中編

□下
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 窓の外からチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえて、私は夢の中から覚醒していく。


「ん〜」


 頬に何か硬いものが当たる。

重い瞼を開くと視界一面に映るのは白……いや、肌色。

これは一体なに?

凹みをなぞるように右手で触れてみる。


「んん、くすぐったいよななし。」

「……え?」


 この低く鼓膜を震わせる声は……

私はゆっくりと顔を上げた。


「カカシ、さん?」

「ん、なーに?」


 そう言って甘い声を出し口角を上げているのは、大人の姿のカカシさん。

マスクも服もない。

カカシさんの素肌が私の腕に触れている。


「あ、あ……きゃあ!」


 私は逃げるように目の前の硬い胸板を押して布団から飛び起きた。


「ひどいなぁ一緒に寝ようって言ったのはななしじゃない。」


 よいしょと言いながら平然と上半身を起こすカカシさん。

私は驚きすぎて餌を求める鯉の様に口をパクパクとさせた。

なんで?

どうして?


「体が……元に戻ってる。」

「今朝、自然と元に戻ったよ。」

「あの、服は?」

「破れちゃったから脱いだ。」


 布団の外に散らばった無残な布たちを見る。


「なんで起こしてくれなかったんですか!」

「気持ちよさそうに寝てるんだもん。腕の中で動いたけど全然気づかないし、ねぇそれでも忍?」


 カカシさんは素顔で意地悪そうに笑う。

私の顔は急激に熱くなった。


「と、とりあえず服着てください!!」


 恥ずかしくてバッと後ろを向くと膝を抱えるように蹲る。


「昨日はあんなに積極的だったのに、今は随分と可愛らしい反応だね。」

「そんな……」


 カカシさんは後ろから私の肩口に顎を乗せると、わざとらしく色っぽい声を出す。


「すっごく我慢してたんだよ?」


 背筋がゾクゾクとして私の心臓は張り裂けそうな程に脈打つ。

カカシさんが近い。

裸のカカシさんが近すぎる。

声がすぐそこで聞こえる。

どうしよう。

どうしたらいい?

すごく息が苦しい……

私の頭は状況を飲み込めずにパニックを起こす。

 カカシさんは私の反応を楽しんでいるのか、顎を乗せている反対側の髪を掬って指に絡めた。


「ねぇななし、こっち向いてよ。」


 当然この状況で顔なんて見れない。

大好きなカカシさんだよ?

見たら心臓が止まる気がする。

どうしよう、近い……息遣いまで聞こえるし、首のところ肌が当たってるし。

ただただ体に力が入った。

昨日、子供の姿だからって調子に乗り過ぎたんだ。

カカシさん…すっごい怒ってる。

今更ながら私は頭の中で永遠と反省した。


「オレをあれだけ煽っておいて、タダで済むと思ってるの?」


 わーー!!カカシさんの声が耳にダイレクトに!

心臓が止まりそう!

私は必死に酸素を取り込む。


「ち、違うんです!あれは……」


 ヤバいと思って振り返ったのが運の尽き。

半裸のカカシさんの姿がすぐ目の前にあって、妖艶なオーラを纏い細まった目で私を見下ろしている。

視線に射殺された。


「なーにが違うのかな?ななしちゃん……」


 カカシさんは怪しく笑っている。

もう恐ろしいはずなのに嬉しいし色んな感情が押し寄せてきて泣きそう。

私は半分押し倒された状態で懸命に言葉を探す。


「……こ、子供のカカシさんが可愛くて…つい、調子に乗って…しまぃ………」


 声は震え、最後まで言えずに語尾が弱々しく消えていく。


「子供のオレがそんな可愛かった?」


 コクコクと首を縦に振る。

そりゃーもうめちゃくちゃ可愛かった!


「そう、じゃあ子供のままの方が良かったんだ……」


 そう言って睫毛を下げて視線を逸らすカカシさん。


「いえ!!決してそういう事では!」


 余計な事を言ってしまった。

暗くなった表情に焦り鼓動が早まる。

背中に冷汗が流れた。


「……今のオレじゃだめ?」


 チラリと目を向けたカカシさんの瞳に息が止まった。

だめな訳ない!!

だめな訳じゃないけど……そういう事じゃなくて!!

もう無理、限界!!

私はお尻を付いたままカカシさんと距離を取るために後退する。


「あの、全然……だめじゃないです。」


 後退しているにも関わらず一向に距離が取れない。

むしろ縮まっている気がする。


「ふ〜ん、じゃあなんで逃げるの?」


 私が後ろに下がる度にカカシさんがじりじりと間合いを詰めてきて、ついに背中に壁が当たった。


「逃げてるわげじゃなくて……」

「じゃなくて?」


 カカシさんは強張った私の顔の横に手をつくと、真っ直ぐな瞳で私を僅かに見下ろす。

漆黒の黒には光が差して視線が逸らせない。

その瞳の奥は獲物を捕らえた様に鋭い。

正に、蛇に睨まれた蛙だ。


「……か、勘弁してください。」


 良く分からない処理しきれない感情が溢れ、目からポロポロと涙が零れ出てしまった。


「あ…泣かしちゃった、やりすぎたか。」


 カカシさんは眉を上げるとパッと表情を緩めて、ゆっくりと私の頭を撫でた。

その言葉と行動に、え?とフリーズする。

あれ、カカシさん怒ってない?

見上げると先程までの雰囲気とはガラリと変わり、ごめーんねと言いながらいつものおっとりとした空気が流れている。


「先輩を揶揄うもんだから少しお灸を据えてやろうと思ってね。」


 笑顔のカカシさんに心の底からホッとした。

全身の力が抜けて更に涙が溢れる。


「ちょっと、忍がそんなに泣くもんじゃないよ。」


 まあオレのせいだけど、と笑いながらカカシさんは指で涙を拭う。


「うっ……すみません、カカシさん。」


 私は鼻を啜りながら涙の溜まった目でカカシさんを見上げた。


「ぜーんぜん怒ってないよ。」

「ほんと……よ、良かったぁ」


 怒っていないと言いながらも、ちゃんと制裁を加えてくるあたり、カカシさんを怒らせるとめちゃくちゃ恐いという事が分かる。

私は今後、絶対にカカシさんを揶揄ったりしないと心に決めた。


「それにほら、好きな女にあんな風に言われちゃーねぇ。」


 オレも男だからさ、とカカシさんは優しく穏やかな笑顔で私を見つめる。

…………え、今なんて?

私の涙はカカシさんの衝撃発言にピタリと止まる。

愕然として口が開きっぱなしになった。


「す、好きな女?」


 カカシさんは表情を変える事無くにっこりと笑っている。

え?

えぇ!?

えぇーーー!?


「我慢するのが辛かったよ。」


 サラリというので理解が追いつかない。


「可愛い子供の姿を利用して一緒にお風呂でも入れば良かったかな?」


 悪い笑みを浮かべながら冗談でとんでもないことを言うので、私の頭からボンッと湯気が出る。


「そんな、いくら可愛くても一緒にお風呂は入りません!!」


 顔を赤くした私を見てカカシさんは楽しそうに笑う。

余裕の表情のカカシさんに悔しくなった。

くっ……どこまでもかっこいい。

なんでこんなかっこいいんだカカシさんは。

私はやっと理解が追いついてきて、湧き上がる嬉しさを噛み締めた。


「私も……」


 カカシさんは笑うのを止めて急かすことなく私の言葉を待つ。


「私もカカシさんが好きです。」


 その言葉を聞くとカカシさんの表情は更に柔らかくなった。


「んん、知ってるよ。」


 なに、知ってる??

もしかして私、余りに好き過ぎていつの間にか言っちゃってた?


「だって……顔に書いてある、オレの事が好きだって。」


 っ……その顔。

私は腰を折って床に倒れ込んだ。

あーだめだ。

文句なしにかっこいい。

なに、私を殺したいの?

そうなの?

それにしても、恥ずかしすぎるんですけど。

好きなのがバレてたなんて。

しばらくそのままで動かなくなった私の背にカカシさんの手が乗る。


「嬉しかったよ、昨日の言葉。」


 私はカカシさんの話にようやく悶えていた体を起こすことができた。

昨日の言葉?


「ななしがくれた言葉……全部が、本当に嬉しかった。」


 カカシさんは大きな手の平で私の頬に触れる。

見たことない表情で笑うので胸がキュンとした。


「意地悪してごめんね。可愛くてつい…」


 先程の自分と同じ言い訳を口にするカカシさんに、可笑しくなってふふっと笑ってしまった。


「ぜーんぜん怒ってないですよ。」

「良かった。」

「それにしても、身体が元に戻って良かったです。」

「ほーんと、一時はどうなるかと思ったよ。」


 気持ちが落ち着いてくると、カカシさんの身体が元に戻った事にようやく安堵する。

身体が元に戻った以外に衝撃的な事が起こりすぎて、肝心な所が後回しになってしまった。


「早速、火影様に報告に行きましょう!」

「あぁ。」












 * * *




 私たちは支度をしてすぐに火影様のところへ行き、自然と体が戻ったと報告した。


「なんだ、良かったじゃないか。」


 これで厄介事が一つ減った、と綱手様はカカシさんの身体が戻ったことを喜んだ。


「ご迷惑をおかけしました。」


 カカシさんは頭を下げると、申し訳なさそうな顔で微かに口元を緩ませる。

これで一件落着だ。

報告書を作成して火影様へ提出に行くと、色々あったという事で私たちは二人揃って一日休暇を貰えた。

 執務室を出ると視線を感じて私はカカシさんの方を見上げる。

パチリと目が合った。

いつもの忍服に口布に額当て。

両手をポケットに入れてカカシさんは顔を傾ける。

額当てに太陽の光がキラリと反射した。

やっぱりこの方がしっくりくるな。

カカシさんも同じことを思っているのか、ふふっと声を漏らしながら優しく笑った。


「この後、お礼も兼ねて飯でもどうかな?」

「いいですね!私お腹ペコペコです。」


 胃の辺りを押さえて言うと、じゃあ決まりだとカカシさんは嬉しそうに右目をしならせる。

急いで報告に来たので二人とも朝ご飯抜きだった。

報告書も書いたのでもう昼近い。

私たちは合わせた様に外へ歩き出した。


「何が食べたい?」

「うーん、一楽のラーメンが良いです!」

「え!?一楽でいいの?もっと高い店でもいいよ?」

「一楽が良いんです!カカシさんと食べるラーメンは特別美味しいと思います!」


 そう言うとカカシさんは眩しそうに目を細める。


「……そうだな、昨日のカレーも美味かったし。」


 私は共感してもらえた嬉しさで、うんうんと勢いよく頷いた。


「行くか、一楽。」

「はい!」


 肩の触れそうな距離で廊下を歩き建物の外に出たところで、カカシさんの手が小指に触れる。

あ、と当たらない様に避けるとカカシさんが透かさずその手を握った。


「カカシさん?」

「イヤ?」


 嫌じゃないですと顔を横に振ると、カカシさんは満足そうに笑ってキュッと力を入れる。

手甲の付いたグローブの感触と温かい指先。

私の手を容易に包み込む、大きな頼もしい手に顔が緩んでいくのを感じた。









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