オハナシ
□恋するにんぎょひめ
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1、はじまりの海
…遠くで、雨が降っている。
柔らかな波間を意識がとぎれとぎれに漂う。
だんだん近づいてきて…やがて、くもった様な水の音に変わる。
(ここは、…どこ?)
重い瞼を何とか開いて、辺りをうかがう。
目の前に広がる、限りなく透き通るブルー。
白い水泡がまるで真珠のように水面に向かって浮き上がる。
『ほえっ!』
さくらは両手を広げ、慌てて宙をかく。
指先に軽く水の抵抗を感じた。
泳ぎは得意だが、さすが寝起きは別だ。
夜、袖を通したピンクのパジャマがひらひらと波打っている。
『私…なにしているんだろう?!』
驚いて息を吐いた途端、たくさんの水泡の粒が、水の空めがけて上っていったが、不思議と苦しくない。
どうやら息は出来るようだ。
潮の香りと揺らめいた周りの様子から、さくらは海の底にいる、らしい。
『これは…ユメ、かな…?』
水の中で気がついてもうだいぶ立つのに、冷たさを感じない。
ちょっと変わったユメなんて、いつものこと。
それなら♪と、さくらは海水を蹴って、さらに奥へと潜り込む。
水をかく手がとても軽い。
そう、人魚になったような感じ。
『にんぎょさん…?』
そういえば、寝る前に手にした童話。
茶色い皮の表紙には金色の文字で「にんぎょひめ」とかかれていた。
昔、お母さんが読んでくれたお話…。
内容なんてほとんど覚えてないのに、記憶に刻まれた1枚の絵。
…王子様に恋をした「にんぎょひめ」が、人間になれる薬をもらおうと海の底に住む魔女を訪ねるシーン。
美しい声と引きかえに、「にんぎょひめ」は二本の足をもらうのだが、そのあやしい薬はきれいな貝の形をしたビンに入っていた。
さくらは急いで海の底に向かう。…どうしても確かめたいことがあったのだ。
『お話できなくなる前に、早く!』
さくらは懸命に腕を動かし、深くより深く、泳いでいく―
どっすんっ!!
『ほえぇぇ〜!』
鈍い痛みが腰の辺りに走る。ふと目を開くと、さかさまに映る自分の部屋。
窓からは昨日の雨がウソみたいにキラキラした日ざしが差し込んでいて…
いつもの景色なのにさっきまでいたその場所とはまるでかけ離れている様子に…
状況を思い出すのに長い時間を要した。
『ユメ…だったんだ…。』
痛みの走る腰をさすりながら、枕元に置かれた茶色い本を見つける。
ケロちゃんはまだ引き出しの中だから、朝も開けたばかりなのだろう。
ベットの下にぺたんっと座り、はふぅ〜と息をつく。が。
『ほえぇぇ〜、な、なにこれ…』
…さくらの手には、さきほど海の底で見ようとした薬のビンが握られていた。