晋・南北朝



隋・唐



揚堅

北朝で禅譲を受けて隋を建国。さらには南朝の陳にも攻め込んで589年、天下を統一した。名君の名に恥じない人物で彼が天下を統一したら各地はすぐに収まった。しかし、揚堅もその治世が後半になると酒におぼれ、次男の揚広に殺された。


揚広

隋の初代皇帝揚堅の次男。自分の父を計略を持って殺すと即位。即位後は後宮の増設・長城の修理・新都東京の造営・国道の整備・大運河の開削・高句麗への出兵などを行い民の反感を買った。そしてついに臣下・民の反乱にあい、最後には配下の臣に殺された。


李淵

隋の重臣。反乱が続く中、反乱を最後までためらったが、次男の李世民に説得されついに隋に反乱した。
すべてを李世民にまかせて無駄なことをしなかった点、賢い君主である。天下を統一後李世民に位を譲り退位した。


李世民

李淵の次男。父李淵に反乱を促し、自らがその軍の先頭に立って天下統一に大功を挙げた。有能な人材を次々登用し、天下統一(創業)についても有能であるが、さらに、父から天下を受け継いだ後の政務の行い方が立派である。普通の君主は政務では気が緩み始め民衆の疲弊を招きかねないが、良く自分を制御し、臣下の諫言を求め続けた。守成の難しさを良く理解しており、人材適所を心がけ、治世にあって乱世を忘れなかった。名君である。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ