トライシクル

□バイバイシンドローム
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「いーーーっちばーーーーん!!!」


授業終了のチャイムが尾を引いて消え去った瞬間、2年の教室が立ち並ぶ白い長廊下に伸びの良い大声が響き渡る。
第一走者はまだ誰もいない直線コースを独走状態。バトン代わりにうちわを持って駆け抜けるのはひとりの精鋭で、年甲斐もなく子供のように目を輝かせた少年、2年A組の山崎仁(ヤマザキ ジン)だ。

風の抵抗を受けてもなおピンピンに突っ立っている、明るい赤茶色に染め上げたウルフヘアー。はだけたワイシャツや緩んだネクタイ、走っているせいで余計にずり下がるぶかぶかのスラックス──それらを見てわかるように、彼はここ柴谷区にある公立平田高校の不良生徒である。成績や素行に関しても、だ。

そんなやたらハイテンションな彼が猛スピードで走ってゆくその先は、待ってましたとばかりに開け放たれた大きなドア。その真上には「食堂」と書かれた少々小さな表札が掲げられている。

もちろん今は昼休み。まあ何を隠そう、彼は食事にありつこうとしているワケなのである。その勢いが尋常じゃないだけで。

まるでラッシュ時の駆け込み乗車のような勢いで食堂の扉をくぐった仁はさっそうとカウンターに直進する。腰履きしただらしないスラックスの裾を引きずって歩こうが気にしない。
今日も食堂一番乗りを遂げた嬉しさに心を踊らせるばかりだった。ここの地域でも一番の広さを誇る食堂内に自分だけというのが、何だか新鮮な気分が味わえるのもまた一興。


「おばちゃーん!オムライスひとつ!!」

「あいよー!あら、また仁が一番乗りだね」


香ばしい匂いが漂ってくる調理室の奥からは、少し年季の入った元気な返事が返ってきた。白い三角巾を付けたおばちゃんの頬に笑顔でシワが寄るのが窓ガラス越しに見える。
ごま油の跳ねる音とフライパンを揺らすリズムが妙にマッチングしていて、余計に空腹を促す効果でもあるのかと思ってしまうくらいだ。


「おーい、仁!まーたお前が一番乗りか〜」

「ははっ、まあオレには勝てねえって!」


そんな中息を切らして食堂に入ってきたのは、ひと目見てすぐに仁の仲間だとわかる、隣のクラスの不良少年。
仁と同じように腕捲りをした長袖のワイシャツの胸元は少しはだけていて、わざと短くしたネクタイはゆるゆるにぶら下がっている。
彼はダブダブのスラックスのポケットに突っ込んでいた青いミサンガ付きの右手で、仁よりももう少し短めの金髪をかき上げ残念そうな表情をたたえてはにかんだ。男のクセにやたら濃く長い睫毛の下からのぞく切れ長の二重の目が、よく女にモテる要素なんだなと仁は改めて関心してしまう。

まあ、中学校からの馴染みだからそれに慣れてはいるのだが。


「なあ仁、今日は最後までいるんだろ?」

「ん〜、今日はこれ食ったら帰る」

「マジかよ?お前なあ……中坊とは違うんだぞ?俺だって退学はイヤだったからけっこう真面目になったのに。つうか今更だけどお前、よくそんなんで2年になれたよな」


そう言われて返す言葉がないのは事実だからだが、別にそれがたいした障害ではないと踏んでいる仁にとって、どうでもいいことだった。あきれ顔で軽い説教をかます友人を「ふーん」と横目でたしなめ、窓際にあるお気に入りのテーブルにつく。
元からそんなに事態を重く見るクセのついていなかったお気楽主義者に未来の話をするなど、蛇にたくさんの足を付けた絵を描くようなものだ。

よく磨かれた大きな窓から見える今日の空もまた快晴。
ひしめき合うビル郡の間から見える青々とした空という水槽の中で、真綿のように白い入道雲がもくもくと育ちゆく夏特有の景色。草木や生き物は眩しい太陽に照らされいつも以上に生き生きとし、海、空が最も美しく見えて青の色が一番映えるシーズン。
開放的で醒めやらぬ興奮がもたらす暑さと数々のイベント。アスファルトから立ち上る陽炎も、突然怒ったようにして降り出す生温かい夕立も、少し涼しい夜風に吹かれて見上げた夜の海に寄り添う天の川も。
全て夏だけに見られる現象だ。

爽やかに汗ばむこの季節、どこか切ないのは何故だろう。仁は冬になると決まってこの時期を思い出したものだ。その度に胸の奥が少し締め付けられる感じを覚えるのは、きっと人類の大きな課題。


「なあ〜、聞いてんのかよ」


仁はその手に握りしめていたうちわで扇ぎながら窓越しの景色を見つめる。いつのまにかオムライスと焼きそばを運んで来た金髪の友人の姿すらも、その純粋な瞳には入っていないのだろう。
彼は真夏への特別な思いをあの蒼空に馳せていて上の空だ。

やがて今日で31回目のあくびをすると、仁は友人が持ってきてくれた温かいオムライスにありついた。
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