Wants 1st 番外SS

□Original TitleU
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22.Aquarium

Side:Mihiro


「……巳弘」

「おう、支度出来たか」

「うん」


 トントンと音を立てて階段から降りてきた漸を見上げながら、俺はふっと口元を緩めた。

 月に二度しかない定休日の朝、俺と漸は既に私服に着替えている。
 普段ならば前日の夜にベッドになだれ込んだっきり、朝まで寝るのを放棄して、今頃ようやく漸が熟睡し始める頃だろう。

 けれど昨日は惜しいと思う気持ちをどうにかやり過ごして、漸にも先に寝るよう指示し、俺も漸の隣に滑り込むなりすぐに眠りについた。


 というのも、今日は珍しく遠出する予定があって。
 この歳になってやたらピュアだなと思わざるを得ないが、水族館に行くことになったのだ。

 キッカケは、この間カウンター席で飲んでいた客が、最近家族を連れて行ったら楽しかったという話を聞いたから。

 きっと漸は、動物園やら水族館やらには、それこそ小学生の頃の学校行事でしか行ったことが無いに違いない。
 むしろそれに参加したのかどうかも怪しいところだ。

 そう思って翌日顔を合わせた時に尋ねてみれば、やはり案の定、そういったイベント時は欠席する事が多く、行った事が無いという返事を聞いて。
 その場で、今日連れて行こうと決めたのだった。


 ちなみに学校は休ませた。
 俺の定休日が平日だっつーのが一番の理由だけれど、世間の休みに合わせたら混むだろうし、漸も人が多い所は苦手だし。

 転校して以来かなり真面目に毎日登校しているのだから、たまには良いだろう。
 瑞貴にその旨を話せば、喜んでノートをちゃんと取っておくと言ってくれた。


「じゃ、行くぞ」


 漸の肩をぽんと叩けば、無言のままこくりと頷く。
 本人は気付いてないだろうけれど、 今日は一日俺と一緒にいられる事に安心しているのか、どこか表情が柔らかい。

 まるで朝方、俺が仕事から上がってアパートの部屋に戻ってきた時のような雰囲気で、じっと俺を見つめてきた。


「楽しみか?」

「……微妙に緊張してる」

「ははっ、何でだよ。俺が隣にいるのに、怖ぇ事なんてねぇだろ」

「確かに」


 そう頷いた漸のあごを軽く上向けさせれば、漸は大人しく目を閉じる。
 ゆっくりと合わせた唇を吸い上げて離れると、数秒遅れて瞼を持ち上げた漸の瞳――個性的な両の瞳が、俺を捉えた。

 学校が無い日……主に俺や瑞貴としか顔を合わさない日は、徐々に裸眼でいる事も増えてきた漸。
 最初はそうしろと言われて抵抗があったようだが、時間と回数を重ねるにつれて、徐々に慣れてきたらしい。

 特に今日は、俺の車と比較的照明の暗い水族館内にいる事が多いワケだしと、予め言っておいたのだ。
 裸眼の状態で外に出るのは久し振りだと漸はぼやいていたが、俺としてはそれも漸が成長した証のような気がして、嬉しく感じた。


 そのまま漸の肩を抱いてバーを後にし、ガレージに向かって車に乗り込む。
 漸は相変わらず口数が少ないものの、放たれている雰囲気からすると、わりと機嫌は良いのだろう。

 髪型を崩さない程度に頭を撫でてやれば、不思議そうにこっちを見てくる。


「今日の服、似合ってる」

「……ほんと」

「あぁ。良い感じだ」


 いまだに毎回俺の趣味で服をまとめ買いしているものの、最近では漸も少しずつ服に興味を持ち始めたらしく、買った時とは違う組み合わせで――つまりは自分でコーディネートして、服を着るようになってきた。

 最初にそれに気付いた時は、ガラにもなくかなり嬉しかったものだ。
 それがどんな事であるにせよ、漸にとって楽しめる事が増るのは喜ばしい事だと思う。

 しかも、それが結構俺のタイプっつーか。
 個性派だけど、そこまでハメを外し過ぎてなくて。
 程良く色気の漂う私服姿の漸は、最早俺の癒しになりつつある。


 別に見てくれでパートナーを決めるわけじゃねぇけど、やっぱり特別な相手が自分好みの顔とファッションセンスを持ってるっつーのはテンション上がるしな。

 俺が微笑み掛ければ、漸もはにかんだように微笑んだ。
 そう、特にこれ。
 俺の前ではちょくちょく見せるようになった笑顔も、たまらなく可愛い。


「あー、お前最高」

「?」


 胸に湧き上がったヨコシマな欲求を、どうにか額に唇を押しあてるだけで誤魔化す。
 不思議そうな顔をした漸の頭をもう一度撫でてから、俺はアクセルを踏み込んだ。

 平日の変な時間だし、到着するまでに2時間もかかんねぇかな……?
 綺麗に晴れ渡った空をフロントガラス越しに見上げながら、俺もまた良い気分で運転を始めた。


 ***


「やっぱ平日は空いてんなァ」

「そういうもん?」

「おう。話によると、夏休み中とかはチケット買うのにも数十分かかったらしいぞ」

「へぇ……」


 俺の言葉に、顔をしかめる漸。
 長蛇の列が大の苦手な漸にとっては、最悪の図に思えたのだろう。

 4つ程ある窓口がのうち、今日は2つしか受け付けが座っていなかったチケット売り場を後にして、俺は漸と一緒に入り口の方へと歩いて行った。

 周りは本当に人が少なくて、時々見掛けるのも恐らく大学生くらいのカップルや、旦那の不定休に合わせたのであろう子連れの家族くらいだ。

 静かな雰囲気に、漸も大分緊張感が解けたらしい。
 車を降りたばかりの時よりも、顔色が良い気がする。


「順々に見てくか」

「うん」

「これパンフだってよ」

「……ちょうだい」

「ははっ、どうぞ」


 ホントに、敵意や警戒心を抱いていない相手に対しては、とことん律儀というか、可愛い奴だ。

 言葉遣いも瑞貴程ではないものの、秋斗や昂介、翼に比べたら本来は綺麗な方なのだろう。
 一言一言は短いながら、穏やかで独特なテンポの会話も、俺にとっては最早癒しの一つになりつつあった。


「……わりと広い」

「確かに。結構広いよな」


 パンフに視線を落としていた漸が呟いた言葉に、俺も頷く。


「魚って、そんないっぱい種類あんの」

「そりゃなァ。地球上は3対7で、海が占めてる面積の方がデカイわけだし」

「……」

「知らなかった?」

「……うん」

「また勉強になったな」


 笑いながら肩を叩いてやれば、素直に頷いた漸。
 あぁ、可愛い。

 もちろん恋人として愛してるワケだけど、時々子どもを育てているような気分になる時もある。
 漸と共に過ごす時間は、俺にとっても酷く有意義なものだった。


 そのまま建物の中に入り、やや薄暗い照明の中を進めば、どうやら最初はアザラシとかのコーナーらしい。
 けど漸はマイペースに、入り口からすぐの所に置かれていた挨拶程度のトロピカルな魚が泳ぐ水槽の前で、既に足を止めていた。

 ……今日は一日かけて回る感じになりそうだな。
 まぁ、そのつもりで来たし全然良いけど。


「……すげぇ色」

「おー。眩しいくらい黄色だよな」

「何でこんな色してんの」

「何でだろうな。そこまではわかんねぇや」

「遠くからでも目立ちそう。敵に喰われないのかな」

「コイツらが住んでる所は、他にもカラフルなのが沢山いるんじゃねぇ?」

「へぇ……」

「あ、今のは俺の想像だから。嘘かもしんねぇし、あんまり真に受けんなよ」


 あまりにもしみじみと返事をされ、思わず焦りを覚える。
 こりゃ大変だな……子どもを育てる親って、皆どうやってモノ教えてんだろう。
 今度仲良い子持ちの客に、それとなく聞いてみよう。

 密かにそんな事を思いつつ、いつまでもまじまじと水槽を見つめている漸の腕を軽く掴み、ゆっくりと進んでいく。
 あ、ちょっと名残惜しそうな顔してんな。
 でもこのペースじゃ、きっと今日中に半分も見れないし。


「また見たいのあったら、戻っても良いから。とりあえず全部見とけ」

「わかった」


 そしてようやくメインの水槽――天井から足元まで、壁一面が水槽の一部となっているゾーンに入る約5メートル程前で、漸の足が一瞬止まり掛けた。


「どした?」

「……」

「……ぶっ」


 ……ガン見。
 アクリルガラスの向こう側で悠々と泳いでいるアザラシを前をガン見する漸に、俺は耐えきれず吹き出した。
 何で真顔だ。やべぇ、ウケる。


「アレ何」

「くくっ……アザラシだよ」

「……丸い。アザラシって黒くて長いと思ってた」

「ははっ、まぁ種類にもよるんじゃねぇ? 色々いんだよ」


 目の前を旋回するように泳いでいるアザラシは、白っぽい体に黒の斑点が多く見られるものだった。
 階段を下りて間近まで行くと、結構迫力がある。

 確かに、こうして見るとイメージよりデカイよな。
 水中に1メートル以上のものがいると、確かにかなり存在感がある気がするっつーか。


「変な感じ。水面が俺より上にある」

「水族館独特の光景だよな」

「……デカイ……」


 隣を過ぎて行ったアザラシを目で追いつつ、密かにガラスと自分の間に俺を歩かせる漸。
 その様子にまた吹き出しそうになりながら、今度は漸に合わせて早足でそこを抜けて行った。
 が、しかし。


「……!」

「……っく、あははっ! 止めろ漸、腹痛くなりそうだって」


 向こう側にさらに巨体のセイウチが見えた瞬間、今度こそあからさまに漸の表情に戦慄らしきものが走った。

 強張った顔の漸の肩を抱き、周りに丁度人がいないのを確認して、思わずこめかみの辺りに口付ける。
 っとに、いちいち可愛いくてやべぇな。

 漸は微妙に拗ねたように俺を見てきたけれど、俺はしばらく笑いが止まらなかった。
 そして、仕方が無いからセイウチゾーンは、数メートル離れた所から観察。

 漸はじっと相手を観察する間、やっぱり恐怖感が拭えないのかずっと眉間にシワが寄っていて。
 俺はそんな漸を観察しつつ、いつも以上に癒されていた。


「目が本気だな」

「ふっ、本気って何だよ?」

「血走ってる……」

「ははっ」


 確かに、言われてみれば。
 漸の着目点は意外性があって、俺も数割増しで楽しめる。
 記憶に焼き付けるように見ている漸を微笑ましく思いながら、俺はゆっくりと先に進んで行った。


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