戦場では…]
現代の戦場と比べるのは、あまりに乱暴すぎるかも知れない。
現代の戦場の白兵戦は銃撃戦である。
銃撃戦では、身を低くしたり、物陰に身を隠すなどしなから応戦する。
飛び道具が主役の戦場と至近距離で斬り合う戦場とでは、戦闘スタイルはかなり異なる。
いくら跳躍力に自信が有ったとしても、砲弾が飛び交う中をピョンピョン飛び跳ねるヤツがいたら、格好の標的になってしまう。

↓[フライングヘッドバット攻撃]
無論成功したとしても、義経自身も無事で済む訳ではない。
ヘッドバットとは早い話が頭突きであるが、実は頭突きはやった方とやられた方とダメージはほとんど変わらない。
交通事故で止まっていた車に猛スピードでぶつかった場合で、ぶつかった側の車もぶつけられた車と同じくらい大破する。
物理的にはどっちがどっちにぶつかったは関係無いのだ。
やった方もやられた方も、両者の体重が同じなら、ぶつかった時の衝撃は平等に分配されるし、両者に体重差が有れば、やった方とかやられた方とかは無関係に、体重が軽い方に余計に衝撃が行く事になる。
まぁ、ただの自爆ジャンプになるより、敵兵を一人倒せるならその方がマシでしょ?という意味。
無論、それは一兵卒の行動として称えられる行動であって、全軍を率いる将軍として決して誉められる行動ではない。




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