□仙道先生とオレ
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一月半ば、こんな外れた時期に産休の先生がやってくる。理由は、二年の担任の石原ちゃんが大ボケかましたせいだ。
 先生だからって出来ちゃった結婚が悪いわけじゃねえ、ただ、『結婚します。』の報告前に悪阻がひどくて病院に運ばれちまったのがまずかった。しかも、先生達の忘年会の席で。
 ゲーゲーやる石原ちゃんに教頭が『食中毒か!』って大騒ぎしたとか、したとか・・・。
 恥かかされた形になった教頭が悪阻がひどくてしばらく入院する事になった石原ちゃんに『ず〜っと休んでいてくれ!。』と言って・・・そのまま退職するみたいだ。


 『結構、可愛い先生だったのになあ。』
 窓の外を見てボンヤリしていると、二年でも同じクラスの洋平が小声で話しかけてくる。
 「今度来る先生って、すげえ美形なんだってよ。」
 「お!ホントか!」
 「しっ!花道。」
 つい、大声になってホームルームをやっている教頭がこっちを睨む。
 そんな視線などものともせずに、花道はもう妄想モードに入っていた。
 『そっか、美形かぁ〜。じゃあ、アイドル系ってより女優みたいなんかな?』
 そんな花道を見て洋平がちょっと笑った。

 本当なら今朝の朝礼の時間から来るはずの代わりの先生が雪の為に遅れてくるらしい。
 『ちぇっ、遅刻かよ。朝から噂の美形が見られるのかもって思っていたのによ。』
一時間目はどうにか起きていた花道だったが、二時間目以降、自主休講していた。

「花道、花道。」
窓からさす暖かい日差しにぐっすり眠っていては、洋平の呼ぶ小声も聞こえない。
そんな花道の頭に衝撃が加わる。
「どわぁー!!」
突然、丸めた本で頭を叩かれたのだ。
「ん、てめえ、誰でい。」
顔を上げると妙に背の高い見知らぬ男が立っている。
「今日から君達の担任、よろしく、桜木。あんまり、あからさまに寝るなよ。」
自分を殴ったのが今度の担任だと知り、花道は立ち上がって叫んだ。
「女じゃねーじゃん!」
一瞬、教室が静まり返り、その後爆笑の渦に変わる。
「そうだな、どう見ても男だな。オレは仙道彰って名前だ。ちなみにまだ一度も彰子になった覚えはないな。」
「えー、だって、美形っつただろ?」
花道が洋平を見ると肩をすくめて答えた。
「俺もそう聞いたけど、確かに女とは聞いてないからな。」
「花道ぃ、男でも美形の方がいいんじゃねえか、おまえ昔から面食いだしよォ。」
二年では同じクラスの高宮が茶々を入れる。
「うっせーぞ!高宮!」
顔を赤くして怒鳴る花道の頭を仙道先生は、くしゃっと撫でて笑いかけた。
「お褒め頂いて恐縮だが、そろそろ授業に戻るぞ。」
「ぬぅ。」
花道は、その手を振り払うタイミングを逸してしまいそのまま席に着いた。

突然決まった臨時講師の割には、仙道先生はとても評判が良かった。優しげなルックスとちょっと天然ボケの所が生徒に受けたのもあったが、何より教え方が良かった。
職員室には休み時間ごとに生徒が質問にやってくる。会って話したいだけの生徒と、本当に質問に来た生徒をちゃんと見分けて対処できる観察力に同僚の先生も一目置いてくれるようになっていった。

ある日の授業のあと、バスケ部員より先に仙道がコートを使っていた。早いドリブルから繰り出される綺麗なシュートに呆然と見惚れる部員達の中、花道がいち早く立ち直る。
「てめえ、何してやがる!」
「やあ、揃った?」
そう言って仙道はドリブルしながら花道達に近づいてくる。
変な顔つきの部員達を前に仙道は首をかしげる。
「あれ?安西先生から聞いてない?」
「何のことだ?」
そこへ委員会で遅れた桑田が入ってきて仙道に挨拶した。
「すいません、遅くなりました。あっ仙道先生、今日からですね、よろしくお願いします。」
「おい、桑田!何のことだ。」
桑田の挨拶に花道が気色ばむ。
「え?桜木君この間、安西先生がしばらく養生するから『仙道先生にコーチをお願いしたよ』って言っていたじゃないか。忘れていた?」
「こ、この天才が忘れたりすっかよ。ちょっと、知らねえ振りしてみただけじゃねえか。」
花道の苦しい言い訳も、もう半年近く副キャプテンを務める桑田には慣れたもので、笑顔で切り返す。
「そうか、桜木君に限って忘れるわけないもんな。他のみんながちゃんと聞いていたか試したんだね?じゃあ改めて、キャプテンの桜木君から仙道先生に挨拶してくれるかな?」
「そ、そうだよな、よく分かってんじゃないか、桑田!」
バンバンと背中を花道に叩かれながらもにっこりと桑田が笑い返している。
『俺達は、何も聞かされてないぞ。』
『恐るべし、桑田・・・。』
入部当時、花道の挙動にいちいちビックリしていた人物とは思えない。人間とは進歩し成長するものだと言うことを身をもって知ったバスケ部員達だった。
花道は自分に関わりのある範囲でしか他校の選手を知らなかったが、仙道は九歳年上ながらバスケ部員にも知っているものが何人かいるほど有名だった。
「十年ぐらい前に陵南が二連覇したのって、仙道先生が二、三年生の頃ですよね?」
「へえ〜、よく知っているなあ。」
穏やかに笑う仙道のその顔には、まだ汗もかいてない。
確かに仙道は、ずば抜けて上手かった。花道が一本もリバウンドが取れないなんてあり得ない事だったから。
『くっそー、センドーの奴・・・。』
すでに花道にとって、コートでの仙道は先生ではなく、倒すべき相手となっていた。

「久しぶりで熱が入りすぎたな。今日はここまで。遅いから気をつけて帰れよ。」
「「はい。」」
解散していく部員達の中、一人花道が残っている。
「何だ、桜木。もう帰れよ。」
「センドー、オレと勝負しろ!」
練習中から闘志をみなぎらせていたのは分かっていたが、こうも正面きって指を指されて仙道は一瞬面食らう。
『いつの間にか、呼び捨てだし・・・。』
それでも、こちらを睨みつける目の輝きにそんなことはどうでも良くなる。
「いいぞ、相手してやる。」

一時間ほども続けただろうか、一本も抜けない悔しさに歯噛みしながら、それでも花道は諦めずに向かってくる。
『久しぶりだな、こんなにワクワクするのは。』
薄く笑った仙道の顔をどう取ったのか花道がまっすぐ突っ込んでくる。仙道の手にあったボールが弾かれた。
「こら!今のは、ファールだぞ。」
「分かってらい。」
『それでも弾かれた、もう少し下だったらファールじゃなかったな。』
いつまでも続けていたい感覚に仙道の胸が躍る。
しかし、時計の針はもうすぐ八時半になろうとしていた。
「ラスト一本な。」
「ふぬ〜!ぜってー取る!!」

後片付けをしたり着替えたりして学校を出たのは、もう九時前だった。
「遅くなってしまって、悪かったな。」
「何で、おめえが謝るんだよ。」
勝負を申し込んで帰りが遅くなる原因を作ったのは自分の方なのに、仙道先生は笑いながらそう言った。
「桜木、夕食どうするんだ?」
この質問に『ああ、知ってんだな。』と漠然と花道は思った。
『一応、こんなのでも担任なんだから当然か。』
花道の家庭には既に父が死亡していない。母親の方も再婚して別に暮らしている。つまり、花道は一人暮らしなのだが、花道が話していなくとも家庭調査票などで担任なら簡単に知りえる情報だ。
「帰って適当なもん作る。」
「それなら、ラーメン食いに行かないか?奢ってやるよ。」
「え、マジ?でもオレ、ラーメン一杯ぐらいじゃあ腹の足しに何ねえぞ。」
「いいよ、ラーメン二杯でも三杯でも。ギョーザや焼き飯つけてもな。でも、他のやつに言うなよ、みんなに奢れるほど給料貰ってないから。」
「わかった。んでも、三人前ぐらいの覚悟はしていてくれよ。」
そう言って笑う花道の顔が年相応で可愛らしかった。

ラーメン屋では花道は宣言通り、ラーメン二杯、餃子二皿、八宝菜に麻婆豆腐に焼き飯を平らげた。店の親父がその食べっぷりに喜んで出してくれた杏仁豆腐も美味しそうに食べている。
「本当に全部その腹に入ったのか、感心するな。」
「このぐれえ当然だ。三人前って言ったろ。」
「でもおまえ、嬉しそうに食べるなあ。何だかこっちまで嬉しくなるよ。」
そう目を細めて笑う仙道の視線に、急に花道は落ち着かない気分になった。
「ひ、人が食べてんの、じっと見るなよ。」
「ははは、ごめん、ごめん。」
謝る割にはこちらを見つめてきて、花道は杏仁豆腐をかきこんだ。
「もう遅いし、送ってやるよ。」
そう言う仙道の言葉に甘えて車に乗ると、練習の疲れと満腹感からかすぐに睡魔が襲う。そのまま助手席で眠ってしまった花道を見て仙道が微笑む。
『なんだか、成りばかり大きな子供みたいだな。』
十五分も走ると花道のアパートの前に着いた。地図が好きだったので担任したクラスの子の住所はもう大体覚えている。特に花道の家は一人暮らしだと思い一番に覚えた。
「桜木、着いたぞ。」
軽くゆすったところで簡単に起きない。いつも下唇を突き出してへの字にしている事の多い花道の口が笑うように少し開いている。
「!」
気がつくと仙道は花道に口付けていた。
『あ、オレは・・・!』
咄嗟に身を引くと、幸い花道はまだ目覚めていない。
「おい、桜木!」
仙道は花道の肩をつかんでちょっと乱暴なぐらいに揺さぶった。
「ん?ああ、わりい。もう着いたんだ。送ってくれて、あんがと。」
何も気づかぬまま花道は車から降り、アパートの階段を駆け上がっていく。
「あー、参ったなあ。」
仙道は車の中で自分のした事に頭を抱えた。



学校の授業とバスケの部活を指導して新任教師の毎日が過ぎていく。
あれから部活での居残りは禁じてみんなで帰るよう命じている。
仙道は花道に対してまた同じような状況になった時、自分を抑える自信がなかった。その為、近く大会がない事や仮のコーチだと言う事でみんなを納得させているが、肝心の相手は、毎回ごねてごねまくっている。

「なんで残って相手してくんねえんだよ。」
「だから、いつも言っているだろ。遅くまで生徒を残しておくとオレが怒られるんです。」
「いいじゃねえか、ちっとぐらい。」
「はい、はい、帰った、帰った。」
いつものように軽く追い払われて、花道は頬を膨らます。
『やれやれ。』
仙道も帰ろうとした時、回れ右した花道がダッシュで追いかけてきた。
「なあ、だったら土曜日は?五時過ぎには練習が終わるだろ。少しぐらいならいいよな、な!」
「う、まあ、少しなら・・・。」
断わる理由をなくして仙道は承諾してしまう。
「やった!また、明日なあ!」
花道が極上の笑みを残して帰って行った。
『参るよ、本当。』
その後姿を眺めながら、仙道は一つため息をついた。

次の日は金曜日だった。五時間目の授業の後、仙道が廊下で花道を呼び止めた。
「桜木、この間の小テスト。お前学年でビリだぞ。」
耳打ちする様にそっと言うと、花道が顔を引きつらせて仰け反る。
「マジで?ビリ?」
これには流石に花道も少しは神妙な顔つきになる。
「数学五点、英語十点、現国八点、地理十六点、で、オレの生物が十三点。これで下のヤツがいるわけ無いだろ。」
花道は仙道にスラスラと点数を言われてちょっとムッとする。
「お前、今日から毎日一時間は職員室で補習な。」
「ええっ!ヤダよ!」
「だったら、土曜日の居残りバスケもなしだ。」
「ず、ずりいぞ、センドー・・・。」
ほんの少し仙道より背の低い花道が上目使いで仙道を睨む。
「なあ桜木、どっちにする?オレとしては、できれば初めて担任したクラスから落第生を出したくないんだがな。」
「・・・分かったよ、受けりゃあいいんだろ、受けりゃあ。そのかわり、土曜日八時まで付き合ってくれるか?」
「何で、練習後に三時間もバスケするんだよ。一時間で充分だろ、六時だ。」
「ええ〜ヤダ、だったら七時半!」
「それって、三十分しか減ってないだろ。・・・分かった、七時な。これ以上ごねるなよ。」
「やった。夕食付きな!」
「えっ?おい、こら!桜木!」
六時間目の始まりのチャイムを背に、花道が嬉しそうに手を振って教室に走っていく。
『まずいな〜。あんなでかい高二のガキが可愛くて仕方が無いなんて・・・。』
仙道はつい笑ってしまう口元を押さえてため息をつく。でも、少しも辛くはなかった。むしろ慕ってきてくれる事がくすぐったくて仕方が無い。補習をしようと校長や教頭に掛け合ったのも、本当は少しでも花道の側にいたいから。でも、職員室でしようとするのは、二人きりになる自信が無かったから。
『こんなにどうしていいか分からないのって・・・初めての気がする。』
女性体験は豊富にあるのに、これが仙道の初恋だった。
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