Wants 1st 番外SS
□パロディシリーズ
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『抗えないこと』
Side:セナ
走る、走る、ただひたすらに。
息が苦しくて、胸が焼けそうになって。
こんな風に死に物狂いで走るのは、恐らく俺の人生では最初で最後になるだろう。
うっすらと滲み出した汗が、これが夢ではないのだと思い知らせる。
木々の向こう側に見えてきた、青い海。
縺れそうになる足を叱咤しながら、俺は走り続けた。
***
――時代は、俺の存在をそう簡単には認めてくれなかった。
漆黒の瞳を持った民族の中では、俺の容姿は異端でしかなく。
蔑むような視線だけならまだしも、「他所者」とされた俺は、いつだって鬱憤の捌け口だったのだ。
『こんな小さな町は、君には窮屈過ぎるんだよ』
そう言って、初めてありのままの俺を認めてくれた人がいた。
『ノボルは不思議だね。俺が気持ち悪いとは思わないの?』
『まさか。町の人は狭い世界の中で生きているから、セナのような美しさには免疫が無いだけなんだよ。だから戸惑った挙げ句に、間違った対応をしてしまっているんだ』
『……』
『本当だよ。少し時代が違えば、きっと君はとても愛された』
小さな田舎町に派遣された博識の青年は、ノボルといった。
歳は俺と一つしか違わないのだけれど、とても大人びていて。
品の良い眼鏡や上等な洋服が、とても似合う人だった。
学識に乏しい町人の為にやってきた、学者グループに所属する一人である彼は、教師の卵であるらしい。
この時代に学があることもそうだが、教師だなんて夢の職業だ。
町人の噂話で、彼は大変なお金持ちの一族だということも聞いた。
彼の滞在期間中に、どうにか心を動かそうと躍起になっていた美しい娘も、一人や二人ではない。
そんな彼を俺は遠目に見ていたけれど、運命とは不思議なもので。
彼は身を潜めるようにして生活していた俺をわざわざ見付けだし、交流したがった。
ある時は、灯の弱い町外れで。
ある時は、美しい夕暮れの見える高台で。
ある時は、静かに波打つ海岸沿いで……
色々な言葉を交わした俺たちは、ゆっくりと距離を縮めていったのだ。
『綺麗な君が、とても好きだよ』
そう告げてくれたノボルは、酷く甘く優しい顔をしていたのに、それでいて胸が痛くなるほどに切ない声音だった。
まだ考えの幼かった俺は――恋にも慣れない俺は簡単に舞い上がってしまって、そのことに気付くのに時間がかかってしまったけれど。
男だとか女だとか、年上だとか年下だとか。
瞳の色が深いとか、淡いとか……そんなことは関係なく、俺は彼を慕った。
彼もまた、勿体無い程に俺に優しくしてくれた。
けれど、日に日に深く交わっていく心とは裏腹に、ノボルはどこか一線を引いているような部分もあって。
だから、昨日……初めてキスをした夜は、涙が出る程嬉しかったのに。
本当に、嬉しかったのに。
「ノボル……!」
走り過ぎて震えた膝ごと、俺は砂浜に崩れ落ちた。
白んだ空の下、港からは船が一隻消えている。
「ノボル……っ」
さらりとした砂の上に、ぽたぽたと涙が落ちた。
さようならなんて、勿論俺だって言いたくないけれど。
だからって、こんな……こんな、突然。
『町を出て、自分らしく生きて下さい。君の幸せを、誰よりも願っています』
町外れで、孤独に暮らす俺の家の扉向こうで、早朝に物音がした気がした。
前日の疲れで夢現だった俺が、何とか覚醒して起き出したのは、それからかなりの時間が経ってからのこと。
扉を開けると、足元には綺麗な封筒があり、大ぶりの石が重しにしてあった。
胸騒ぎを覚えながら、中身を確認すると。
そこには愛しい人からの言葉と、町を出てしばらく職に就かなくとも、十分余るであろう額のお金の束が。
『セナが好きだったよ。本当に、ごめんね』
手紙を読み進めるにつれ、指先が震えて、息が止まりそうになる。
『俺は婚約が決まったので、予定より早く町を出ることになりました』
見慣れた景色が滲んで、灰色になっていく気がした。
『ずるくて、ごめん。だけど、セナの顔を見ながら言えなかった』
よくよく考えれば、容易にわかったことだ。
由緒正しい家に育ち、結婚適齢期とも言える彼に、そういった意味での自由が無いことくらい。
好きだと思う気持ちが、そのまま一緒にいられるという理由にならないことくらい。
『ありがとう。君に出逢えて、幸せだったよ』
脳裏に浮かぶのは、優しく美しかった彼の微笑み。
ものを教えてくれる時の穏やかな声、綺麗な横顔。
「セナは幸せになれるよ」と、確信を持って見つめてくれた瞳。
「……違うよ、ノボル」
ノボルの言葉は、行動は、すべてが愛しく嬉しくて。
その一つ一つの思い出が、まるでそれぞれに輝いているようで――
だけどそれは、いつだって隣にノボルがいてくれたからだ。
「さよなら、なんて……!」
徐々に昇ってきた陽の光が、海面に無数の光を生み出している。
水平線は真っ直ぐに伸びていて、愛しい人を乗せた船の姿は、もうどこにも見当たらなかった。
「さよなら……なんて」
彼のいない世界で、俺が俺らしく生きていけるのだろうか。
この狭い世界を出れば、新しい幸せが見付かるのだろうか。
そんな事は、到底想像が付かないけれど。
「ノボル……」
せめて彼が願ってくれたことは、叶えてあげたい。
――町を出て、俺は新たに歩み出す他無いのだ。
……だけど、それにはもう少し時間が必要で。
俺は砂に埋もれた指先に視線を落としたまま、ひたすら嗚咽を漏らした。
愛する人は、もういない。
他に、どんな幸せもいらないから。
俺は、貴方にそばにいて欲しかったんだ――
fin.
***
唯一の和風……のつもりでした。
この後セナが町を出て、再び運命の悪戯でノボルと再会出来たらいいなと思いつつ。
2012.9.21