戦場に踊る竜

□うたかたあそび
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強烈な閃光が瞼の裏までも焼き、次いで全身を凄まじい灼熱が襲い掛かる。咄嗟に息を止めて肺が焼けるのを防ぐが、逆を言えばそれしか出来なかった。轟音が鼓膜を支配する中で、叫ぶように名前を呼ばれた―ような気がした。



 誰かに名前を呼ばれたような気がして、ギギナはうっすらと瞼を開ける。目に映る天井は見慣れた自室の物で、身を横たえているのは家具屋で熱弁を振るい親族に迎え入れた寝台。ただの夢だったかと思ったギギナは、自分に寄り添う体温に気が付いた。視線をずらすと、赤銅色の髪が見える。すうすうと穏やかな寝息を立て、ギギナの肩に頭を預けて深い眠りにいるのは、相棒でありギギナが唯一執着を向ける人物―ガユスだった。
起きている時は皮肉気な光を宿す藍色の瞳は閉じられ、今は安心しきった幼子のように眠るガユスの顔を見つめていたギギナは、明け方までガユスを貪っていた事を思い出す。
 艶やかな嬌声を上げるガユスに煽られて、ついつい歯止めが利かなかった事も思い出す。ガユスの制止にもならない声と媚態が脳裏に蘇り、ぞくりとギギナの背を震わせた。手を伸ばし、下穿きを身に着けたままのガユスの滑らかな背を撫でると、深い眠りに落ちたままのガユスが淡く色の混じった吐息を吐き出す。その吐息に誘われるまま、ギギナの手はガユスの背を撫で続けた。欲情を煽るようなギギナの手の動きに、うっすらとガユスの瞳が開く。
暫し眠気の覚めないぼんやりとした顔をしていたガユスだったが悪戯なギギナの手が腰を撫で上げると、ハッとした表情を浮かべた後ギロリとギギナを睨み付ける。
険の籠った眼差しであったが、寝起きの所為ではない薄い朱色に染まった頬が、ガユスの状況を如実に表していた。ギギナはそんなガユスの頤を持ち上げると唇を重ね、ガユスの口腔に舌を滑らせた。寝起きに濃厚すぎるギギナからの口付けを受けたガユスは、唇が解かれると息も絶え絶えになっていた。
ぐったりとギギナに寄り添うガユスに深い満足を得たギギナは、脱力したガユスを抱き込み、首筋へと目標を変えた。男にしては細い首筋に顔を寄せようとしたギギナの口元に、ガユスの手の平が当てられた。幾分ムッとしたギギナがガユスを見ると、ギギナに負けじとガユスも渋面を作り睨み付けている。

「昨日…と云うか、朝方まで散々ヤっただろうが。その上寝起きに盛るんじゃない。これ以上は俺の腰が死ぬ。おまけにそろそろ準備をしないと、事務所を開けるのに間に合わない」

 一言一言を区切るように話すガユスは、ギギナに抱き込まれている身体をじりじりと後退させようとしているが、ギギナはそれに取り合わず反対にガユスの腰を強く引き寄せた。
それに慌てたガユスは、今度は腕を突っ張ってギギナから離れようとするが、如何せん前衛職の腕力には敵わない。抵抗空しく抱き込まれる形となったガユスは、それでも諦めきれないのか、ギギナの腕の中でじたばたと抵抗を続けている。一方的な攻防が続くと、ガユスが恨めし気な顔でギギナを見上げた。

「お前が無断で購入した演算宝珠の月賦にツザンの治療費の支払い、おまけに事務所に全く関係無い棚と机と椅子の請求がある。依頼をこなさないと、たちまち赤字どころか事務所を閉めなきゃならん。ギギナ、今すぐ俺を離して仕事に向かうか、このまま寝台に居て事務所を閉鎖させるか、どちらか選べ。ちなみに後者の場合、お前の元許嫁から『ギギナが無体を働くならば、即連絡をするように。即座に赴いてギギナの尻を蹴り飛ばす』との確約を貰っている」

 厳かに告げるガユスの発言に面食らったギギナは、ガユスを見下ろすと静かに紅唇を開いた。ギギナの白皙の額が薄く汗をかいているのを、ガユスは見つめている。

「待て。何故あ奴が出てくる。それよりも、何時の間に連絡を取っていた」
「そんなん、俺との事がバレた時に決まってるだろうが。お前が里に呼び戻された時、俺はお前の元許嫁から呼び出されて、誠心誠意の謝罪を受けたぞ。『あの人格破綻者に振り回され、多大な被害を被った事を察する。己もあの破綻ぶりが我慢ならず里に戻るなと言っていたが、被害者が増える事に考えが至らなかった。今回の事で私はあの男との婚約を白紙に戻し別の氏族に嫁ぐ事となったが、其方に要らぬ面倒を押し付ける事になった事を謝罪する。一時でもあの男と婚約していた経緯もある故に、今後あの男が何か無体を押し付ける事があれば、私が直々に仕置きに向かう事にしよう。それが巻き込まれた其方に対する、せめてもの謝意と取って貰いたい』とな」

 滑らかに喋るガユスの言葉に、ギギナは頬を引き攣らせる。思い返せば、急に里に呼び戻された時、黙っていたはずのガユスとの関係を里長から暴露。あっという間に里の許嫁との関係を解消する運びとなった。様々な軋轢があったはずの関係は、何事もなかったかのように簡単に解消され、晴れてギギナは身軽となってエリダナに戻ったのだった。それからは誰に憚る事もなくガユスとの関係を続けていたのだが、思わぬ所に特大の落とし穴が仕掛けられていたようだ。
 嘗てギギナの尻を峻烈に蹴り上げた元許嫁の美貌を思い出し、密かに溜息を吐いたギギナは、拘束していたガユスの身体を開放する。当時ギギナにとっては理解出来ない事柄で、元許嫁に無言で蹴り飛ばされていた。許嫁を解消した後まで、あの痛みを味わいたくはない。
ギギナの腕から解放されたガユスは素早く寝台から降りると、バスタオルを片手に浴室へと直行した。その背中を見送ったギギナはガユスの背に己が残した情事の痕を確認すると、未だ内側に燻る情欲を無理矢理抑え込む事にした。
身支度を整え、事務所へと並んで歩くギギナの隣では憮然とした表情を隠さないガユスが歩く。ギギナの自宅から一緒に出ると余計なトラブルに巻き込まれるとの事だが、単に同衾していた事を周囲に悟られるのが嫌だという、乙女めいた思考がガユスの根底にある事をギギナは察している。普段以上に眉間に皴を寄せているガユスの横顔を、こっそりと横目で伺ったギギナは、妙な虚勢を張る恋人が可笑しくて、これを言えば必ず臍を曲げると分かっていても言いたくなるのだが、可愛らしいとさえ思っている。
事務所近くのプロウス軽食店の看板が目に入ると、ガユスは何も言わずそちらへと足を向けた。朝食を摂っていないので、代わりになる物を購入するのだろう。ギギナも何も言わず、ガユスの後に続く。
店先には忙しなく動くホートンの姿が見える。ガユスは店先のカウンターに近付くと、ホートンに声を掛けた。

「よお、ホートン。ポロック揚げを5人前と野菜サンドを中心に10人前頼む」
「おお、ガユス。おはよう。今用意するから、ちょっと待ってくれ」
「待て、野菜中心ではなく肉を多く入れろ」

 ガユスの注文を訂正する為にギギナが口を挟むと、ガユスがギギナを睨んだ。

「支払いをするのは俺だ。ホートン、野菜中心だ」

 ギギナに張り合うように更に注文を訂正したガユスを見て、ホートンが笑い出す。

「はいはい、朝からお熱いこって。悪いなギギナ。ガユスはお前さんの食事のバランスを考えてるんだよ」
「だ!誰がギギナの食事バランスなんぞ気に掛けるか!俺が朝から大量の肉が食えないから言ってるのであって…!」

 ホートンの軽口に反応したガユスが唾を飛ばす勢いで抗弁するが、その頃にはホートンは注文の品を用意するために店先から離れていた。ガユスは忌々し気に舌打ちをすると、頭一つ分高いギギナを睨み付ける。暫しギギナを睨み付けたガユスは、ふいと視線を反らした。赤銅色の髪から覗く耳が僅かに赤く染まっているのを見たギギナは、ガユスの照れ隠しを察すると、口の端に淡く笑みを浮かべた。無言でガユスの旋毛を見つめていたギギナの視界の隅で、ホートンが注文の品を詰めた紙袋を並べた。

「ホートン特製ポロック揚げが5人前に、野菜サンド諸々10人前。注文は以上だな。それでは常連さんに大好評名物ホートン占いも付けてやろう」
「信用も根拠も底辺どころかマイナスの占いなぞ、断固として拒否をする。そして、大好評どころか客足を遠のかせる占いはやめろと言っているだろう」

 上機嫌で珠算機を背後から取り出したホートンを見ると、ガユスがうんざりとした表情を浮かべた。そんなガユスの反応を無視して、ホートンは軽やかに珠算機の珠を弾き出す。

「眼鏡が右斜め二度ずれている赤髪の恋人が隣にいる貴方の今週の運勢。必然の眠りと夢の終わりは訪れる。幸運小物は頑丈な寝台と心肺蘇生装置。金運は宇宙的に分かたれた左肘と麻酔薬に注意。恋愛運は災厄と豊穣を確約」
「毎度の事ながら、お前の占いは全くもって意味不明だ。幼児の落書きの方が理解できる」

 律儀にホートンの占いに付き合ったガユスは代金を手渡しながら、占いの結果をくさす事も忘れない。まだ熱いポロック揚げの袋をギギナに渡したガユスは店先を離れた。
 商店街から離れた場所に建つ三階建てのビルに掲げられているのは、事務所の名前が刻まれた真鍮製の看板。ガユスが手元の携帯咒信機を操作して各種防犯装置を解除するが、様子がおかしい。乱暴に携帯咒信機を外套のポケットに押し込むと、右手に愛用の魔杖短剣を握った。まだひんやりとする朝の空気の中で、魔杖短剣の刃が冴え冴えと光る。小声でガユスはギギナへと声を掛けた。

「…鍵が全部解除されている」
「ほう。事務所荒らしか報復者か」
「そんなの分かる訳ないだろ。どちらにせよ、犯人はまだ事務所の中に居るかもしれない」

 やや押し殺した声音で言葉を続けるガユスの傍らでギギナは素早く〈屠竜刀ネレトー〉の柄を連結させると、流れるように抜刀。その際、抱えていた軽食の袋が玄関先に落ちるが、その存在は既にギギナは忘れている。ぐしゃりと落ちた紙袋を嫌そうに見下ろしたガユスは、ギギナに注意した。

「おい、食べ物を粗末にするなという教えはドラッケンでは布教されていないのか」
「闘争になるかもしれぬ状況で、そのような細かすぎる事を気にする者はいない」
「細かくない。人類の歴史の中でも重要事項だろう…」

 意に介さないギギナに反論していたガユスだったが、事務所の内部から気配が近付いてくるのを察したらしい。滑らかに回り続けていた口が止まる。気配は隠す事もなく、堂々と近付いてくる。ギギナが即断の構えを取るのと同時に、ガユスも魔杖短剣に咒式の構成を構築した。扉の外を警戒する事も何らかの戦闘態勢を取る事もなく、侵入者は無造作に扉を開いた。蝶番が軋んだ音を立てて開くのに合わせて、ガユスが構築した咒式を展開しようとしたが、扉の向こうに立つ人物を見るとあっさりと構築を解除した。
 扉の向こうに立っていたのは、細身でよれたシャツに草臥れたボトムを身に着け、火の点いていない煙草を銜えた無精髭の男。数年前に鬼籍に入り、当時の事務所崩壊の引き金となった男―ジオルグ・ダラハイドだった。

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