Wants 1st 番外SS
□パロディシリーズ
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『プリズム・ナイト』
Side:ヨウ
「畜生……ナメやがって! もう後が無いぞ、気を引き締めろ!」
文字通り、本当にもう後が無い上司の怒号に対して、同僚たちは皆ビクリと肩を跳ね上がらせた。
まだメディアには露出していない――でもこのままいけば、世間で騒がれるのも時間の問題なこの事件は、日に日に深刻さを極めている。
何しろまるで映画のような出来事が、次々と起こっているのだから。
「普通の人間が、怪盗なんて出来るもんなのかね」
不意に隣に立っていた一年先輩の男が、手にした資料を眺めながらそうぼやいた。
俺はそれに対して、小さく肩を竦めただけで応える。
――怪盗。
それが今、俺たち……いや、もう少し突っ込んで言えば国が、必死に捕えようとしているものだ。
盗まれるのは、毎回いわく付きのものばかり。
たとえば、重職の汚職事件に絡でいたと噂される宝飾品とか。
国が市民から強制的に奪った、国宝候補となる物品とか。
警官がどれだけ世間に蔓延る悪を摘んでいこうと、周りを見渡せば眠らされた事件など腐る程ある。
そんな中でも、特に市民に知られたら確実に反感を買うであろう事件に纏わるものばかり狙われるものだから、最近上はかなり殺気立っていた。
こうして普段は表舞台に立たない特別班の俺たちが、足繁く現場に出向かなければならない程に。
「どうした、ヨウ? 最近休み返上ばっかだから、参ってるのか」
「まさか。この件に関しては進展が無いから、つまらないなと思っただけですよ」
「ははっ、相変わらずお前は冷めてるな」
……さすがはこの実力主義の世界でも、ずっと第一線に身を置いている先輩だ。
俺の微かな表情の変化に気付ける人間なんて、一体どれ程いるのだろう。
でも、惜しいな。
せっかく勘付くことが出来たのに、彼は重要な部分を見落としていた。
俺は……皆が躍起になって探しているその男を、本当はよく知っている。
そんな、大切な事を。
***
――運命の夜には、酷く綺麗な月が昇っていた。
街では予告状に対して配備された、無数の制服を身に纏った仲間たちが、物々しい雰囲気を醸し出している。
何も知らない市民でさえも、何事かと首を傾げているくらいだ。
「……」
ちなみに俺はと言えば、今まで積み上げてきた経験と実力を買われ、とうとう今回は最も重要な場所――つまりは盗み出すと予告された物が置かれた部屋へと配備されていた。
刻一刻と進んでいく時計の針を見つめたまま、色んなことに思いを馳せる。
この部屋に配備された以上、もう誤魔化すことは出来ないだろうな。
どうすべきなのだろう。
いや、どうもしようもないか。
だって俺は、もう随分前から――
「ヨウ、今夜は月が綺麗だね」
ほんの少しの物音さえ立たなかったというのに、振り返れば、丈の長いカーテンが既にはためいていた。
開かれた窓の向こう側に見える、月と街灯りの逆光で、その人物の身体は美しく浮き立たされている。
「……そうですね。今夜は、空が明るい」
「まぁ俺は、もう少し欠けている方が風情があって好きなんだけどね」
クスリと笑った彼の手の中には、既にガラクタと化した監視カメラが転がっていた。
……彼を捕まえるなんて、無理に決まっているのだ。
世の中には何千分の一、いや何万分の一という割合で、天才と呼ばれるような人間が紛れ込んでいる。
彼は、代表的なそれだとしか思えなかった。
軽い身のこなしだけならともかく、回転の速い頭と勘の良さは、努力だけでどうにかなるものでもない。
「まさか、ヨウがここにいるとは思わなかった」
「俺も、予想外でした」
「どうするの。俺を捕まえる?」
悪戯っぽく笑った彼は、そう言いながら足取りも軽く俺の方へ歩み寄って来ると、そのまま俺の腰に腕を回す。
そして微動だにしない俺の額に自分の額を付けると、吐息の届く距離で再び密やかに笑った。
「捕まっちゃった」
「……どんな冗談ですか」
「冗談じゃないよ。俺はもう、とっくにヨウに捕まってるけど」
本当に、困った人だ。
捕らわれたのは貴方じゃなくて、俺の方だというのに。
どうして俺は、この仕事を選んでしまったのだろう。
身軽な彼の翼を奪うくらいならば、いっそのこと――
「ヨウ、今何を考えてる?」
「もっと早く、ミズキさんに出逢いたかったなって」
ある晩……俺は偶然この人と鉢合わせ、一瞬にして心を奪われてしまった。
運命とは不思議なもので、それからも何度となく顔を合わせる偶然は重なり、互いを意識するようになって。
いつの間にか、彼も俺に対して特別な感情を抱いてくれるようになったのだ。
そしてミズキさんはある時、何の躊躇いもなく、俺に自分の名や素性を明かしてくれた。
一方俺は何度も仕事をこなすフリをしながら、何食わぬ顔で彼を逃がした。
俺たちは、互いの行く末を左右するものを握り合っている。
「何事も、遅過ぎるって事は無いさ」
「そうですか? なら、今すぐ貴方に付いていきたいと言っても?」
そう告げると、ミズキさんは一瞬目を見開いた後、困ったように微笑んだ。
「……ヨウには、逃亡人生なんて似合わないよ。俺と違って、君はせっかくエリートの道を歩んできたんだから」
「ミズキさんだって、志は高いじゃないですか」
「……」
「俺は、貴方が好きです」
こんな世界よりも。
心の中で、そう付け足した。
そう。ミズキさんは何も、私利私欲で物を奪っているのではない。
悪事に巻き込まれた物――権力を振りかざされ、特にミズキさんと同様に、決して豊かだとは言えない家々から奪われていった物を、元あった場所に返すという作業を行っているだけなのだ。
やり方が不器用なだけで、本当はこの人は見た目通り、心も美しい人だと俺は知っている。
「……ヨウ」
けれど、国の上層部にとってそんなことはどうでも良くて――既に多くの秘密を知ってしまったミズキさんが捕まってしまったら、もう一生牢獄から出てくることは不可能だろう。
権力者の薄汚れた懐を荒らそうとするものは、社会から排除される。
ここは、そういう世界なのだ。
「……ミズキさん、俺は」
「!」
月明かりに照らされた美しい頬に手を添え、衝動的に唇を合わせた後に、言葉を発した瞬間。
何の前触れもなく、背後の扉が大きな音を立てて開いた。
と同時に、今この瞬間まで触れ合っていた温もりは、即座に消えてしまう。
その気配に名残惜しさを感じつつもゆっくりと振り返ると、恐ろしい形相をした同業者が、こちらを見つめていた。
「……」
「……今、ターゲットと一緒にいなかったか?」
「……」
「答えろ!」
ミズキさんの気配が無事部屋から消えて行ったことに安心し、俺は思わず笑みを零した。
あぁ、そうか。
もっと早く、こうすれば良かったのかもしれない。
「……そうですね。いたかもしれません」
「ふざけるな! まさか……お前スパイじゃないだろうな?! 話を聞かせてもらおう」
すぐに駆け付けてきた複数人に囲まれ、今までとは逆に、今度は自分が拘束される側の人間となる。
人生の歯車ほど、脆く不確かなものはない。
「歩け!」と乱暴に頭を掴まれ、自分の髪が揺れた瞬間、彼の――ミズキさんの移り香がほんのりと漂って、俺はふっと口元を緩めた。
揺れるカーテンの向こう側では、月が煌々と輝いている。
確かに彼の言う通り、月はもう少し欠けていた方が風情があるかもしれない。
まるで、密やかに微笑む貴方のようで。
相変わらず物々しい雰囲気の中、そんなことを思った。
――あぁ、次の予告状が楽しみだ。
予告状
今宵、私の愛する者を奪いに参ります
fin.
***
補足……ヨウが捕まったのは計算で、ミズキと生きるために、あえて捕まりました。
2012.8.26