雑記帳

□silent rain
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かすかな、空気がかすれるような音で目が覚める。
現代にいたならば、気にならなかったろう。
それは、ビニールに降るのとは違う、優しい雨の音。


(大きな葉に降る、雨)

布団を抜け出し障子を開けると、雨で少しだけ冷えた空気が流れ込む。

緑は雨に滲み、色をなくしたようだった。

そんな中、目に入る鮮やかな紅。
雨の中で背を向け、無言で剣を握るその背は。

(以蔵…)

いつの間にか目に馴染むその背を、何とはなしに見つめていると。

「…起きたのか」

振り向かずに、以蔵は言う。


「うん。おはよう、以蔵」

「…あぁ」

ひゅ、と短く空気が斬られた音がする。
雨の中なのに、その剣閃は少しもゆるまない。


「以蔵。雨が降ってる…風邪ひいちゃうよ」

髪から雫が滴るほどになっているのを見兼ねて、わたしは部屋を出て廊下に立つ。

「そんな柔じゃない」

「でも…!」

せめて屋根のあるところに、と言っても、それじゃあ剣が家を傷つけると言って聞かない。

「以蔵!」

しかもこっちを見ようともしない!
わたしはむう、とその背を睨みながら、裸足のまま雨の中に飛び出した。


「なっ…アカリ?!」

目をまん丸にしてやっと振り返った以蔵の腕を、ぎゅ、と掴む。

少しだけ怖い顔をした以蔵を、負けじと睨み返す。

「風邪…ひいちゃうから」

「ひかないって言ってるだろ」

頑として譲らない以蔵に、わたしは哀しくなる。
いつもいつも、以蔵はこうだ。
なんでもかんでも、自分なら大丈夫だと思ってるみたいで。
自分の事を、ちっとも大切にしない。

「良いから…放せ」

「イヤ!」

譲らないわたしに、以蔵は眉を潜める。
わたしは、それでも必死に以蔵を見上げた。

「ね、中に入ろう」

「……………」


無言の攻防の後にふーー、と息を長く吐いた以蔵は、まだ剣に添えていた左手をやっと下げた。


「…しょうがないな」

渋々という体で身支度をする以蔵に、わたしはにっこり笑ってみせて。

「ありがとう」

掴んでいた以蔵の腕に、ぎゅうと抱きついた。
すると、突然に慌てた様子の以蔵が、ぎこちなく身を退こうとする。

「お、おい!アカリ!」

「なに?」

慌てる以蔵に構わず屋根の下に引っ張ろうとしたわたしを、以蔵は力任せに押し留めた。

「以蔵?」

きょとんと見上げれば、何だか以蔵の様子がおかしい。
目線を反らし、顔もほんのり赤いような…


「以蔵?」

長身の以蔵の元に寄り、覗き込むと、いきなり寝間着である浴衣の衿を掴まれた。
ぎゅ、と引っ張られ、きれいに合わせて整えられて…

「あ…」

そこでやっとわたしは気付いた。
寝起きのそれは、かなりはだけていたのだ。
もしかしたら、肌が腕に当たっていたのかもしれない。
それに気付いて、カッと顔に血が上がった。


「……あんまり、困らせるな」

「ご、ごめんなさい…」


横を向く以蔵の耳が赤くて、それを見たら余計恥ずかしくなって、わたしは顔を上げられない。

しばらく、そのまま時間を持て余していたら、以蔵が不意にわたしの腕を掴んだ。

そのまま、ずるずると引きずられる。

「以蔵?」

見慣れた背中が目の前にある事に少なからずホッとしながら。

「…雨に濡れる」

不器用な優しさに、うれしくなる。

「うん…ありがとう」


恥ずかしくてうれしくて、なぜだか少しだけ逃げたくなりながら、わたしは相変わらずの背中に笑いかけた。





end.

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