短編

□策士
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課外授業を終え忍術学園へ帰って来た。



連日連夜動かし続けた身体が、鉛でも溶かしこまれたように怠い。



纏った装束は細かい擦り傷や汚れが付いている。



早く部屋に戻って休もうと、ななしは人目に付かない裏口から中へ入った。



こういう時に限って誰かに遭遇してしまうものだ。



「ななし先輩?」



「……尾浜。」



「随分と疲れた顔をしていますね。」



ななしは「はぁ〜」と溜息を吐き、あからさまに嫌な顔をして見せた。



「わざわざ声かけなくていいのに。」



小さく悪態をつくと、尾浜は「ひどいなぁ〜」と言いつつ笑顔を浮かべる。



ケロッとした表情の尾浜に自然と眉が寄った。



酷い対応をしたはずだが、毛ほども気にしていないようだ。



「疲れてるの、何もないなら行っていい?」



自分でも冷たい態度だなと思った。



でも本当に身体が重くて、なりふり構っていられない状態だった。



先輩として弱っている姿は見せたくない。



私は気丈に振る舞い、尾浜の横を通り過ぎようとした。



すると……尾浜が手首を掴み行く手を阻んだ。



「な、なに?」



「医務室まで送りますよ。」



さも当然であるかのように言うので、驚きのあまり固まってしまった。



「え?……私は部屋に帰るんだけど。」



「何言ってるんですか、熱あるでしょ?」



「……え?」



今度は困惑した。



私、熱あるの?



この身体の怠さは、単に任務の疲れだと思っていた。



「……なんで、そう思うの?」



「ずっと見ていたので。」



私の頭上には特大の疑問符が浮かんだ。



よく分からない回答だし、ボーッとする頭で思考も上手く回らない。



尾浜はくるりと背を向けると、片膝を地面に着き首だけ振り向いた。



「乗ってください。」



「え……?」



先程から私は何回「え?」と口にしただろうか。



驚きの連続に開いた口が塞がらない。



「大丈夫ですよ、落としたりしませんから。」



別にそんな心配はしていないが、振り向いて見えた尾浜の優しい笑顔と、この茹だった頭のせいで、藍色の背に手が伸びた。



尾浜はななしを軽々と持ち上げると、医務室へ足を進めた。



年下だと思って今まで気にもしていなかったが、尾浜の背中はちゃんと鍛えられた男のものだった。



そう言えば服が汚れていたとか、この体勢だと胸が当たるとか、いい匂いがするとか、そんな事が浮かんでは消えたいった。




「ねぇ尾浜……」



「どうしました?」



「さっきのって、どう言う意味?」



「……」



黙ったままでいる尾浜に、私の心臓は忙しく仕事を始める。



背中を伝って、この音が尾浜にも届いているかもしれない。



そんな事を思いながら、表ではおくびにも出さず平然としていた。



「顔色で体調が分かるほどに、ななし先輩を見ていたってことです。」



真面目に答えてくれたが上手い返しが思い浮かばなかった。



元々、尾浜は観察力や洞察力に長けているし、忍者としては持っておくべき姿勢だ。



何も意識する事ではない。



私は「そうなんだ。」と冷静に口にして、見られていない事を良いことに目を泳がせた。



「着きましたよ。」



医務室の扉の前で律儀に声を掛けてくれた。



意識は多少朦朧としていたが、色々考えていられるくらいには脳が動いている。



中に入り、尾浜は壁際に置かれた畳の上に私をゆっくりと下ろした。



珍しく医務室は空で新野先生も不在だった。



尾浜は視線を合わす為に私の側に膝をつく。



「先生か伊作先輩を呼んできますね。」



立ち上がってそのまま去ろうとするので私は堪らず呼び止めた。



「尾浜!」



「はい?」



振り返った尾浜はくりくりの目を更に丸くしていた。



「……ありがとう。」



そう伝えると、尾浜は丸い目を細めて笑顔を浮かべ「どういたしまして。」と嬉しそうに言った。



藍色の背中を見送り、私は医務室にひとりになった。



力が抜けて崩れ落ちる。



尾浜勘右衛門。



何なんだアイツは。



私の心を掻き乱すだけ乱して。



これだから忍者は嫌なんだ。



感情が読みづらいのはお互い様だが、自分の事は棚に上げて不満を溢す。



気づけば私は、吸い込まれる様に眠りに落ちていた。























 * * *






「あ……(尾浜だ。)」



あの一件があってから、私は少しずつ尾浜を目で追うようになっていた。



食堂前の廊下で、ひとつ年下のくノ一と仲睦まじく話をしている。



二人とも明るい表情をしていて、とても楽しそうだ。



最近知った事だが、誰にでも分け隔てなく接する気さくさと可愛らしい顔。



そして忍たまとしての高い実力が相俟って、尾浜は女子に人気が高いみたいだった。



私は彼らを視界の端に追いやり、なるべく気配を消して通り過ぎた。



食堂に入ってAランチを頼むと私の苦手な小鉢が付いていた。



廊下に貼り出されたメニュー表をしっかりと見なかったせいだ。



己の迂闊さが悔やまれる。



私はとりあえず好物の煮魚に箸を付けた。



間違いない美味しさで、導かれる様に白米を口に入れた。



最強の組み合わせだとモグモグ頬張る。



そんな絶妙なタイミングで横から声が掛かった。



「ななし先輩、隣いいですか?」



尾浜だった。



その横には久々知もいる。



私は声を出せない状態だったのでコクリと頷いて見せた。



「ありがとうございます。」



そう言って左側に尾浜、尾浜の前に久々知が座り食事を始めた。



体の左半分がソワソワとした。



別に気まずさからではない。



自然と入って来る二人の会話を聞きながら、私は豆腐の味噌汁を静かに啜っていた。



「あっ、ななし先輩!」



急に話しかけられて私は「ん?」と、尾浜の方を向いた。



「良かったら先輩の小鉢と僕の小鉢、交換しませんか?」



ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべている。



「いいけど……」



私は有難いなと思いながら小鉢を渡した。



「やった!ありがとうございます。」



このおかず好きなんですよ、と言って嬉しそうにそれを受け取り、後に自分の小鉢を差し出した。



渡された小鉢は私の好きなおかずだった。



気分が軽くなった気がして、そんなに食べるのが嫌だったのかと内心嘲笑した。



ともあれ尾浜に感謝だ。



そしてまた二人の会話が耳に流れてくる。



「勘右衛門、そのおかず好きだったのか?」



「うんそうだよ知らなかった?」



「知らなかった。いつも冷奴がでたら交換してくれてるから、今度そのおかずが出たらあげるよ。」



「ははっありがと兵助、楽しみにしてる。」



仲の良い会話だなと、私はそんな事を思いながら小鉢のおかずを口に放り込んだ。











明くる日、また同じくノ一と尾浜が会っているのを目撃した。



私は気になりながらも、明日提出期限の宿題をするために静かな場所を探した。



校庭の隅の木陰に腰を下ろして冊子を開いた。



集中できる場所であるはずなのに、一向に筆が進まない。



内容が頭に入ってこなかった。



代わりに頭を悩ませていたのは先ほどの光景だ。



もしかして尾浜とあのくノ一は恋仲なのだろうか?



仮にそうだとしても私には関係のない事だろう。



そう頭では思っているのに胸の辺りがモヤっと陰った気がした。



私は俯き目をとじて小さく溜息を吐いた。




「ななしせーんぱい!」



油断していたところに背後から声がして、ななしはビクリと肩を揺らした。



「お、尾浜……」



後輩に後ろを取られるなんて一生の不覚。



私は額に動揺を滲ませた。



「さっきから全然進んでませんよ、何か悩み事ですか?」



側に屈んでグッと距離を詰め、あっけらかんとした表情で聞いてくる。



ほう、見ていたと言う訳か。



私はジトーっと尾浜を睨む。



不穏な空気にも全く物怖じせず尾浜は首を傾げるだけだった。



何となく居心地の悪さを感じて私は視線を逸らした。



「まぁそんなとこ。」



冷たく言うと、尾浜は「ふぅーん。」と嬉しそうに口角を上げた。



私はその表情にムッとして「なんで嬉しそうなのよ。」と語気を強めた。



尾浜は少しの間私の目を見て、そして口を開いた。



「少しは意識してもらえたんだなって、嬉しくて。」



あたかも私の思考を見透かしている様な口ぶりだった。



顔が一瞬で熱くなって、隠すこともできなかった。



「あ、図星でしたか?」



その言葉を聞いて、カマをかけられたのだと胸が鳴り身じろいだ。



尾浜も忍者のたまごなのだから視線には聡い。



分かっていたのに、気付かれていたのが堪らなく恥ずかしかった。



「ずっと見ていたんです……先輩のこと。だから視線に気づいたんですよ。」



にこりと笑った尾浜の顔は不思議と惹きつける力があって、私は目が離せなくなった。



狂った様に収縮を繰り返す心臓は、まるで自分のものでない様な気がした。



頭の中は軽いパニックを起こしている。



口を開いては閉じて、ちっとも言葉が出てこなかった。



「……可愛い。」



尾浜は呟く様に、でもしっかりと聞き取れる声量で言った。



「揶揄わないでよ。」



苦労の末に出た私の言葉はそんなものだった。



「揶揄ってないですよ〜本当に可愛いと思ったんです。」



尾浜は丸い目を細めて顔を綻ばせた。



あなたの方が可愛い顔をしていると言いたくなる様な表情だった。



こんな優しい顔もするのだなと、私は見惚れた。



「意識してもらえるように、これでもめちゃくちゃ頑張ったんですよ。」



「そう、なんだ。」



言われて始めて、色々と思い当たる節があるなと納得してしまった。



まんまと策略に嵌ったのか、私は。



目の前の男が急に愛おしく思えてきて、つい頬が緩んだ。



しばらくの間、私は尾浜を見つめ、尾浜は私を見つめた。



そして、尾浜の手が壊れ物を扱う様な手付きで私の頬に触れる。






「このままキスしたら怒ります?」



「…………怒らない。」



そう伝えると、尾浜は微かに笑って、自分の唇を私の唇にそっと重ねた。



触れるだけのキス。



それでも私の胸を溶かすには十分だった。



リップ音と共に離れた尾浜の口が薄く開かれる。






「好きです……ななし先輩。」




今までのやり取りが噓だったかの様な、そんな緊張した面持ちだった。



耳まで真っ赤に染めて、純情な姿に心臓を鷲掴まれた。



つい笑みが零れる。



私は言葉の代わりにもう一度唇を重ねた。


















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