トライシクル

□後味悪い歯痒さの理由
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昼下がりの車内は意外と空いていて、窓から指す暖かな陽光を全身に浴びれるくらい、余裕を持ってシートに座ることができた。リズミカルに揺れ動く電車は真っ暗なトンネルに突入するたびに耳鳴りをも超えるほどの轟音が響き渡る。風をかきまぜる勢いの良い音は、高音と低音の絶妙なハーモニーをかもし出していた。


目の前で懸命に話を聞き込む秀也の顔はやや真剣ではあるが、半分呆れているようにも見える。真実味を帯びた話をオーバーアクション気味に伝える仁だとリアリティを欠いてしまっているようだ。くるくると忙しく変わる仁の豊かな表情をまるで観察するかのように見つめる秀也は適当な生返事を返してはため息をつく。


「ったく…聞いてんのかよ。オレ、そのヤクザに監禁されてたんだぜ?かなりの間」

「ああ、聞いてるよ。1週間くらい前に監禁、なぜか昨日になって解放されたんだろ?…とすれば、証拠消しのための悪あがきか…ん?監禁に至った動機は何だって?」

「オレが見てはいけないものを見ちまったから。たぶん、さっき話したエロオヤジのことだと思う」

「どんな顔してたんだ?」

「うーん…」


監禁されていたことについては鮮明に説明できたのに、その要因ともなると思い出すのが難しいらしい。複雑に絡み合った繊細で儚い記憶の糸を慎重にたぐい寄せるかのように、眉間にシワを寄せながらうなり始める始末。

そんな中、いち早く打開策に乗り出したのはやはり秀也だった。行動力は幾分仁に劣るが、その秀逸さは誰もが認めるほどである。糸が切れたようにはっと我に返ると、すかさずポケットから携帯を取り出してボタンを連打する。


もはやマナーなどを四の五の言っている暇はない。無我夢中で開かれた銀色に輝く携帯に映し出されたのは、やや画質の悪いワンセグテレビ。通常のテレビより少し遅れたモーションを見せることから、初期のワンセグ機種だということが見て取れる。秀也の的確な判断によって飛び込んできたニュースは、ふたりに衝撃をもたらした。


「おい、秀也…」

「お前の見たエロオヤジって、まさかこいつじゃないよな?」


秀也は困ったような笑みを浮かべながら携帯を差し出す。携帯から漏れ出るかすかな音に耳を傾けながら白光りする画面に視線を移す。その直後、釘づけとなった目を大きく見開いた仁は驚愕の色に染まり、あんぐりと口を開けていた。「やっぱりか」秀也の鋭い目もニュース番組をチューニングしてある画面に向けられる。


小さな画面に映った小さな男性キャスターは、昼下がりのニュースを淡々と伝えていた。均一されたトーンの声には一切感情などこもってはいない。事実を明確に伝えるために余計な情を呼び起こさないような、冷静な顔つきだった。


「死亡した長尾議員の新たな不正が発覚しました。先ほどお伝えした領収書書き換え事件に次ぐニュースです」


キャスターの隣のスクリーンに掲げられた、薄毛の目立つ中年男の顔。生前にも撮られた写真にも関わらず、死相が薄らと浮かび上がった顔はどこかやつれている。それでも傲慢なオーラが目に見えるほど染み出ているその顔に、仁は見覚えがあったのだ。


「そう…こいつだよこいつ!って政治家かよ!?」


当の本人はかなり動揺しているようで、VTRとして流れる豪邸や他の議員と長尾議員の顔を見比べながら驚嘆の声を漏らす。歯切れが悪くたどたどしい感嘆の声に秀也は真実性を見いだしたようだ。が、次々と明らかになる長尾議員の不正に、秀也は不信な眼差しを向けていた。


「こいつ、まさか濡れ衣に…?」


秀也が注目していた一点は長尾の顔写真ではなく、VTRの隅っこに小さく映った大物議員の怪しげな薄ら笑い。政治家は汚職だと勝手な偏見を抱けるほど、彼らにはモラルが存在しない。秀也はいつのまにか冷ややかな瞳で小さな画面に浮かび上がる中年男の顔をにらみつけていた。


彼らはお互いに泥を塗り合って生きる金にたかる豚にしか見えない。


秀也の唇が無声のまま小さく揺れ動く。その隣では未だ手に持つ携帯を唖然と見つめている拍子抜けするような仁の顔。

その直後、電車は地下へのトンネルに突入し、左右に大きく揺れた。窓の外は突然真っ黒に塗り潰され、蛍光灯が放つ死んだ光によってより一層まぶしさを増した車内はいつもより純潔な白に見える。大きな耳鳴りを伴う地鳴りのような反響音が窓ガラスを打ち破らん勢いで響いてきた。トンネルが叫んでいるようだ。


それに気を取られた秀也が何気なく窓の外に目を移す。車内のまぶしい蛍光灯の光が反射し、向かいの窓に秀也のつまらなそうな顔が映る。いつものピエロの顔が自然に剥ぎ取られたその無愛想な面がかいま見えるような気がした。


「蒼と会った日から妙なことばっかり起きやがる…」


隣ではすでに秀也の携帯を我が物顔でいじくる仁が、ふてくされながらぶつくさと独り言をつぶやいている。まるで自分には何も原因はないと言い張るかのように漏れ出る言葉には少なからず毒がしみ込んでいるようだ。これを聞いた蒼はきっとお前はどうしてそこまでバカなんだと嘆くに違いない。


鼻をならして向かいの窓に視線を移した瞬間、秀也の背筋が凍り付いたように動かなくなった。まるで真冬の厳しさを感じさせる針を刺すような寒気が背中を這いずり回る。なんだ、この異様な感覚は。


忍び笑う異常を敏感に感じ取った秀也は硬直してピクリとも動かないまぶたをなんとか解き放とうと、黒目をせわしなく駆け回らせる。電車の揺れと視界の大きなブレが相成って、歪んだ視界にはっきりと映るモノは少なかった。が、恐れるかのように車内を見回す秀也の目に思わぬ光景が飛び込んでくる。


視線をゆっくりと這わせた先は、向かいのシート。先ほどまで人ひとりいなかったハズのシートに、うつむいたまま腰掛ける茶髪のくずれた頭の男が、いた。まるで日常の隙間にうまくまぎれ込んでいるかのように。
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