中編
□03
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何を考えているのか分からない。
それは常々思っていた事だ。
だが最近は、更に拍車をかけて分からなくなっていた。
綾部喜八郎、彼の事が。
朝食を食べに食堂へ向かっていると、渡り廊下に綾部がいた。
誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。
廊下の壁にもたれ俯いた横顔は、行く人の目を引くほどに綺麗だった。
彼の容姿は間違いなく良い。
綾部は私の存在に気付くと、壁から背を離してこちらへ向き直った。
「名無し先輩、おはようございます。」
「……おはよう。」
なんとなく通り過ぎる事の出来ない空気に「何?」と聞くと。
「待ってたんです、朝ご飯一緒に食べましょう。」と当たり前の様に言うものだから耳を疑った。
「えっと、約束とかしてたっけ?」
「いいえしてませんけど?」
そう言って不思議そうに首を傾げるので、私の質問が可笑しかったのかとさえ思ってしまう。
追い打ちをかける様に「今日は先輩の好きな南瓜の煮つけですよ。」と柔らかい笑みを浮かべて言われ、軽い衝撃が走った。
穴の事以外無頓着な綾部が、どうして私の好きな食べ物を知っているのか。
呆気に取られている私を他所に、綾部は「行きましょう。」と言った。
私は完全に綾部のペースに飲まれ、動き出した紫の背に付いていくしかなかった。
それからも、事あるごとに綾部は私を待ち伏せて、共に行動しようとしていた。
別に綾部が嫌いな訳ではない。
寧ろ気にかけるほどには可愛いと思っている。
しかし、何か仕掛けられてるのではないかと勘繰って、油断することも出来ず、私の精神はみるみると疲弊し始めていた。
「綾部さ、最近よく来るよね……何かあるの?」と尋ねた事がある。
「会いたいからですけど、ダメですか?」なんて言われてしまったので、来ないでとも言えなくなってしまった。
なので依然として付き纏われている。
そしてこの間、ついに後輩に……
「ななし先輩は綾部先輩とお付き合いしてるんですか?」と聞かれてしまった。
綾部なら付き合っても良いかな、なんて一瞬思ったが、後の事を考えると面倒だ。
忍者同士の恋愛なんて良いのもではない。
そんな先日のやり取りを思い出しながら、私は学園の裏門で石の上に腰掛け荷車の到着を待っていた。
くノ一教室で使う華道用の花を受け取るように山本シナ先生に頼まれたからだ。
そろそろかなと欠伸を噛み殺して立ち上がると、背後に気配を感じて振り返った。
風に揺れる薄墨色の髪にドキッと脈が早まった。
「あ、やっと見つけました。こんな所に居たんですね。」
「……綾部。」
この胸の息苦しさは、背後を取られたからという理由だけではない。
柄にもなく恋愛がどうのこうのと、目の前の綾部の事を考えていたせいだ。
頭の中での事だし、考えていた事が相手に伝わっている訳ではないのだけれど、内心少し焦っている。
それぐらいに現れたタイミングが悪かった。
「何してるんですか?」
綾部がいつもの調子で尋ねてきてくれたので、私は密かに胸を撫で下ろした。
「荷物の受け取りをシナ先生に頼まれてて。」
「ふぅ〜ん、そうなんですか…… じゃあ僕も待ってよう。」
そう言って綾部はスッとななしの隣に突っ立った。
並ぶと思ったより背が高くなったなと感じた。
手元には綾部の身体の一部となっている踏み鋤が握られている。
今日の踏子ちゃんは綺麗だった。
「大好きな穴掘りはいいの?」
「今はいいんです。」
「そう…………あのさ、毎日付き人みたいに、飽きない?」
「全然飽きません。」
私は言葉に詰まった。
しばらくの沈黙のあと塀の外から荷車を引く音が聞こえ、ななしは急いで裏門を開けた。
花屋のおじさんから桶ごと花を受け取る。
中には水が入っていてかなり重い。
おじさんを見送ると、綾部が門を閉めてくれた。
礼を言うと、綾部はななしの手からひょいと花の入った桶を取り上げた。
「わっ」
急に軽くなったので思わず後ろによろけてしまった。
「僕が持ちます。」
そう言って、綾部は桶の代わりに踏み鋤を差し出す。
「踏子ちゃんをお願いします。」
「えっ?」
有無を言わさず踏子ちゃんを握らされた。
「これ、くノ一教室までですか?」
「あぁうん。」
いつもと変わらない速度で歩き出した綾部に驚いて、私は急いで後ろを追った。
あんなに重い花桶を軽々と。
年下だと思って甘く見ていたが、私なんかより断然力は強いのだ。
綾部もちゃんと男なのだと認識させられた。
「これ以上は行けないので、ここでいいですか?」
「うん、ありがとう助かった。」
「どういたしまして。」
くノ一教室の入り口まで花桶を運んでくれた綾部に感謝を伝え、ななしは任された踏子ちゃんを手渡した。
花桶を受け取るとずっしりと腕に重みがかかる。
落とさぬようにしっかりと胸に抱え込むと、束が散らばり花弁が顔の前に広がった。
花特融の甘い香りが鼻腔を蕩かす。
「大丈夫ですか?」
綾部の抑揚の少ない心配そうな声が聞こえ、顔に似合わないマメのある固そうな手が、眼前に広がる花の壁を隅に寄せた。
開けた視界に綾部が映り込みパチリと目が合う。
思いの外顔の距離が近くて心臓が縮んだ。
一体何を意識しているのか、ドキドキと鼓動が煩い。
私の微妙な空気を感じ取ったのか、綾部はそのまま顔をジッと見つめてきた。
食い入るような綾部の視線にしばらく動けずにいると、男にしては長い睫毛が僅かに伏せり、そして徐々に距離が縮んでいく。
綾部の視線の先が分かると、途端に心臓の収縮が早まった。
まさか……と。
そうは思っていても、空気中から伝わる熱に緊張が高まった。
止まる気配は、ない。
唇が触れる寸前。
やっとのことで声が出た。
「綾部っ!」
ピクリと反応して動きを止めた綾部は、射るような視線だけを残してゆっくりと後退していく。
実際は、ほんの数秒の事だっただろうが、私にはその何倍もの時間が経ったかのように感じた。
綾部の行動に驚いているし、思考が鈍るくらいには動揺している。
頬が燃えるように熱かった。
「何してるの。」
怒気を含めて言うと「そういう流れかなと思って。」と反省の色が全く感じられない。
「どこが!!」
私が声を上げても全然気にしていない様子だった。
「惜しかったなぁ〜もう少しだったのに。」
綾部は残念そうに口を尖らせそっぽを向いた。
私は未だ熱の引かぬ顔を気にしながら「何がもう少しだったのによ!勝手にしたら許さないから。」と警告した。
「じゃあ今度からは確認します。」
綾部の返答に今度があるのかと眉を顰めれば、意外にも真剣な表情だったので何も言えなくなった。
つい最近まで落とし穴に落とそうと必死だったではないか。
それが何故いきなり口吸い?
一体なにがしたいのか。
本当に考えが読めない。
私は大袈裟に溜息を吐いて見せると「じゃあね。」と声を掛け、逃げるようにくノ一教室へ入った。
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2022.08.09