Wants 1st 番外SS
□パロディシリーズ
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『馴れ初め話』
(全2P)
Side:ハルカ
「っ、つめた……」
息が詰まる程の水の冷たさに思わずそう呟けば、ほわりと白い息が舞い上がった。
今僕が身を置いている場所は、今まで住んでいた場所と、生活はもとより気候までもが180度異なる。
寒い季節は何度も経験したことがあるはずなのに、それでもこんな風に、指がかじかむなんていう事態に陥ったのは初めてで。
暖を取る術もない現実に、僕はますます絶望する。
僕は生まれた時から、すべてが満たされていた。
それは優秀な父――国王に目を掛けてもらえるほどの、立派な騎士の息子だったから。
そして母は美しく、姉は賢く、僕たち家族はとても幸せだった。
そんな人生の歯車が一気に狂ってしまったのは、ほんの数ヶ月前。
父が、戦場で命を落としてしまった。
僕たちは優しく強かった父を想って、沢山泣いた。
殉職した父を誇らしくも思ったけれど、やはり身内を失うのは悲しいに決まっている。
だけど、僕らの本当の悲劇はここから始まったのだ。
父は生前、勇敢で、騎士としての才能もあったと聞く。
父よりも経歴の長い人間を何人も追い抜いて、異例の若さで重職に抜擢されたくらいだ。
それはとても誇らしいことで、家族皆の自慢だった。
でも……
「あれ、雪だ」
努力しても、なかなか報われずに嘆いている人間だって、世の中には沢山いるのだ。
父が亡くなったことをチャンスと捉えた人間は、一人ではなかった。
恐らく、父を妬ましく思っていたかなりの人数の者が共謀したのだろう。
あれ程国の為に、国王のために人生を賭けていた父に、疑惑が掛けられたのだ。
自分の手柄をより立てる為に、他国に不必要な挑発を掛け、そのせいで起きた戦いによって命を落としたと。
父がそんな人間ではないという事は火を見るよりも明らかだったが、彼らはどうやって用意したのか、それらしい証拠まで揃えていた。
死人に口なし。
父は、亡くなってから罪に問われることとなったのだ。
そしてその罪は僕ら家族が代わって受けることとなり、生まれ育った城下町から追い出されることになった。
「彼の生前の功績を配慮して、重刑にしなかった王の温情に感謝しろ」なんて言葉を掛けられながら、悔しさを吐きだす術も無く、そのまま家族離散。
その後僕はこの寒い下町の富豪の元で、下働きとして雇われることになったのだ。
晴れていると遠くに見える、そびえ立つ城を見る度に、胸を痛めずにはいられなかった。
「たかが掃除に一体何時間かけるつもりだ? このグズが」
「すみません」
慣れない場所、慣れない仕事。
一体何を励みに、この先を生きていけば良いのか。
弱者に当たり散らすことが唯一の楽しみらしい主人に頭を下げながら、ぼんやりと思う。
「次は買い出しだ。日が沈む前には帰って来いよ、次の仕事がある」
買い出しはつい先日済ませたばかりだというのに、この人は僕をとことんこき使いたいらしい。
小さく返事をして、僕はすぐに家を飛び出した。
買い物が出来る通りまでは遠いから、日暮れまでに往復するのはかなり大変だけれど。
それでもあの閉ざされた屋敷の中で、耳障りな主人の声を聞いているよりはマシだと思う。
それにしても、今日は本当に寒い。
あてがわれた薄く埃っぽい服だけでは、気休め程度の防寒にしかならなかった。
小刻みに震える身体を自分で抱きしめるようにして歩いていると、大通りに出る前に、不意に見慣れない露店を見付ける――もう店仕舞いなのか、片付けを始めているけれど。
何の気無しにそちらを見ていると、丁度屈んでいた店主らしき人物が立ち上がり、その顔が露わになった。
「……」
……かっこいい。
何となく中年の店主だと予想していたから、その彼が自分と大して年齢が変わらなそうなことに驚いた。
品の良い衣服に、僕が育った場所では良く見掛けていた装飾品の数々。
その出で立ちからして、出身は恐らく栄えた街の方だろう。
「よう、お嬢さん」
思わずじっと見入っていると、不意に彼は僕の存在に気付き、にっこりと微笑んだ。
その美しい顔立ち故に、一見気難しい人かと思いきや、笑顔は酷く人懐っこい。
しかし、どこからどう見ても使用人である僕に声を掛けるなんて……極度のお人好しか、それとも単純な冷やかしか。
「……僕、男だけど」
「え、マジで!」
とりあえず最低限の訂正をすると、彼は目を見開いて僕を凝視する。
そして何故か、「もっとこっち来いよ」と僕を手招きした。
「何でしょう」
「いや、もっとちゃんと見たくて……いやー、マジでか。世の中、綺麗な男もいるもんなんだな」
「……」
まじまじと見つめられながら言われた事に、僕は内心複雑になる。
かつては褒め言葉として受け取っていたそれも、今となっては嫌味にも聞こえてくる。
だって今の僕は、かなりみすぼらしい格好なのだ。
「……貴方は、城下町の方から?」
「おう、よくわかったな。一時的に、こっちで売ることになったんだけど……ホント、この辺ってスゲー寒いのな。風邪引きそうだわ」
「あ、これ」
賑やかな彼の話を聞きつつ、ふと陳列されていた品物を見てみれば。
かつての暮らしではよくお世話になっていた、便利な道具や華やかな品々が並んでいた。
懐かしい。
今の僕にとっては、過去のものでしかないけれど。
「これを売るなら、どうやって使うのか提示した方が良いと思いますよ。この辺には昔ながらの風習しかないし、村民も宝飾品に縁遠い生活をしているから」
お節介かと思ったものの、せっかくこんなに寒い地方まで売りに来たのだから、無駄足になったら勿体無いと思ってそう告げる。
食物によって使い分け出来る高性能なナイフに、特に女性なら心魅かれそうなショール留め……男性用のものもあったから、この店主に似合いそうなものを一つ手に取り、見本として自身に身に付けてみてはどうかと提案してみる。
と、彼は目を見開いてじっと僕を見つめた。
「何か……? あ、ごめんなさい。余計なお世話ですよね」
「いや、違くて。……なぁ、何でそんな詳しいの」
「え?」
僕に手渡された留め具を握り締めたまま、彼は眉を寄せる。
「お前、どこの出身?」
「……」
「この辺じゃねぇだろ。城下町か?」
そう聞かれて、僕は顔がかっと熱くなる。
……知られたく、ない。
城下町の中でも、特に城へ直通となっている敷地内に住んでいた人間が、こんな地方へと飛ばされただなんて。
父は冤罪だったわけだし、恥じることなど何も無いのだけれど……現実がこうなってしまった以上、きっと何を言っても負け惜しみにしか聞こえないはず。
僕はぎゅっと手を握り締め、唇を噛んだ。
「つーか、この留め具を知ってるってことは、貴族サンの中でも上の――って、え?」
「ッ!」
一人で話し続けていた彼が、突如声を上げると共に僕の首元に手を伸ばしてきた。
突然の出来事に僕は身を引くことも出来ず、その場で固まってしまう。
が、次の瞬間にはぎょっとして目を見開いた。
彼が手を伸ばしてきていたのは、唯一の父の形見として身に付けていた、名誉ある紋章が刻まれたペンダントだったから。
高価なものはすべて奪われてしまったのだが、これだけは必死に隠し通して、手放さずに済んだのだ。
けれど……何も知らない人から見たら、きっと異様に映るに違いない。
それは到底、一使用人が手にする事はないようなものなのだから。
最悪、盗難の疑いを掛けられてしまうかもしれない。
「ち、違っ! これは本当に、僕の……僕の父のもので――」
「どうしてこれがここに?! これはあの人が大切にしていた……」
僕の言葉を遮って、彼はペンダントを握ったまま、僕の父の名を呟いた。
それに驚いて、僕もまた彼の目を見返す。
「どうして……父の名を?」
「父?! 父って……じゃ、じゃあまさか、お前が『ハルカ』?!」
かなり久しぶりに、「グズ」でも「これ」でもなく、きちんと呼んでもらえた自分の名前。
ますます不思議に思って彼を見ると、彼はそっと僕の頬に手を添えてきた。