本当に不可解なおとぎ話

□まえがき
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「本当に不可解なおとぎ話」にお越し頂きまして、まことにありがとうございます。
「まえがき」というのも変ですが、本書のコンセプトについて説明させて頂きます。

本書は決して、おとぎ話やファンタジー等の世界観を否定する目的で書いている訳ではありません。
そもそも、現実離れする事がファンタジーがファンタジーである由縁であるハズなのに、その現実離れしたおとぎ話の根幹と呼べる部分を、現実と無理矢理絡めてアゲ足を取るような事は僕自身、決して正しい事とは思いません。

ただその一方、こうも思うのです。
「我々が知ってる物語は、本当にそのおとぎ話の全てなんだろうか?」と…

おとぎ話やファンタジーの世界の出来事とは我々の住む現実世界とは、間違い無く別世界で起こっている出来事ですが、おとぎ話の世界への入口は、誰しも子供の頃からすぐそばにたくさん溢れていたといっても過言ではありません。
しかし我々は普段、小説の文章や絵本のさし絵、または映画やアニメなどの映像を通してでしかおとぎ話に接する事ができません。

つまり、おとぎ話の世界は我々にとってとても近くて果てしなく遠い世界…
わずかな文章や映像こそが、我々の現実世界からおとぎ話の世界を覗き見る事ができる唯一の「窓」と考えられる訳です。

僕にはその窓が、あまりに小さく刹那的すぎるような気がしてなりません。
我々が見ているおとぎ話とは、一連の「物語」としては成立していても、その物語が進行している「おとぎ話側の世界」全体から見れば、一場面ごとに切り取られたカットを繋ぎ合わせたモノを見ているのに過ぎないと思うのです。

おそらくその窓から見えていない部分でも、何らかの物語は進行しているんだろうと思うのです。

おとぎ話の世界でも、我々の世界と同様に一日24時間・一年365日の時が流れ、我々の世界同様に広い空間が有り、脇役一人一人にもそれぞれの生活が存在し、さらにソコに物語そのモノには登場しない多くの人間が関わっているとすれば、我々は大部分を省略されたダイジェストという形でおとぎ話を見ているという事になる訳です。

おとぎ話の世界は我々に様々な夢を見せてくれる一方で、見せない部分は決して見せてはくれない毅然とした世界とも言えます。

もちろん、それがイカンと言っている訳ではありません。
むしろそれが当たり前だと思います。

例えば、通常の人間は1日3回の食事をし、大小合わせ10回近くはトイレに行きます。
それはおそらく、おとぎ話の世界の住人達とて同じでしょう。
しかし「白雪姫と七人の小人」などには食事のシーンは何度も有ったが、トイレに行くシーンは全く無かった…
それは白雪姫だけではありません。
あの物語に登場する全てのキャラクターが、誰一人としてトイレには行っていないのです。
なぜトイレに行くシーンが無いのか?と言えば、そんなシーンは見せても仕方がないから描かれなかったのだと思います。

物語の中で一度もトイレに行っていないからといって「白雪姫は食べるばかりで、出す方はしない」と解釈する人は恐らく皆無でしょう。
「我々から見えていないところで、ちゃんと白雪姫も1日何度もトイレに行っているし、そこで出すべきモノはちゃんと出している」と解釈するのが普通なのです。

僕は基本的に下ネタは嫌いなので、トイレにこだわるつもりは無いのですが、ようするにトイレのシーンは省略されたシーンなんです。

他にもたくさん省略されたシーンが有ると考えられます。
省略された部分には、一体ナニが映っていたんだろうか?
物語の流れとは関係が無いどーでもいいシーンだから切られたのか?
あるいは物語の進行上都合の悪いシーンだから切られたのか?

まぁ原作者に言わせれば、おそらくどちらでもないのでしょう。
「切られた」というより、ただ単に最初から想定もされていなかったシーンだったのだと思われます。

こんな事を言うのは原作者にとってたいへん失礼と思いますが、原作者とはおとぎ話の見せたい部分を描くのに必至で、見せても仕方がない部分にはあまり気を配っているようには思えないのです。
つまり彼らにとって見せても仕方がない部分は彼らの想定外の部分と言える訳です。


我々の住む現実世界の時の流れと無限の空間と、おとぎ話の夢の世界を絡めた時、そこには原作者達さえも知らない、おとぎ話の背後世界が無限に広がっていると言えます。

おとぎ話の1カットを一つの点と考えれば、それは点と点とを直線によって繋ぎ合わせた、折れ線グラフのようなモノなのです。

それらを無視してしまうばかりではつまらない。
一つの点から次の点まで、どのような紆余曲折あってたどり着いたのか?
次のカットへ繋がるまで、どのようなイザコザが有ったのか?

おとぎ話には、点と点だけでは説明がつかない矛盾が有る事は、おそらく大多数の読者が気付いていながらも、ソレを黙認しているのが現状なのだと思います。

そういった、コチラ側からは見えないおとぎ話の背後の世界を想像してみた時、我々の知ってるおとぎ話が少々違うモノに見えてオモシロイと思って書いております。

「原作者が想定していないのならコッチで好き勝手に想像してしまおう!」というのが本書のコンセプトです。

まぁ、あくまでも僕の主観であるし、ここで書いている事が必ずしも正しいとは一切思っていません。
あまり大それた事は書けませんが…

こんなまえがきでご理解いただけたでしょうか?

それでは、原作者ですら気付いていない「おとぎ話の窓」の向こう側へ…
ごゆっくりどうぞ。

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