鼎立 三国


 後漢崩壊後、魏・蜀・呉の三つ巴の争いが始まる。


197年〜199年 漢民族
後漢末、群雄の一人袁術が玉璽を手にして建国した小さな国。弱小国で曹操に負け袁術が死ぬと同時に滅亡した。


22?年〜238年 漢民族
後漢末から幽州で勢力を保っていた公孫一族が、三国鼎立の頃公孫淵が建国した国(分かりにくいっ!)238年、魏の司馬懿が大軍をもって討伐。滅亡した。


220年〜265年 漢民族
後漢末の群雄割拠の時代に曹操が地盤を固め、その子曹丕が、後漢の献帝に禅譲を迫り建国した国。国力は蜀・呉両国を合わせたより多く、その勢力は荊州北部から、中原、河北にまで及んだ。有能な人材も多く、呉・蜀の同時進行にも持ちこたえた。263年蜀を滅ぼしたが、司馬懿という有能な軍師が朝廷でクーデターを起こし、朝廷は司馬一族の舞台となり、司馬炎が魏から禅譲を受け晋を建国。魏は滅んだ。


221年〜263年 漢民族
後漢が崩壊しかけていた時代。漢の皇帝の血を受け継ぐ者が、漢を再興しようとしていた。劉備字は玄徳である。貧乏な家の出である。諸葛亮という天才軍師を得て再興された国である。正式名、「蜀漢」蜀で興った(再興)漢国の意である。蜀は益州にある国であり、険阻な地形に守られていた。劉備の死後、中原を回復するため魏を討つ!という偉業は、丞相の諸葛亮に引き継がれた。諸葛亮は南を平定し、魏にも兵を出し、領地はわずかに大きくなっていった。しかし、諸葛亮が五丈原で無念の死を遂げると、国力は低下。ついに蜀は魏に攻められ滅亡した。


222年〜280年 漢民族
長江の南に位置する国で、戦い方は水戦が主流。配下には、水戦のエキスパートと、天才軍師・謀臣がそろっている。208年、孫権が治めていた勢力圏に曹操が孫権の30倍の兵を率いて攻めてきた。このとき、孫権には、逃亡中の劉備が逃げ込んできており、劉備配下の諸葛亮が孫権に、降伏の非を説き、孫権は曹操を迎え撃つ事を決断した。孫権配下の将軍たちは火計をもって曹操軍を大破。それ以後、呉は守る事を主体に戦った。最後の皇帝孫皓は暴君で暗愚。280年、晋軍に攻められ滅亡した。


その他 晋 等。

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