トライシクル

□見えないうた
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ああ、なんてバカバカしい。そしてクズだ。皆、クズ同然の生き物だ。

いや、生き物と呼べるものじゃない。きっとそんな名前がついたから思い上がっているだけだ。


緒方秀也(オガタ シュウヤ)の場合は、そうとしか思えなかった。
理由?――そんなもの、ないに等しい。あるとすれば、自分が知る限りの"人間"という生き物の性質や現代の生活を思い浮かべればその答えに行き着く、ただそれだけだ。


8月27日、本日快晴。
今は昼休みということもあってか、教室の中はうかれる生徒達で賑わいを見せていた。チャイムと同時に隣の教室から大声が聞こえてきたが、またいつものバカが飛び出していったんだろう。

秀也は窓際の机に腰かけ、浅葱色のキャンバスに浮かぶ白い綿雲を見上げる。命の限り鳴き続けるセミの声が、妙にうるさい。夏休み終わりの時期と言っても、相変わらずの暑さに参ってしまいそうだ。


「なあ、秀也!お前あのネタ知ってるか?」

「うっさいKY」


いつものように絡んでくるクラスメイト達をテキトーにあしらい、紺碧の空に思い馳せる。その胸中を今知る者はこの教室内には絶対いないのだろう。まあ当たり前だ。その証拠に周りに集まった男子達がどっと笑う。


「マジうける、秀也にまで言われてやんの!」

「ちょっ……KYって、オレなんにもしてねえじゃん!」

「だからKYなんだよ、バカ」


はあー、とわざとらしくため息をついてみせる。そこまで大っぴらに真意を覗かせるような真似をしても、相変わらず周りの人間はその独自のキャラ性に魅せられ何の疑問も抱かない。むしろ大いに受け入れてくれる。

当たり前か。受け入れてもらえるようなキャラを作ったのだから。


それは天然ではなく、むしろ策略に近いものだった。
昔からいつも思う。

『人間なんて浅はかな生き物だ』

しかし本当の顔など見せられるハズがなかった。
だってそんなことをしてしまうと、今の仲間と地位が手の平を返したように立ち去ってしまうから。かつてそうであったように。
そんな痛い過去から得た心の血を犠牲に、幾度となく様々な人格を開発してきた。ある時はクールな毒舌ツッコミ役、またある時は頼りがいのある切れ者……それらは全て周りの人間に受け入れてもらえるような"便利なコミュニケーションツール"でしかない。
何せたいていは愚かな人間達なのだ。ひねくれ歪んだこの本性を見せた途端に突っぱねられるのがオチ。だったら本音を腹の底に沈め、普段は受けの良いキャラクターを前面に出し対話を円滑に行う方が効率的だ。
それは社会で当たり障りなく生きていくための、自分なりの利害調整であった。


「秀也、今日食堂行くべ」

「ああ、わかった」

「おれさあ久々に学食のうどん食いてえんだよな〜!あれマジうめえじゃん!」

「俺は冷やし中華かな」


異常だと自覚があるなら隠せばいい。それだけで人はやすやすと間合いに踏み込んでくる。それだけで日常の楽しさの中に入り込むことが出来るのだ。


「……おい、そういえばあいつ……竹内ってさ、気味わりいよな。いっつもひとりでいるし、独り言よく言うし……しかもその内容怪しいし……」

「そうそうそう!この前なんかさあ、なんか携帯見ながらひとりでニヤニヤしてたぞ……キメェよな。同じ系統の友達とかいないのかね?そっち系の笹原達からも気味悪がられてるらしいぞ……」

「……別に今に始まった話じゃないだろ。そんなのいちいち気にしてどうすんだよ。それよりさっさと食堂行くんだろ?」


こそこそと耳打ちを交わす友人達をたしなめ、会話の主役となっているその人物にちらりと視線をやる。

その異常を隠せば普通に生活を楽しめたろうに。
そんな思いをつゆ知らず、彼は教室の一番隅っこの席でひとりぽつんとコンビニ弁当をつついていた。





青春時代の下校時間というものはあっという間に訪れる。
今日もまた、胸がしめつけられるほどの痛みを伴う美しい夕暮れが空一面に広がっていた。

日暮しの声が遠くから尾を引いて消えゆく時、自分はオレンジ色に染まる並木道のど真ん中を歩いていた。

繰り返される光景、何一つ変わらぬ現実。
どこか満たされないのは、やはりこの止まってしまった現実が原因なのだろうか。
様々な視点から物事を批評していると、時間なんてあっという間に過ぎてしまう。いや、時間なんてものは人間が創った単なる概念にすぎないが。

そうやって練りに練られて熟考された展開の先にあるのは、少し冷静に戻った時の自分への客観的な感想。
なんて下らないんだろう。そして何て愚かだ。こんな考えを持つ自分は。
それはきっと自分も下らない"人間"に属する生き物であるからだろう。


路頭で立ち止まった秀也は、これでもかというくらいにけばけばしく光るネオンに隠された静かな夜の帳を見上げた。今にも沈みそうな夕陽がチカチカとビルに乱反射する。赤と黒がグラデーションを成して混じりゆくその様が幽玄の垣間を思わせるのは、黄昏の魔力のせい。
今では作り出された人工のふてぶてしい光に勢力負けしている気もするが。

そうして周りをひと通り見渡すと、背中合わせにそびえ立つビルのビジョンから妙に耳につくニュースが報道された。

いつもなら気にしないハズなのに、何故か直感的にそれを見てしまう。今日1日、本当に『妙なこと』ばかりだ。

再びため息をついた秀也はゆっくりと巨大なビジョンを見上げ、静かに耳を傾ける。


どうやらこのスクランブル交差点から少し離れた場所で起きた事故のようだ。いつになく周囲のざわめきが耳についたのはそのせいだったのか。


「──て、突然発狂して15建てという高さの屋上から転落死しました」


発狂して転落死――どんな理由であれ、安定を保てず異常に走るなんて愚かな行為に過ぎない。そうなる前にどうして理性を盾にする努力をしないのだろうか。

やっぱり世の中はバカばっかりだ。


冷ややかな視線を死亡した人の顔写真に送り、心の中で批判する。
そして信号機が青になって横断歩道を渡るリーマンの集団にまぎれて帰路をたどっていった。
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