天地開闢

□こんな近くで・・・
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 屋根の上に、黒い影。
 闇に隠れるようにうずくまり、胸を押さえる。
 苦しそうな視線は、ぼんやりとした月明かりに向けられて。

「若…」

 吐息と一緒に、小さく声が零れた。







 夜の巡回から帰ると、洗面台で寝起きのリクオとで鉢合わせた。
 所々髪がはねた姿で、黒羽丸をぼんやりと見つめる。

「おはようございます、若」

 リクオはにっこり笑った。

「おはよう」

 笑うと、リクオの目の下の影が濃くなる。

「寝不足ですか?」

 黒羽丸が言えば、リクオは目を見開いて。

「よくわかったね」
「………」

 わかるに決まっている。
 陰からだが、だれよりもリクオのことを見ているのだから。

 リクオは隈を隠すように手でこすって、恥ずかしそうにした。

「少し、考え事をしてたからさ…」
「そうですか…。あまりご無理はなさらないでください」

 リクオは嬉しそうににっこりした。

「ありがとう。黒羽丸もね」
「え?」
「仕事熱心なのは良いけれど、きちんと休んで。そうだ、これ…」

 ごそごそとポケットを探し、大きな飴玉を黒羽丸に差し出す。

「疲れたときには、甘いものがいいから」

 リクオが優しいのは、特別なことではないのに。
 さりげない優しさが、胸を締め付ける。

「…ありがとうございます、若」
「うん。じゃあ、ボクは準備があるから」

 タオルを首に下げて、リクオは学校の準備に向かう。

 己の心臓のためには、離れてくれてほっとするような。
 しかし、離れがたくて引き止めたいような。
 複雑な感情で、黒羽丸はリクオの背中を見送った。








 夕方。
 薄紫の空を巡回していると、リクオと少女の姿を見かけた。
 学校でのことを話しているのだろうか。
 所々、二人の声が聞こえてくる。

「あれは…」

 少女はたしか、リクオのクラスメイトの家長カナだったか。

 リクオは楽しそうにしている。
 声を上げて笑ったり、時にはわざと膨れて見せたり。
 黒羽丸にはあまり見せない、年相応の表情だ。

 リクオがカナに向ける笑顔が、黒羽丸の胸を苦しめる。
 身体的な痛みや苦しみなら、いつかはとれて癒されるのに。

 黒羽丸は胸を押さえた。
 最近はこの仕草が無意識になっている。
 出口の見えない痛みが、胸を焼く。

 リクオに伝えれば楽になれるのだろうか。



 だが、怖いのだ。

 伝えたら、今までの関係を壊してしまうのではないか。
 リクオが黒羽丸を見てくれなくなるかもしれない。

 黒羽丸の目の前で、リクオとカナは手を振って別れた。

「黒羽丸!」

 大きな声で呼ばれる。
 視線を下にやると、リクオが空に浮かぶ黒羽丸を見上げていた。

「若…」

 気付かれているとは思わず、黒羽丸は驚く。
 だが、すぐに我にかえって軽く頭を下げた。

「もう見回りしてるの?」
「はい」

 カナといる時のリクオの笑顔が頭から放れない。

「そっか。仕事、頑張ってね」
「はい。若もお気をつけて」
「ありがとう」

 リクオは手を振って黒羽丸を見送った。
 飛ぶのをやめて、リクオの方を振り返りたい衝動をぐっと堪える。



 これ以上、リクオの側で無理して笑い続けることはできなかった。








「若は、好きな相手がいるのですか?」

 偶然、聞こえてきた声に、黒羽丸は足を止めた。
 襖の隙間から覗くと、リクオが俯いている姿が見えた。

「う、うん…」

 恥ずかしそうにしている姿はいじらしい。
 なのに、黒羽丸は血の気が引くような絶望感を覚えた。
 そっと、襖を閉める。
 相手のことなんて聞きたくない。

 そう思うのに、頭の中には、先日のリクオとカナの姿が浮かぶ。

(やはり、若はあの娘を好いているのだろうな)

 泣きたくなる様な重い気持ちを抱えて、黒羽丸は廊下を歩く。

「黒羽丸!」

 後から聞こえた声に、黒羽丸は足を止める。
 今は、振り向きたくない。
 しかし、無視できない声だ。

「…どうされましたか?」

 せめて振り向かず、声だけで尋ねた。
 声の人物は―――リクオは、そんな黒羽丸の事情など考慮してくれず、黒羽丸の前に回って、顔を覗き込んだ。
 黒羽丸の顔を見て、リクオの目が見開く。

 そんなに、ひどい顔をしているのだろうか。

「…どうしたの、黒羽丸?」

 柔らかそうな手が、黒羽丸の袖を掴む。

「いえ…」
「泣きそうな顔をしてる」

 リクオの言葉に、黒羽丸は感情の濁流を抑えることができなくなった。
 無駄だとわかっていて。いや、そんなことを考える余裕もなく、口が勝手に開いた。

「若が好きです」

 するりと言葉が飛び出す。
 リクオはさらに目を大きくして。それから、にこりとした。

「ボクも好きだよ」

 すかさず返ってくる言葉に、伝わらないもどかしさを感じる。
 しかし覚悟を決めたからには、直球で。

「抱きたいと言っているんです」

 リクオはきょとんと目を瞬かせた後、一瞬で頬を上気させた。
 それから、泣きそうに顔を歪める。
 その顔に、黒羽丸はガラスが壊れる音を聞いた。

(………やはり嫌がらせてしまった)

「すみません。迷惑をおかけしてしまいました」

 リクオとの関係を壊してしまった。
 これ以上この空気に留まることはできなくて、黒羽丸は足を動かした。
 背を向ける黒羽丸は、しかし後から袖を引かれて立ち止まる。

「待って!!迷惑じゃないよ!ただ、は、は、恥ずかしくて…」

 その姿は、先程襖の隙間から覗いたのと同じ。
 黒羽丸は、リクオの手を逆にとって、己の腕に引き込んだ。

「若を、愛しています」

 かぁと首筋まで赤く染まったリクオに、黒羽丸は耳をぺろりと舐めた。

「ぎゃああ!!な、なななな」

 言葉にならないリクオは、必死に黒羽丸から離れようとするが、それを叶えてやる気は毛頭ない。
 さらに強くリクオを腕に囲う。

「すみません」

 あまりにおいしそうだったから、つい…。
 言いかけた言葉は、リクオの血管が切れそうになっているので、やめておいた。

「あ、あのさ、ぼ、ボクも、黒羽丸が好きだよ。その…、恋愛感情で」

 ぼそぼそとした声に、黒羽丸は嬉しくなって。

「明日、若の学校までお迎えにいきます」
「え?うん」
「一緒に帰りましょう。家長カナとではなくて、自分と」

 リクオは不思議そうな顔をしたが、黒羽丸の言葉には素直に頷く。
 それがさらに嬉しくて、黒羽丸はリクオをぎゅうっと抱きしめた。

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