狼陛下の花嫁SS

□狼陛下と日常〜バイト〜
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白陽国。
若き王が収めるその国には、素性の知れない妃が一人、王の寵愛をその身に受けて暮らしている。

後宮のとある一室。
今夜もまた、王と妃の蜜事が静かに行われている。

「陛下。」

「何?夕鈴。」

「お、お腹減りませんか?」

汀夕鈴。下位官吏の娘で、現在は白陽国後宮に住まう唯一の花嫁である。
彼女は今、部屋の奥に備えられた長椅子で読み物をしている夫に直立姿勢のまま話しかけている。

亜麻色の髪に、焦がし砂糖のような瞳のなんの変哲もない少女だ。

「ん〜、さっきも夕餉を済ませたばかりだから大丈夫だよ。」

「そ、そうですか・・・。」

「?」

肩を落とす夕鈴に、夫であり国主である拍黎翔は首をかしげる。

「あ、もしかして夕鈴、お腹減っちゃた?何かもってこさせようか?」

「い、いえ!大丈夫です!!」

「そう?」

話に区切りがつくと黎翔は読み物へと視線を戻す。

その顔をじっと見つめながら、夕鈴はどこかそわそわした様子だ。

「え、と・・・夕鈴?」

「はい!!」

「どうかしたの?」

「え、なんでですか!?」

「いや、だってずっと立ってるし。何か気になることでもあるのかなって。」

「!」

何かあるんだな、と夕鈴の表情を読み取った黎翔は読み物を脇に退けて夕鈴に向き直った。


「話したいことがあるなら聞くよ?」

そう言うと、黎翔は椅子の端にずれて夕鈴に席を促した。

夕鈴は少し戸惑った様子ではあったが、しずしずと黎翔の横に腰掛けた。

「で、どうしたの?」

「・・・はい、あの・・・。」

躊躇いがちな様子から、何か言いにくいことかと思い、覗ってみれば彼女の口から出たのは黎翔を驚かすには十分な一言だった。

「暇なんです。」

「ん?」

「お仕事が暇なんです。」

「・・・・?」

黎翔が黙ったのを見て、やはり失礼なことを言ったと思った夕鈴は顔をあげて必死に弁明を図ろうとする。

「あ、違うんです!陛下と一緒にいるのがとかお妃修行がとかじゃなくて!なんかこうなんもしてないのに時給が発生していることに対してでですね!」

「・・・・。」

「え・・・と・・・」

「・・・夕鈴、もしかして働きたいの?」

黎翔の言葉に夕鈴の顔がパッと明るくなる。
その瞳には、何か仕事が与えられる可能性に期待を抱いているようだった。

「え、なんで?お妃バイト飽きちゃった?」

「ち、違いますよ!飽きてないです!」

「じゃあ、どうして?君は十分、お給料分の役割を果たしていると思うけど?」

“お妃バイト”というのは、誰もが恐る白陽国の「狼陛下」の花嫁を演じ、彼の身に降りかかるお見合い話を片っ端から断るという都合の良い言い訳役という、なんとも単純で不可解なバイトのことである。

そんなバイトの第一期生に見事選ばれた夕鈴は、現在、王宮の最奥にある後宮で一人、狼陛下の寵姫として日々過ごしている。

主なバイト内容には、臣下たちの前で犬も食わないようなイチャイチャぶりをすることと、妃として振る舞うのにおかしくない礼儀作法を身につけることと。そして夜に後宮に訪れる陛下とお茶を飲んだりそ、それぞれの時間を過ごしたりまったりすることである。

二人きりの時以外は、常に女官の目があるし、王宮内を歩けば臣下たちの目にも止まる。
一秒たりとて気の抜けない仕事ではあるが、如何せん、人は状況に慣れてきてしまう。

(なんか張り合いが感じられないんのよね。こう、「今この瞬間に何文!!」みたいな・・・。)

もともと夕鈴は王都乾隴の下町で育ち、バタバタと走り回るような生活を送っていた。
弟の学費のために、内職もしたし、配膳だってした。苦しいと思うこともあったが、それでもやりきった瞬間には達成感で胸がいっぱいになった。
給料袋を握り締め、家路を向かう途中の甘味処で人気の餡蜜を食べる時に感じる至福感は、後宮に入ってから一度も感じていない。

(後宮の食べ物だって美味しいは美味しいんだけど・・・そりゃもうすんごく美味しいけど・・・こうやっぱ達成感がないとなぁ・・・)

夕鈴が何も言えずにいると、黎翔はその考えを読み解こうと、じっとその横顔を見つめる。

(うん、やりがいや達成感がないけど、食べ物は美味しい、と。)

考えがそのまま表情に出ているとも知れずに、ころころと変わる横顔を黎翔は興味深げに見つめた。

(面白いなぁ・・・。)

腹の中の探り合いしかしない王宮において、夕鈴のように表情が変化しやすい官吏はほとんどいない。いても、狼陛下には近づいてくることはまずないだろう。

ほんの数ヶ月を共に過ごすだけの何も持たない少女と思っていた少女は、黎翔を楽しませ驚かしてくれる。

今だって、十分働いているのにまだ働きたいという。

激務の自分には、この瞬間彼女がいてくれる理由がたとえ仕事だとしても、それはそれに見合う働きを彼女がしていると思える。

(変わった娘だ・・・。)

「夕鈴はいい子だね。」

「え?」

「ちゃんと働いてるのに、まだ働きたいなんて。」

「いや、違うんです!ただ、お給料に見合う仕事をしたいだけで!!」

「うんうん。」

「なんていうか、ここ数ヶ月は研修期間みたいな感じで覚えることの方が多くて大変だったんですけど、慣れてきたんでもっと他のこともしたいなみたいな感じで!!」

手に力を入れて拳を作り、一生懸命に主張してくる夕鈴に黎翔は「うんうん」と笑顔で話を聞いている。

「そりゃまぁ、刺客が襲ってきたり、暗躍している人たちに慣れたわけではないんですけど。
後宮のみんなとは仲良く慣れてるし、王宮には親切な人もいるし、陛下だって頑張ってるのに私だけ休んでるみたいで嫌なんです。」

夕鈴は身を乗り出して、さらに熱弁を続ける。
どうやら一度、熱が入ると周りが見えなくなるらしい。

目前に迫った夕鈴の顔に、少し驚きながらも黎翔は距離を離すことはしなかった。

「私も陛下のお役に立ちたいんです!!」

黎翔の瞳に映る自分の顔を夕鈴は見つけた。

真剣な表情で、まっすぐ黎翔を見る自分がそのまま返ってきて、夕鈴は思いを強くした。

(陛下は国のために人格を偽ってでも強い王様を演じている。官吏のみんなも陛下の国を守ろうとして頑張ってる。女官のみんなもいつもよくしてくれる。何もしないで悠々と日々を過ごすことなんてできない!この人のために何かしたい!!)

思いが届けばいい、そう思って夕鈴は目を逸らそうとはしない。

お互いの呼吸音が聞こえそうな距離感で、ただ見つめ合う。

ふいに黎翔の手があがる。

その手は、夕鈴の柔な頬を優しく撫ぜる。

見つめていた黎翔の瞳がすっと細められ、
口元が堪えられないように笑をこぼす。

「嫁とはいいな。なんとも可愛らしいことを言ってくれる。」

雰囲気が変わったことに気づくと、夕鈴は目を丸くして息を止めている。

「仕事ならあるではないか。」

「え」

そう言うと黎翔は夕鈴の腕を引き、自身の膝の上に乗せてしまう。

簡単に席を移動された事実にもそれは驚いたが、黎翔の腕がしっかりと夕鈴の腰を支えていることとか、鼻がぶつかりそうな距離感とか、黎翔の蘇芳色の瞳が綺麗なこととかで、夕鈴の思考回路は急停止してた。

「花嫁の仕事は、夫を悦ばせることであろう?」

「え、と」

どくんどくんと耳元では脈音が大きく聞こえてくる。

頬に熱が上がっていくのがわかる。

「その髪も、爪も、手足にいたるまで、私に愛されるためにあるのだから。」

黎翔が耳元に唇を寄せる。

触れるか触れないかの距離で囁きを感じると、夕鈴の限界はあっけなく訪れた。

黎翔から身を離し、長椅子から飛び退いた夕鈴は目を見開いて顔を真っ赤にしている。

「仕事が増やせないなら普通にそう言ってください!!」

「え?」

「わざわざ狼陛下になって言う必要ないでしょ!!しかも!耳にちゅって!!ちゅって!!!」

「してないしてない。しそうになっただけだよー。」

顔を真っ赤にして怒る夕鈴を、黎翔は先ほどとは一変、眉毛を下げて少し困ったように笑っている。

(本当、面白い。彼女の中には、女として僕を慰めるという選択肢はこれっぽっちもないんだなぁ・・・)

黎翔の胸の奥でざわりと感情が揺れ動く。

喉の奥が閊えるような違和感と、お腹の方から湧き上がってくる征服感。

(まずいよなぁ。彼女はもうすぐ元の場所へ返してあげないといけないのに。)

「夕鈴。」

名前を呼ぶと、少し不服そうな顔が黎翔をまっすぐに見る。

(好きだな。)

ころころ変わる表情も、いつでもまっすぐ自分を見つめる瞳も、声も、髪も、その全てが愛おしく感じる。

「夕鈴は、そのままでいてくれればいいんだよ。」

「陛下・・・。」

黎翔は優しく微笑みかけた。狼陛下からは到底考えられない笑みに夕鈴の胸に温かな感情が広がる。

「だからそれがダメだっていってるんですよ!そうやって甘やかすから現状に慣れ、日々怠惰な生活を送ってるんですよ!」

「えぇーーー?」

「いいですか!嫁とは本来夫の支えになるべき存在ででして」

「うんうん」

こうして夕鈴の「本来あるべき夫婦像」談義は就寝の時間まで続いた。

(まぁ、帰せない状況を作ればいいよね。)

と、画策する狼陛下。

(あれ!?仕事の件って結局どうにもなってない!?)

と、事の顛末に気づくのが遅すぎた臨時花嫁。

二人の距離が少しだけ変わってきた頃のお話。
その後、夕鈴にはめでたく(?)掃除婦の仕事が割り当てられるのだが、それはもう少しあとのお話。

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