乱世@春秋


 各地に封ぜられていた王達が、中原の覇権を狙って争った。


?〜西紀前375年 漢民族
封建制で、西周の後期にできた国。始めのうちは名君荘公や、軍師の祭足らのため、春秋初期には大いに国威を輝かせた。中華大陸のちょうど中央に位置していたため、経済・交通の要地であった。春秋十二諸侯の一つである。春秋後期には、暗君・暴君の登場が続いた為、北の晋、南の楚にはさまれ、両国に服従する小国としてすごしていたが、名宰相、子産の登場により、鄭は再び国威を輝かせた。しかし、子産の死後、急速に国は腐敗。大国晋から分かれた国、韓に滅ぼされた。


?〜西紀前473年 南蛮
春秋時代に栄華を誇った江南の国。初めは、同じ江南で中原の国を侵略するほどに成長した隣国の楚国に圧されて弱小国でしかなかったが、戦車での戦い方を学ぶと、急速に成長。天才軍師・謀臣として有名な孫武・伍子胥をも配下につけ、楚国をあわや滅亡という所まで追い込み、さらには中原にまで兵を出した。しかし、呉国の南に位置していた越国がいきなり挙兵。呉国と越国の戦いが起こった。臥薪嘗胆。両国の敵対心はこの上ない物であった。はじめは呉国が圧倒的に有利だったが、時の国主「夫差」は伍子胥を遠ざけ、殺し、孫武もそんな君主を見捨てて逃げ出し呉国は有能な人材の居ないまま越に攻められ、滅亡した。


?〜西紀前400年頃 南蛮
春秋時代、呉より少し遅れて建国された江南の小国家。始めは楚や呉に圧迫されていたが、徐々に国力を蓄え、呉にもひけを取らぬほどの国家になった。呉との対立では、始めは苦戦していたが、最後には呉を滅ぼした。しかし、中原の国々のように息の長い国ではなく、400年頃には歴史上から姿を消した。

この他に斉・燕・楚・秦 等。

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