短編小説
□執着対象
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──仲はいい方だったと思う。
母と、弟と、私と。
傍からみれば少し不自然な程、だけどそれは自然な事で。私に恋人ができても、それは変わらずに。本当に誇張ではなく、お互いが大切だった。大切な、家族だった。
──私は息を殺し、身を潜める。
早く。早く。どこかへ行ってしまって。私をみつけないで。私を探さないで。
目を閉じ耳を塞ぎ身を縮め、私はひたすら祈り続けていた。
──始まりは、唐突。
その日はなんてことない、普通の日で。いつもの様に恋人と別れ家に帰ると、慣れ親しんだ居間には弟と女がいた。
どういう状況だ? これは。
何を……している。人の、家の、居間で。する事じゃないでしょう?
茫然と立ち竦む私に、いやに白い肌をした女は、こちらをみつめ妖艶に微笑んだ。
「そこにいていいですよ」
……わからない。
この女が弟に執着していることは、知っている。それは時々正常の線を越えそうな程。
だが何故その嫉妬が私に向くのか。私は、姉弟で。家族で。大事なのは、当たり前で。
こんなの、異常だ。
くらつく頭に過るのは、普段家にいるはずの母。そうだ……母は。母はどうしたのだろう。
判断力など、鈍っていて。言われた通りに光景を見ていたいわけも当然なく。母を案じて私が視線を逸らした先は、必然の様に押し入れだった。
違和感。
何故、赤い、染み、が……。
滲んで。
開けてはいけない。
開けてはいけない。
開けては……いけなかった。
「ひ……っ」
私は悲鳴を噛み殺し後ずさる。
……狂っている。
襖にもたれていた母の体は、重力に逆らわずゆっくりと前傾する。やがてぼたりと床に落ち、停止。
同時に私は闇雲に外へ飛び出した。情けなく、ただひたすら悲鳴を零しながら。
──そうして今、ガチガチと歯を鳴らしながら、乱れる呼吸を必死に鎮めようと無駄な努力をし、情けなく身を潜めているのだ。
恐怖と混乱で頭がガンガンと異音を発する中、どこか遠くで、弟が私を探している声をきいた。
来ないで来ないでみつけないで私は殺されてしまう母のように殺されてしまう何も考えるな音をたてるな弟が去るまで息を潜めて──────────
唐突に、血飛沫が舞った。
────────ま さ か。
躊躇いもなく首を掻き切られたあの女の、血が。噴水のように世界を濡らして──……。
息が乱れる。震えが止まらない。喉がひりついて、冷えた汗が体から吹き出し、ひどい目眩で倒れそう。心臓の音で、鼓膜が破ける。
死んでしまう。死んでしまう。誰か早く助けて助けないと──────
「……みつけた」
────ああ、悪夢だ。
私を探す為だけに。
ただその為だけに。
くらりと揺れる視界に、赤い、ただ赤い景色が広がっていた。
執着したのは弟。
囚われたのは私。
ああ、私は。
何も感じてはいけなかったのだ。
END.
→あとがき。