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□上京騒動記
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【上京アナザーストーリー】※軍司側の話し




軍司が一人ぽつんと座る和室の客間。その部屋には不似合いな、封が開けられどれもそこそこに中身を残した缶コーヒーがテーブルの上に三つ乗っていた。
それを前にして軍司は腕を組み目を閉じてじっと思案する。これで自分の気持ちにも整理がついたと。





遡ること数時間前。軍司は、自分の客が来るから客間を借りると母親に言ったところ、お茶用意してあげようか、母の親切心からそう返されたが辞退した。

客とは言っても、訪れるのは後輩が二人。
そんなに丁寧に扱う必要もないが何も無しでは少し寂しい。自分でお茶を用意する気にもなれなかったので軍司は自宅近くの自販機まで飲み物を買いに行った。
自分と十希夫と黒澤の分を。




十希夫が、黒澤と一緒に住むために東京に行く、と軍司に話したのは二ヶ月ほど前。
友人であり後輩であり、時には家族と同様に扱うほど親しい仲だった十希夫にそう言われた時のショックは、二ヶ月たった今でもまだわずかに軍司の胸に残っている。

あと数ヶ月もしたら十希夫がいなくなるのだと思うたびにため息が出てしまうが、十希夫が黒澤と遠距離になってから何度となく寂しい気持ちを吐露されていたので一緒に暮らせるようになったのなら喜んであげるのが兄貴分の務めだ。


しかし簡単に納得もできず、自分の気持ちをそうさせるには黒澤に挨拶に来させるのが一番だと軍司は思った。
そうすれば言いたいことも言えてすっきりするし、大事な十希夫を東京へ連れていく黒澤の気持ちも本人の口から聞かなくてはならない。もし適当な事や曖昧な事を言ったら待ったくらいかけてやろうと思っている。自分にはそれくらいの権利はあるはずだと息巻いていた。



十希夫に連絡を取らせ、たまに地元に帰ってくるその日に挨拶に来いと黒澤に伝えた。そうしてその日が来ると妙にそわそわしてしまい、黒澤が尋ねてくる時間まで落ち着きなくコーヒーを買いに行ったり、十希夫から連絡があるかもしれないと何も受信をしていないケータイを何度も見たりした。


約束の時間になると家の呼び出し鈴が鳴り、迎え入れると玄関で黒澤と十希夫が並び黒澤から挨拶を受けた。



「軍司さんお久しぶりです。元気でしたか」
「おお。話しはあっちでするから上がってくれ」


黒澤の表情はいつもと変わらないが十希夫は少し困ったような顔をしている。軍司には、この雰囲気にどう振る舞っていいか分からないように見えて、十希夫にいつも通りにしてればいいと伝えてから二人を客間に通した。


別に自室でもよかったのだが、きちんとした場を用意することで黒澤には十希夫を連れて行くことにけじめをつけて欲しいと思っていた。
勢いだとか思いつきで連れて行かれて、結果十希夫を泣かすようなことになるのは許せない。

後輩なので黒澤の性格などはそこそこ知っていて、彼がそんなことをしないとは思うが、なにせ大事な可愛い十希夫が絡んでいる話し。軍司が慎重になるのも当然のことなのだ。



軍司が床の間の前に座り、テーブルを挟んだ向かい側に黒澤と十希夫が座る。
この時十希夫は、軍司が黒澤に挨拶に来させろと言った時から感じていた、彼氏が彼女の親に結婚の申し込みの挨拶に来るという状況そのものだと笑みを浮かべた。



「黒澤、わざわざ悪かったな。仕事はどうだ、うまくいってるか?」
「まあ順調ですよ。あの…軍司さん」
「な、なんだ」


いきなり本題にも入りにくかった軍司が前置きをしているというのに、黒澤が核心に迫るように軍司の名を呼んだせいか、軍司はつい吃ってしまった。


「すんません、十希夫のことは貰ってきます。十希夫も寂しいと思うんでたまに連絡してやって下さい」


真っ直ぐに自分を見つめる黒澤の視線と、それと同様に内容を濁すことなくはっきりと言った一言は軍司の胸にしっかりと届いた。


「黒澤ぁ…十希夫のこと、好きか」
「好きです。だから自分の側においときたいんです」
「十希夫はな、俺のかわいい弟なんだ」
「はい…」
「泣かせるなよ。悲しい顔にもさせんな」



軍司は自分の気持ちを再確認するようにゆっくりと話した。一言言うたびに十希夫との思い出が頭に浮かんで、気を緩めたら泣いてしまいそうなくらいだった。



黒澤と十希夫を見送ることはできそうになくて、話しが終わると自分は客間に残りそこで二人の後ろ姿を眺めるだけにした。そして腕を組み目を閉じて思案する。



十希夫は近所で気兼ねする仲ではないから仕事が終わったらいつでも、十希夫からと言わず軍司も訪ねたりしていた。生活の一部とも言うべき彼とのやりとりがもう簡単にはできなくなる。
そして、軍司は十希夫には言ったことはないが、そんな慣れ親しんだ彼と笑いあう時間が軍司の心の隙間を埋めていたのだ。きっと十希夫もそうだったはずだ。
軍司も十希夫も恋人と遠く離れて暮らしている者同士、分かり合える感情もたくさんあった。



そのどちらもがもうすぐ無くなってしまうのだ。
しかし、これはいい機会でもあると軍司は思った。

もう成人式も済ませ、確実に進歩する道を歩んでいる。それなのにいつまでも慰めあいや馴れ合いなどしていては子供のままではないのか、と頭の片隅で思っていたのだ。


これからは十希夫も自分も前に進まなくてはいけない。そう、結論を出した軍司は缶コーヒーを片付けて客間を後にした。







そんな日の夜。
やることもない軍司はベッドに寝転がりながら、今頃、十希夫は黒澤といちゃついているのだろうかとふと思って、急に堪らない気持ちになった。
米崎と会ったのは一ヶ月ほど前で、頻繁に電話はしているものの、軍司は今ほど声を聞きたくて堪らないのは最近なかった。

人の幸せな空気に充てられたせいだろう。


軍司は電話をしようと思ったが米崎の仕事時間は夜中で、ちょうど今頃から仕事に入っているはずだ。それでも一応着信だけ残しておくと、寝る直前に米崎から電話が返ってくる。
軍司はすでに布団に入ってゴロゴロしていたので、そのままで話しをした。



「よう、もう寝てたか」
「いや、まだだったからちょうど良かった」
「電話遅くなって悪かったな。今、休憩中で」
「お疲れさん。コメ…今日黒澤が挨拶に来たよ」
「ああ、今日だったか?どうだった、黒澤の旦那ぶりは」
「悔しいけどな、任せるかって気持ちにはなった」
「そうか。きっとこっち来たら二人で俺んとこにも挨拶来るだろうな」
「そうだな……なぁ、コメ」



そこまで話して、軍司の声が急に小さくなった。米崎はその理由が分かっていたのでできるだけ優しい声で、なんだと返してやる。


「……いや、やっぱいい」


軍司は冗談でも、寂しいだなんて言えなかった。
遠距離恋愛をしていたら寂しいだなんて口にしたら辛くなるだけだと、お互いに分かりきっている。
米崎も、十希夫がいてくれれば軍司の寂しさが紛れてくれるだろうと思っていたので、今回の十希夫の上京話しは少々驚いた。軍司同様に、後輩たちが幸せになるのだから喜ばしいことなのだけど。
自分たちの問題に人を巻き込むなんて身勝手もいいとこだと心の中で反省をし、米崎は会話を続けた。


「今度は俺がそっち行くから。予定が分かったらすぐ連絡する」
「分かった」
「休憩もうすぐ終わるから切るな。体…気をつけて」
「コメもな、メシはしっかり食えよ」
「最近は気をつけてるよ」
「そうか……」


お互い言いたいことはたくさんある。しかしそのどれもが暗黙の了解で抑えられていた。唯一言える本音はただ一つだけ。


「軍司…愛してるよ」
「俺も。愛してるよ…隆幸。じゃあ切るぞ」
「ああ」



そうして切られた通話。
軍司はしばらくケータイを握りしめていた。たった今電波で繋がっていた彼を抱きしめられない代わりのように。
米崎もケータイを閉じると、いつからか電話をした後はそうするのが癖になって、軍司の代わりにそれにそっと口づけたのだった。








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