NOVEL

□The first anniversary
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今日の2限目は確か、心理学だった筈だ。
右手に付けているシンプルかつ小さい腕時計を、掌が空に向くように翻し、見る。
時刻は授業が始まる5分前後、といったところだ。
私はそれに内心ほっとして、歩幅を少し縮める。
ゆっくり歩きながら心理学を執り行う教室へと向かった。

今日は、奴は来ているだろうか。
奴はちょくちょく寝坊をするから、たまに授業に参加をしない時がある。
私達の通っている大学は留年こそないものの、進級をしたら学年に沿った授業数に加え、去年度に取り損なった単位を再び履修しなければならない。
結果、時間割の空欄は全て授業で埋められていき、4年生になったら最後、就職活動をする暇もなく、授業を受け続けなければならないのだ。
結果、就職活動をしていないから、4年生をもう一度、となる。
奴は自分で自分の首を絞めている、と思う。
大学を出てからしっかり働きたい、と言っていたのは奴なのに、やはり欲には負けるらしい。
最近はなくなってきたが、少し前までは男をとっかえひっかえ、売春まがいの事をしていた。
それだけに20年生きていた中でここ数年はとても凝縮された人生だったと思う。
……エイズにでもかかるのではないか、と心配をした事もあったが、そんな事は余計なお節介だったらしい。
けれどある日、奴はトラウマになるような失恋をした。
相手に心を弄ばれ、体を交わり、挙句の果てには金銭類を持っていかれて逃げられた。
くだらない事をする男だ、と思う。
けれど、それ以上にくだらない事をしていたのは、奴だ。

罰が当たったのだと思う。
本気で奴に迫った男は飽きるまで体を繋げて、奴が飽きた途端相手は捨てられた。
馬鹿みたいに重い言葉を軽く言いのけて、男を、同性を傷付けてきた。

そう、奴は、男だ。

失恋の事もあってか、奴はしばらく人間不信に陥っていた。
けれど異性、女である私は信用できるらしい、朝会った時は笑顔で挨拶をされ、別れる時まではなんてことのない雑談をする。
この前『何故私を信用するのか』と問うたら、彼は『そりゃあ、昔からの付き合いだから!』と返ってきた時がある。
彼はいつもそう言っているが、私は昔から彼と親しくしていた記憶はない。

幼稚園、小学校、中学校、高校と、奇跡的にクラスが一緒だっただけだ。
大学で友達が出来ない!と嘆いていた彼は、たまたま私を見つけて、強引に私を友達の輪の中へ入れた。
本当に勝手だ、と思う。
悪い気はしないのだけれど。

そんな訳で、仲良くなったのはごく最近の事だ。
とは言っても、今までクラスは一緒だった、という事実だけはある。
私は彼がどういう人なのかを把握していたし、彼も私という人物を理解していた。
打ち解けるのにそう時間は掛からなかったのだ。

性欲をトラウマの如く失った彼は――言い方が悪かったかもしれない。正確には『性欲が急激に減った』――、最近睡眠欲が体を支配してきているらしい。
現に、前に比べて遅刻が増えている。
しかし、今日は遅刻をされては、ましてや欠席をされたら、本当に困るのだ。
心理学の授業で彼に会えなかったら、来週の月曜日までは彼に会えない。
今日、絶対に会っておきたい理由がある。

そう考えながら教室に入ると、一番に目に入ったのは、珍しく遅刻をしてこなかった、噂をすれば、の彼。
彼はにやにやしながら私を見ており、いつもはそれを『気持ち悪い』とあしらう私だけれど、今日はそう言う気にはなれなかった。
その『にやにや』の理由が分かるだけに、いたたまれない。
彼の隣の座席に座って、更にその隣の座席に自分の荷物を置くと、彼のにやにやは猛烈に深まった。

「今日は何の日だ?」

7月22日。
私はこの日が何の日か、知っている。
しかし彼の誕生日でもなければ、勿論私の誕生日でもないのだ。
今日は、鞄を丁重に扱っている。
そう扱わなければならないような高価なものが鞄に入っているからだ。

私は、知らない振りをする。
彼は表情がくるくる変わって、面白い。

「……加藤清正が名古屋城天守閣一円を普請した日」


「訳わかんねえ!何だよそれ」

「知らないの?ググれ」

「ググろうにもさっきの言葉は俺の中に1ミリも入り込んでないんだけど!……ちぇっ。期待してたのになー」

「……」

彼も少なからず今日この日の事を楽しみにしていたのだと思うと、素直に嬉しかった。
楽しみにしすぎて今日は遅刻をしなかったのかとか、もしや寝坊をしない為に一睡もしていないのかとか色々な考えが巡ったが、ふと、気が付いた。
何故彼から先に催促をするのか。
二人にとって大切な日なのだから、彼もそれなりのものを持ってきている筈だ、と思ったのだが。
まあ、良い。
最初から期待はしていない。

「期待してたのになァァァァァん」

「もう、気持ち悪い。何なの」

「き、気持ち悪いとは何だ!……よし、俺、もうお前には期待しないよ」

「私は最初からあんたなんて期待してないよ。これ、食べる?」

言いながら、鞄から慎重に、彼の為に買ってきたものを取り出す。
それは、彼が好きなチョコレート。
溶けないように厚めにラッピングをされていて、その模様はどこか上品。
わざわざ都心まで行って、上品なチョコレート専門店まで行き、これを買ってきた。
少し財布の中身が傷んだが、まあ、これくらいは取り返せる。
彼はそのラッピングで一体このチョコレートがどこのブランドのものなのかが分かったらしい。
戸惑いながら、込み上げる嬉しさを必死で隠しているのが丸分かりだ。
顔が紅潮しており、私を見つめる目はどこか輝いている。
……その反応、本当に面白い、と思う。

「……っ、これ、た、高かったんじゃ」

震える彼の両手が、ラッピングされたチョコレートを包んだ。
割れ物に触るかのように慎重に扱うその手は、大の男がするような動作ではない。
思わず喉の奥で笑ってしまった。

「……値段の事は良いよ。気にしないで食え」

「……っ、だ、〜……!」




出会ってから1周年

大好きだァァァァァ!!

ちょっと、うるさい。授業中だぞ

す、すいません。あっ、俺もプレゼント!ぬいぐるみね。くぁーいっしょ?

……私はガキか(可愛い……)



(しかし、こういう事をしていると、まるでカップルみたいだな。気持ち悪い……)










【参考文献】
Wikipedia - http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8822%E6%97%A5

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