本当に不可解なおとぎ話

□鬼ヶ島の鬼
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日本人にとって昔話といえばやはり「桃太郎」であろう。
「むか〜しむかし、ある所に…」で始まる昔話のお決まりのフレーズも、昔話の定番の脇役のお爺さんとお婆さんも、全て「桃太郎」のストーリーから印章付けられたとように思う。

お爺さんは山へ芝刈りへ…などは一気にすっ飛ばしていきなりクライマックスだが…
桃太郎一行が鬼ヶ島で、鬼退治をした際、鬼達は桃太郎一行に降参し、お詫びに金銀財宝を差し出した…

鬼達はなぜ金銀財宝を持っていたんだろう?

いや解ります!
人間の都や村を襲って強奪して集めた金銀財宝なんでしょ?

問題は入手の手段ではなく入手の目的。
子供の頃から疑問に思っていたのは「鬼達はいったい何のために金銀財宝を所有していたのか?」である。

そりゃ人間だって金銀財宝は欲しい。
だが、はたして金銀財宝そのモノが欲しいのかと聞かれたら、いささか疑問である。

我々人間は、たいてい誰でも金銀財宝は持っている。
どこに?
それは、皆さんの財布に入っている現金や、銀行口座に入っている預金である。

実はお金とは、形こそ違えど金塊そのモノなのである。
江戸時代の小判や中世欧米の金貨の取引は現在も続いている。

無論、我々の手元に金塊が有る訳ではない。
中には金塊を所有している人もいるが、ほとんどの人は手元に持ってはいない。

では金塊はどこに有るのか?

金塊は世界各国の中央銀行、日本で言えば日本銀行に預けられいる。

我々が普段、当たり前のように買い物に使っている紙幣の裏面には「日本銀行券」と書かれている。

紙幣とは、いわば「金塊の引き換え券」であり、我々は重たい金塊を持ち歩く代わりに、その引き換え券を使っての取引を行っている訳だ。

すなわち紙幣は、金塊の所有権の証しであり、我々が日常的に行っているお金のやり取りとは、日本銀行の地下金庫に眠る金塊の所有権のやり取りであるのだ。

つまり、金は確かに価値の有る物だが、金そのものが手元に有る必要はない。
所有権さえあれば取引が成立するし、決して金銀財宝そのモノが人間の欲望を満たしてくれる訳では無いという事でなのである。

たとえば、強盗が金を奪うのは、金そのモノが欲しかった訳では無く、後で善良な市民のフリをして、生活のために買い物をしたり、遊んだりするという目的があった上で奪うのである。

金は金だけ有っても仕方がない。
眺めていても腹は膨れんし、楽しくもナンとも無い!
金は使ってこそ生かされる物!
永遠に貯め続けるだけでは何の意味も無い!!

そして金は、人間社会のみでしか役には立たない。
人間社会に依存し、人間社会で経済活動を行う者にしかその価値は解らないハズである。

猫に小判、豚に真珠、鬼に金銀財宝である。


にも関わらず、金銀財宝をため込でいたという事は、鬼達は人間社会で「商品を買って代金を支払う」という経済活動を行っていた…あるいは、行う予定が有ったという事だろうか?


人間の場合、金の使い道は主に衣・食・住の生活のためか、娯楽のためである。
そのために人は、汗水垂らし人に頭を下げて一生懸命金を稼いでいる。

鬼の場合、略奪する段階でそれらが調達出来そうな気がするが…

まぁ衣はともかく、食は冷蔵庫も無い時代にそれは無理。
米など穀物は保存が効くが、肉や魚などのナマ物は燻製や干物にしなければ保存が効かない。
鮮度が命の野菜も塩漬けにしたりしなければすぐに傷んでしまう。

人々にとって脅威の存在だった鬼達がそんなにヒモジイ食生活を送っていたとは考え難いが、新鮮な食材で毎日ゼイタクな食事をしようと思ったら、毎日大軍を率いて略奪に出掛けなければならない。

それなら金を奪って来ておいて、買い出し係が毎日買い物に出掛けた方がよっぽど効率的である。

住宅もやはり略奪でどうにかなるものではない。

鬼ヶ島にも大工の鬼や左官の鬼など、匠の業を持った人材はそれなりにいたかもしれない。

しかし、いかに人材が居ようともそれだけで家が建つ訳ではない。

住宅の建築はまず設計図を書き、それに合わせて資材を発注する。

資材を略奪して来て、その資材に合わせて設計図を書くなどあり得ないし、先に設計図を書いておいて、略奪に行った際、都合よく設計図に合った資材が有るとは考え難い。

略奪でどうにかしようと思ったら、略奪の前に購入の意図があるかのように発注しておいて、出来上がってきたのを見計らって略奪に向かう。

この方法は、何度も使える手段ではない。
そもそも鬼なのに、こんな手に毎回引っ掛かるほど人間の材木問屋もバカではない。

この犯行を成功させるには、それなりの信用がなければならない。

人間社会では一度不渡りを出した手形は、信用はゼロとなり、手形そのものを発行できなくなる。

信用を得るには、少なくとも10回中9回は本当に取引を成立させなければならないだろう。

そう考えれば人間社会と鬼社会では、それなりの信用があり、金銭による取引が成立していたと想像できるのだ。


つまり、鬼達には生活や娯楽のために金を使う目的が有ったと想像出来る。


鬼達は金をどこで使っていたのだろう?

金が価値の有る物と認識していた訳だから、鬼ヶ島内でもおそらく金銭のやり取りはされていただろう。

しかし、鬼ヶ島内だけで消費活動していたとは考えにくい。

鬼ヶ島では金も、金で取引される商品も、どちらも略奪によって運ばれて来る。
取引される商品は生活によって消化されていく一方、消化されず流通し続ける金は鬼ヶ島内で滞留していく。

このままでは、通貨が果てしなくダブついていき、鬼ヶ島内での貨幣価値はどんどん下がり、出口の見えないインフレが加速し続ける経済の悪循環で、いずれ鬼ヶ島の経済は桃太郎一行の襲撃を待たずして、勝手に自己崩壊して破産に追い込まれていただろう。

私は経済には疎いので詳しく解らないが、現代の人間社会ならこういう場合、いよいよ困ったらデノミ政策など打つ手は幾つもある。
しかし、それはいわゆる引換券(紙幣)をやり取りしているから可能なのである。
金そのもので取引していた時代では、そういう訳にもいかない。

鬼達は金をもて余していたのかもしれない。
だから、桃太郎一行に金を差し出すのもそれほど痛みが無かったのだろうか?
そうは思えないなぁ…

桃太郎一行の襲撃から、直ちに金差し出されたとするなら、金は鬼達個人に配当として分け与えられた物からではなく、鬼ヶ島の内部留保として貯められていた金から出されたと考えられる。

しかしだからといって鬼ヶ島が社会主義体制だったとは考えにくい。
もしそうなら金銀財宝を溜め込んでいた事がなおさら不思議ではないか?

その金で誰と取引していたのだ?


やはり鬼達は人間社会で金を使っていたと思われる。


つまり鬼ヶ島の経営体制はこうだ!

まず鬼の子分達が人里や都を襲い、金銀財宝を奪って来る。

子分鬼は奪って来た金銀財宝を親分鬼に上納する。

親分鬼は経理係の鬼と相談して、必要経費を差し引いた粗利益を算出し、資本金を差し引いた残金から子分達に給料として支払う。
いわゆる「人件費」ならぬ「鬼件費」だ!

子分鬼は給料で食料や衣服を購入したり、都で酒を飲んだり芸妓さん遊びをしたり、マイホームを購入したローンの返済に当てる…

離婚歴のある鬼は慰謝料や養育費なども毎月支払っているんだろうか?

【注釈】
↓[金銀財宝を差し出した]
金で全てを解決できるという考え自体がイヤシイが、解決出来てしまったんだから仕方がない!
桃太郎一行も金を貰って鬼達を許してしまった…
桃太郎は別に役人として鬼退治に行った訳ではないので、賄賂にはならないがナンカなぁ…

↓[金]
ウランに次いで比重が重い重金属。
イオン化傾向が低く、酸化や腐食の影響をほとんど受けない物質である。
ウランは放射性物質であることから、分子配列が非常に不安定な物質なのが解るが、金は安定した物質としては最も重い物質と言える。

↓[左官]
住宅建築の際、基礎となる土木工事や土壁の壁塗りを担う職人。
現在ではセメントやモルタルを使う。

↓[インフレ]
インフレーション
社会に出回る通貨が供給を上回り、貨幣価値が下がっていく現象。
この20年、日本はデフレ状態だったので実感がわかないと思う。
インフレ状態の国では兆や京といった想像を絶する単位の取引が街の小売店等で当たり前に行われている。
第二次世界大戦前のドイツではパン1斤が1兆マルク、時代も為替レートも違うため正確ではないが、日本円で80兆円もしていた。
これはパン1斤に80兆円の価値がある訳ではなく、80兆円にパン1斤分の価値しかないということ。

↓[デノミ政策]
貨幣価値を上げたり、下げたりする政策。
主にインフレやデフレの打開策として行われる。




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