短編
□苦しみさえも愛して
1ページ/2ページ
『苦しみさえも愛して』
眠るにはまだ早い時間。
たまたま廊下で鉢合わせたムルに連れられて、ななしは魔法舎四階の空き部屋へ来ていた。
ワクワクすることがしたい!と、ムルの突飛な発言に巻き込まれ、矢庭に宝探しが始まった。
明かりを点けると、舞い上がった埃がチラチラと視界に入る。
随分と手入れがされていないのか煤けた空気が充満していた。
ブラッドリーがいれば否応なく何処かに飛ばされていただろう。
磨りガラスの付いた棚の中や、豪華絢爛なテーブルの上、そして粗末にも床の上。
古めかしい魔法道具たちが窮屈そうに押し込まれている。
この空き部屋は、歴代の賢者の魔法使いたちが自分の部屋に置くには邪魔だが、処分するには勿体無い気がする。
そんな理由で自然と物置部屋と化してしまった一室だ。
「あっ珍しいもの発見! これは面白くなるかも〜」
ムルは怪しいオーラを放つ魔法道具の一つを手に取り、楽しそうに目を輝かせている。
嫌な予感を察しながらも、ななしはムルの様子を見守るように眺めていた。
すると、開け放しになっていた背後の扉から、落ち着きのある、だけど少し呆れの含まれた艶のある声がして、ムルとななしは振り返った。
「こんな時間に賢者様を巻き込んで、何をしているんですか? ムル。」
「シャイロック!」
ムルは嬉々として魔道具に注いでいた視線を上げた。
静かな夜には不釣り合いな、生き生きとしたムルの声を聞きつけてきたのだろう。
「宝探しをしてたんだ。シャイロックは今からバーに行くの?」
「そのつもりですが。」
「ねぇ見て見て! これ懐かしいでしょ。」
「これは、何百年か前に流行った……」
ムルの手からシャイロックの手に渡ったガラスの小瓶は、コロリと転がり胡乱な輝きを放つ。
お洒落な香水にも見えるそれは、大きなダイヤモンドを眺めているような、圧倒的で魅力的な存在感を放っている。
赤ワインを思わせるバーガンディに近い色の液体が、スワリングされたように瓶の中でとぷりと揺れた。
「綺麗ですね。」
無意識に滑り出た言葉に、シャイロックが視線だけをななしへ向けた。
何かまずい事でも言ってしまったのかとドキリとしたが、束の間、シャイロックは何事も無かったようにフッと普段通りの笑みを浮かべた。
「……手に取ってご覧になりますか?」
「えっ? 良いんですか?」
「どうぞ。」
「じゃあ、失礼して。」
ななしはシャイロックの手から小瓶を受け取るため手を伸ばした。
しかし、あらぬことか受け取り損ね、誰の目から見ても高価と分かる、装飾たっぷりのテーブルの上に落としてしまった。
コツンッと音を立てて落ちた小瓶は、不幸にも蓋が緩んでいたのか、赤い液体をトロリと垂れ流した。
ななしは「あっ!」と、飛び上がりそうなくらいに反射的に声を上げた。
しまった……
焦りながら、ななしはポケットから急いでハンカチを取り出す。
「すみません! すぐに拭きます!」
サッと赤い液体を拭き取って転けた瓶を立てた。
それは飲食店でグラスを倒してしまった時のような、身に染みついた咄嗟の行動だった。
シャイロックはその様子を焦ることなく、むしろ落ち着いた表情で眺めている。
その後ろでは、一部始終を見ていたムルが、不思議そうにシャイロックの顔を見ていた。
幸いにも、テーブルは染み一つ付くこと無く、元の光沢を保っている。
小瓶の中身も多少の粘度があったのか、三分の一程度が零れただけだった。
被害は最小限に抑えられただろうと、ななしはホッと息を吐いた。
だが、ななしは動揺のあまりに重要なこと忘れていた。
先程拭いた液体が、ただの水などではなく、魔法薬だということを。
「賢者様、大丈夫ですか?」
「すみません落としてしまって。割れてはないので大丈夫だと思うんですけど。」
「いえ、瓶のことではなく、貴方が。」
「え?」
「その液体には毒があります。」
「え!?」
余りにも平然と言うので驚きで身体が固まった。
「死に至るようなものではありませんが……指先が少しピリッとしませんか?」
「そう言われてみれば、ピリッとするような……」
手を見下ろすと人差し指が赤く染まっていた。
それを見るだけで冷や汗が出て、ドッドッと動悸が激しくなる。
これは大丈夫なのかと確認するようにななしは視線をシャイロックとムルへ向けた。
彼らがさして焦っていないところを見ると、大した毒ではないのだなと、心持ちホッとした。
「と、とりあえず、手を洗って来ますね。」
「私も付いて行きますよ。」
シャイロックはチェックのストールを悠然と翻し、いつも通りの落ち着いた声音で微笑む。
彼の物怖じしない一挙手一投足は心強く、それだけで安心感があった。
「ムルは、荒らしたこの部屋を片付けてくださいね。」
スノウ様とホワイト様の物もあるのですから、とシャイロックは有無を言わせぬ笑顔で命じた。
「……はぁい。」
ムルは自分も付いていくと言いたげだったが、諦めて返事をする。
素直に部屋を出て行く二人の背を見送った。
.