拍手お礼ストーリー

□夏の終わりに
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初秋の夜風が二つの火照った頬をくすぐる。
日中の暑さが嘘みたいな優しい温度に、人々はほっと一息ついていた。

さくらと小狼は、夜の帳が降りた川原へと続く道を、肩を並べて歩く。

『やっぱり夜は涼しいね、』
小さな団扇をパタパタさせたさくらが言った。

『・・・なんか夏が終わってしまうなんて、ちょっと寂しいな、』

『だが、さくらは、暑いから早く秋がきて欲しい〜っと言っていただろう?』

『そうだけどぉ、・・・もう暑いのなんて忘れちゃったよ、』

『さくらは都合がいいな、』
ふ、小狼が小さく笑って言う。

『はうううう、』
さくらがそんな小狼の言葉に、困ったように眉をハの字にさせた。


―異常気象といわれた今年の夏。

さくらだけではない、誰もがただならぬ暑さの日々に、
幾度となくぴーかん照りの空を睨んだというのに。

『喉元過ぎれば暑さ(熱さ)忘れる』
今朝のニュースキャスターがそう言っていた。

酷暑が過ぎていくのがなんとなく寂しく感じるとは・・・本当に日本人は変わっていると小狼は思った。
香港の暑さと比べたらたいしたことない、
特に今年の香港は、異常なほどの暑さだったと苺鈴も言うくらいだったのだから。

『花火、楽しみだね、』
からん、さくらの下駄が楽しげな歌を歌い、さくら色の浴衣が心地よい衣擦れの音を鳴らす。

―今夜は近くの街で、小さな花火大会が行なわれる予定だった。

しかし、その街まで行くには少し遠いので、
夜空が少しでも広く見える川原まで行って、そこから大輪の華を眺めようじゃないか、
そう約束した二人はこうして静かな川辺に足を運んだのだった。

サラサラと絶え間なく流れを織り成す小さな川。
足元の草むらでは、一足早く秋の鈴虫たちによるコンサートが開催されていた。
―そう、確実に季節は、秋へと向かっていたのだった。


『・・・夏休み、楽しかった♪』
川原にある、空が一番良く見えそうな木のそばにつくと、
花火が上がるであろう街の方向を見ながらさくらが小さくつぶやいた。

『小狼くんと海にも行ったし、お買い物にも行ったし・・・、そうだ、一緒にお勉強もしたから、
さくら、夏休み明けの実力テストはばっちりだったよ、』

『そうか、それはよかったな。』

『・・・ありがと、』

『いや、』

リリーン・・・
人一倍元気な鈴虫が、夜空コンサートの終わりを告げる。
それと同時に、夏の夜も静かに終わりを迎えたような気がして、さくらも小狼も急に黙りこくった。

さくらと過ごした夏、
そのひとつひとつが、まるでシャボン玉のように浮かんでは消えていく。

―輝いた太陽の下には、いつもさくらの笑顔がはじけていた。

小狼くん、と自分の名を呼ぶ声、
まぶしさの向こうにある、さくらの笑い声、
真っ青な空を映した翡翠色の瞳―


―おかしい、
小狼は、はっとした。

先ほど、夏を恋しがるなんて勝手な言い分だと思っていたのに・・・
今、自分は夏が過ぎていくのが寂しい、と一瞬思ってしまったからだ。
―そうだ、今年の夏にしか出会えない、さくらを思い出すと。

寂しい―


一束の髪が、夜空を見上げたさくらの頬を撫でていた。
夏空の下で見たその髪は確かに金色に輝くはちみつ色であったはずなのに。

小狼は、まるで引き寄せられるようにその髪に手を伸ばす。

『あ、』
触れた指先からさくらの温度を感じる。
自分の指を滑り降りサラサラと音を立てる一筋の髪が、いつの間にか秋色に染まっていたのに気づいて、
小狼はとたんに何とも言いようのない、もの寂しさに襲われた。

―これが、風情というものなのだろうか・・・?


『小狼く、ん?』

『、・・・さくら、キスしていいか?』

『ほえ、で、でもっ、ここじゃ誰かに見られちゃうっ・・・』
・・・見られたってかまわない、夏のさくらを忘れないように、
その唇に、
その身体に、
その記憶に刻んでおきたいんだ―

小狼はさくらの細い腰を引き寄せると、強引にその唇を奪った。

その瞬間、
パーン・・・―
大きな音を立てて、大輪の華が濃紺の空に咲いた。

『あ、んっ・・・しゃ、しゃおらん、くん・・・花火が、』
唇の重なった隙間から、さくらの声が漏れた。

『ほら、花、火・・・っ、・・・んっ、始まった、よっ、』
さくらの唇を執拗に追いかけて、しゃべるスキを与えようとしない。

大きな花火が咲き乱れる様を、小狼は背中に感じていた。
だが、片時も唇を離したくない。
忘れないように、夏の味を感じていたいんだ・・・

小狼は強いまなざしを上げると、
さくらの瞳をじっと見つめたまま、つぶやいた。

『・・・もう、見てる、』

『え・・・?』

『花火・・・、さくらの瞳に映っている、』

『あっ、・・・』

小狼は、小さい声を上げるさくらともっと深く繋がろうと、
強くきつく抱きしめた。

fin.

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