天孫降臨

□雨の日
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 ぱしゃん、と小さな長靴がアスファルトにたまった水たまりに勢いよく入るたびに水しぶきがあがる。
 水色に茶のラインが入った長靴と同系色のレインコートを着た小柄な子どもは勢い良くあがった水で服が汚れるのも気にせずに楽しそうに笑った。
 それを見た白いレインコートのもうひとりがそれ以上のしぶきをあげるべく、また別の水たまりに突進する。
 白いレインコートの紺の襟はフードと一体になっており、セーラーカラーのようにかわいらしい。紺色の長靴にも白いラインが入っており選んだ人の趣味の良さが伺える。
 しかし本人ともう一人はそんなことを気にすることもなく、先ほどから水たまりに突進し汚れることなど気にもとめない。
 若干の背の高さと体重の差から先ほどのしぶきよりも大きく水が飛び、それを見たもう一人が大きな歓声をあげた。
「ひこ、すごい!!」
 その素直な言葉に、ちょっぴり誇らしげにするのは最近昌浩と仲のいい九流家の比古である。
 そう言いつつも昌浩は負けじとまた次の水たまりを見つけ、勢い良く飛び込むのだ。
 きゃっきゃと歓声をあげながら、そんな風に小さな子どもが歩きながら遊んでいる姿は大変ほほえましい。後ろからついて歩く保護者の紅蓮はそう思う。
 はたから見れば迷惑な遊びだったが、こういうものは本人たちにとってはとてつもなく楽しいものだ。
 二人とも傘は持っているものの、さきほどから遊ぶのに夢中で意味はなくなってしまっている。
 雨のせいか時間帯のせいか、道行く人たちは自分たち以外にいないのが幸いだ。
 そうでなければ全力でこの子どもたちの引率者である紅蓮は止めていたであろう。
「ほら、おまえら、前を向いて歩け。転ぶなよ! あと人が近くを通るときは絶対にやるな」
 何度もそう言って注意を促すが、果たして聞いているのやら。
「はーい!」
「はーいっ」
 昌浩と比古のハモった元気の良い二人の返事は聞こえるものの、本当にわかっているのかは謎だった。
 本音を言えば、こういう遊びは事故にもつながりかねないのでやめさせたい。
 いつも通る道で、今はただの水たまりしかないのがわかっているから好きにさせている。だが、もしそれがただの水たまりではなく、マンホールがはずれた水たまり同然に見えるものだったとしたら考えたくもない事故が起こるからだ。
 そんな不測の事態を回避するためにも可能な限りこの遊びはやめてもらいたかった。
 あとはまあ、主夫の立場からの要望でしかない。
 この後に必ず発生する、泥はねのたくさんついた洗濯物との格闘を考えると気が重かった。地面の上の泥水よりははるかにましだと判っているが、あくまでましな程度だ。衣服に付着する泥汚れと言うことには代わりがない。
 しかも最近は雨が続いており、洗濯物の乾きも悪いのだ。
 しかしそんな主夫の心を幼い二人が気付くわけもなく、きゃわきゃわと雨の中を駆け回っている二人は子犬のようだ。
 昌浩は寝起きも寝入りも余りぐずらない育てやすい子だったが、大人しいというのとはまた違う。大人が思いもつかないようないたずらもする。
 なおかつ近所の九流家の子どもと仲良くなってからと言うもの、昌浩の腕白に拍車が掛かったようだ。
 今まで遊び相手が年の離れた兄弟や、神将たちを含めた大人ばかりだったので、ようやく年の近い親しい友達が出来たせいもあるのだろう。
 それが嬉しい反面、置いて行かれたようで寂しくもあるのだ。
 それは今のこの状況ににているかもしれない。
 目で二人を追いつつも、思考回路が自分の中へと沈もうとした時だ。子どもたちの動きを目では追っているが、それが何を引き起こすかまでを考えに移すことが出来なかった。
 レインコートを着た二人が手を繋いで同時に紅蓮の側の大きな水たまりに飛び込んだ。
 ばしゃーんと一際大きな音が側で聞こえ、水しぶきが飛ぶ。
 紅蓮の意識が即座に現実に引き戻され、冷たい感触と共にズボンの膝から下がまだらに染まった。
「紅蓮もいっしょー」
 きゃあっと歓声をあげて、昌浩と比古が目の前で笑う。
「待て、おまえらっ!」
 怒り始めた紅蓮から、水色と白のふたつのレインコートが紅蓮から逃げ回った。
「逃げろー!!」
 紅蓮が傘を放り出して、子猫を捕まえるかのように首根っこ掴む。だが捕まっても二人は悪びれないで顔見合わせて笑った。
「人に迷惑をかけるなと言ってるだろう」
 二人とも首を捕まれたままだが、懲りる様子もない。
「おこられちゃった」
「でもおもしろかったー」
 こっそり二人でささやきあうが、それは当然紅蓮にも丸聞こえである。
「こんの、悪がき共がっ!」
 紅蓮に怒られつつも、きゃっきゃと二人の子どもはまるで悪びれない。
 子どもたちは紅蓮が本気で怒っていないのをちゃんと見抜いている。
 そうなのだ。
 紅蓮にはこんな子どもたちとの、いや幼い昌浩との些細な日常すらも愛おしくてたまらない。
 千年の昔の平安の世では昌浩は見鬼を封じられ、その側にいて成長を見守ることがかなわなかった。
 それが千年の時を経て、ようやく見ることができるのだ。こんな些細な腕白などかわいいと思う対象にしかならない。
 大切な幸せな時間だった。



 そうこうしている間に比古の家が見えてきた。
 遊びに来ていた比古を送り届けるために三人で安倍家を出たのだがふたりの遊びにつきあっていたせいでずいぶん遠回りをしてしまった。
 自分の家に駆けていく小さな背中を昌浩と二人で見送る。
 手を振り合う子どもたちは遊び足りなそうな顔をしているが、そろそろ夕飯の支度時に差し掛かる。
 いくら家が近くてもこんな雨の日はとても一人で帰らせる気にはなれないので仕方がない。
 比古の目の前で玄関の扉が開き、真鉄が顔を出した。
 泥だらけになってしまった比古の姿を見て絶句しているのが離れたこちらにも伝わってくる。
 それから紅蓮と昌浩の姿を認めると、短く礼の言葉を言うとぺこりと頭を下げてから二人は家へと姿を消した。
 多かれ少なかれお小言は言われるかもしれないが、それはこの昌浩も同じだ。
 家へ戻ってから十分注意しないといけない。
「……ねー、ぐれん」
 そんな紅蓮の思いを知ってか知らずか、歩き始めてから昌浩が名前を呼ぶ。
「なんだ?」
「て、つなご?」
 水色のレインコートに包まれた手を差し出してくる。
 その一言は先ほど疎外感を感じていた紅蓮への埋め合わせなのか、それともこれから多少なりとも怒られる事への予防策なのか、単に手を繋ぎたかったのか。
 どれかは紅蓮にはわからない。
 でも差し出してきた小さな手を紅蓮が拒否できるわけもない。
 ふぅっと息をひとつ吐き出した。
「……それなら、傘を貸せ。手を繋ぐなら邪魔だろう」
 紅蓮の言葉に大人しく小さな傘をそのまま渡してきた。まだまだ昌浩には傘を閉じることは難しいからだ。受け取って紅蓮が難なく閉じれば、小さな手が再び差し出されている。
「えへへ」
 大きな手が小さな手を包み込むように握ると、昌浩が嬉しそうに笑う。
 そうして小さな温かな手を握ったまま、家までの短い距離を二人で歩くのだった

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