中編

□04
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「おはようございます名無し先輩。」

「……おはよう。」


 今朝も綾部は食堂前の廊下で待っていた。

昨日のことがあったので多少警戒はしていたが。

いつもとなんら変わらぬ綾部の態度に、要らぬ心配だったとななしは肩の力を抜いた。

綾部と並んで食堂に入ると、列の最後尾は仙蔵だった。

癖のない艶やかな髪をしならせ振り向くと、私たちを見てニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「なんだ、お前たちまた一緒に居るのか。」


 仙蔵の含みを持たせた表情が妙に鼻についた。

苦虫を嚙み潰したような表情をしているななしに気付いていない綾部は、礼儀正しく「立花先輩、おはようございます。」と会釈をした。


「おはよう喜八郎。」


 中身はともあれ、美形揃いの作法委員会がこうして並ぶと目の保養になる。

後輩達が側にいれば黄色い声の一つや二つ上げていただろう。

そんな事を思いながら、私は早々に彼らを視界の端に追いやり食堂のおばちゃんに挨拶をした。

ランチを受け取って空いている席に座ると、綾部は当たり前の様に向かいに腰を下ろした。

この景色も見慣れてしまった。

心のどこかで、別にこのままでも悪くないと思えているのが驚きだ。

一体いつまでこの状態が続くのだろうと、美味しそうに卵焼きを頬張る綾部を眺めていた。

朝食、昼食、そして放課後と、目敏く私を見つけては綾部は後を付いて来ていた。

図書室で一緒に本を読んだり、手裏剣の練習をしたり、裏山に行ったり。

まるで、五年ろ組の不破と鉢屋のようだ。

彼らは双忍と呼ばれるほど仲が良いと有名なのだ。

私たちもその後に続く有名人になってしまった。

ただ側にいるだけで私のする事の邪魔は絶対にしない。

居心地も悪くない……というか寧ろ良い。

なので側にいる事を許していた。

ここ数ヶ月、綾部は驚くほど熱心に会いに来ていた。

 今日も今日とて中庭の木陰で一緒に読書をしている。

否、読書をしているのは私だけだ。

綾部は踏み鋤を抱えてボーっと空を見上げているだけだった。

大きな幹に背を預け肩を並べて座っている。

こんなに近くに人の存在があるのに、ちっとも不快感は無かった。

図書室で借りた"忍者の心得"を半分ほど読み終えた頃、不意に綾部が立ち上がったので、私はどうしたのだろうと仰ぎ見た。


「……終わりにします。」


 全くと言っていいほど言葉の意味がつかめず、私は「へ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。


「もう付き纏いません。なので安心してください。」


 あまりにも唐突で私の口はポカンと開いたままだ。

綾部は「じゃあ。」と言ってその場から颯爽と去っていった。

突然の終わりだった。

これで付き纏わられることは無くなったということだ。

ありがたい事ではないか。

……それなのに。

あまりにもあっさりと告げられた終わりに動揺していた。

思いの外ショックを受けているし、私の心に喪失感に似た感情があることにも驚いている。

どうして?とか、何故?とか。

疑問ばかりが浮かんできていた。

一体どういうことなのだろう。

単純に飽きたのだろうか?

それとも……嫌われたのだろうか?

 私は読書を再開する気になれず、本を懐に仕舞うと長屋へ向かって歩き始めた。

綾部は私と一緒にいた時、何を思っていたのだろう。

大好きな穴掘りもせずに楽しかったのだろうか?

そんな今更な事を考えていると、足元がぐにゃりと曲がって景色が反転した。

軽い衝撃を背中で受けた時には、ぽっかりと丸く切り取られた空が浮かんでいた。

かなり深い穴だったが、ご丁寧に底に藁が敷き詰められている。

私は身体半分藁に埋もれたまま力無く肩を落した。


「あ〜〜〜やられた。」


 滲み出た悔しさは虚しく土壁に吸収された。

すると、すかさず嬉々とした声が穴を反響するように降ってきた。


「やっと落ちましたね。」


 丸く縁どられた天に現れたのはもちろん綾部だ。

逆光で顔は良く見えないが、喜色満面に溢れているのだろう。

私はこれでもかと言う程の仏頂面を張り付けて「落ちたわよ。」と言った。

完全に油断していた。

綾部の事に頭の中を占領されて、足元への注意が疎かになっていた。

卒業も近いと言うのに、こんなトラップに掛かるなんて情けない。

恥ずかしくて悔しくて。

穴があったら入りたい。

あ、もう入ってますね。

なんて面白くないやりとりを心の中で繰り広げてしまった。


「これで満足したの?」

「まぁ半分くらいですかね。」

「半分!?」


 じゃあこれで終わらないという事なのか?

私は悄然としてこれからも続くトラップ地獄に頭を抱えた。

とりあえず、ここから出なければと立ち上がる。

だが生憎、今日はこの深い穴の底から出る手段を持ち合わせていなかった。

仕方ないので手を貸してもらおうと顔を上げると、綾部がヒョイと穴の中へ降りてきた。


「わっ!」


 寸前のところで避けることが出来たが、もう少し気付くのが遅かったら危なかった。


「ちょっと声くらい掛けて!」


 眉を吊り上げて怒るも、綾部は「先輩なら避けてくれると思いまして。」と、ちっとも悪びれていない。

私は呆れて溜息を吐いた。


「それで、なんで綾部まで降りてくるのよ。」

「広めに作ってあります。」

「そう言う事じゃなくて!ここから出るための道具は持ってるんだよね?」


 絶妙な間が置かれ、綾部は表情を変えずに「……いいえ持ってません。」と答えた。

この穴を掘った張本人がここから出る手段を持っていないなんて考えられない。

私は訝しげな目を綾部に向けた。


「大丈夫ですよ、きっと誰かが見つけて助けてくれます。」


 どうして嘘をつくのか。

明け透けな態度に何だか問い詰める気も失せて、私は「まぁいいけど。」と丸い空を見上げた。

この道は人通りも多いので直ぐに出られるだろう。

私はそう高を括って、ふわふわに敷き詰められた藁の上に座った。


「名無し先輩。」

「ん、どうしたの?」


 綾部は私の前に屈むと「身体痛くないですか?」と聞いてきた。

落としたくせに怪我の心配はするのだなと可笑しくなって、少し笑ってしまった。


「これのお陰で痛くなかったよ。」


 ポンポンと藁に触れて言うと「そうですか。」と表情の変化は乏しかったが、綾部が安堵しているのがわかった。

こういう所があるから憎みきれない。


「今まで散々付いてきてたのはこのため?」


 気になって聞くと、綾部は特に躊躇いもなく「そうです。」と言った。

何故か胸の辺りがチクリと痛んだ。

本当は会いたいとも思っていなかったのだ。

私を落とし穴に落とす為の作戦で、全ては油断させる為の演技だった。

こんな簡単に後輩の策にハマるなんて、これからくノ一としてやっていけるのかと静かに猛省した。

 いつの間に俯いていたのか、綾部が私の頬に触れたので、心臓が跳ねたと同時に顔を上げた。

綾部はゆっくりと視線を合わせるように顔を近づける。

真剣な瞳は私を捉えて離さなくて。

容易く私の心を揺らした。


「僕はあなたを落としたくて、毎日会いに行っていたんです。」


 そうだろう。

そんなこと、ご丁寧に説明されなくてもわかっている。

何も言えず私は黙って綾部を見つめた。


「どうしても名無し先輩に落とし穴に落ちてもらいたかった。……自信が欲しかったんです。」

「……じしん?」


 忍者としての自信を付けるなら、私なんかより仙蔵の方が余程適任だろう。

納得がいかず眉を顰めると、綾部は愛おしそうに私の頬を撫でた。


「僕は先輩が好きです。」


 綾部の大きな瞳には、驚きで呆然と固まる私が映っている。

いつまでも黙ったままで反応しない私に、綾部は微かに眉を寄せた。


「名無し先輩を独り占めしたい。」


 寂しそうに呟いた声は、何の抵抗もなく私の心臓を刺した。









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2022.08.10

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